稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

アジング 今夜はミノーでも

2020年11月28日 | 
 今夜の若狭もライズは間欠的で勢いなし。

 それでも深みを探ると、のりはしないがコツッ。

 ワームを巻き上げると、ワームはハリからズレている。

 おるッ!

 そうして最初にかかったのはキレのないゴタゴタした手ごたえ。

 やっぱりメバル。

 今季初!と喜んだが水面でポチャッ。

 気をとりなおして深みを探り、やっと最初のアジ。

     

 小さい。

 間もなく舞鶴から来たという釣り人が「こんばんは」。

 二人で並んで釣ることに。

 少しライズもみられるようになってきた。

 ぼくはアマゴ用のミノーに取替えて遠投。

 そうしてやっとかかった。

     

 小さいアジだが、くわえこんでいるのは前フック。

 必ずしも後ろからついてきて尻尾をくわえるわけでもなさそうだ。

 舞鶴の人も「いやあ、ミノーでも釣れるんですね」と感心。

 もっとも、19:30、このころを境にライズはバッタリ。

 中層も低層もまったく沈黙してしまった。

 その後、天気予報どおり雨がポツポツ。

 小アジばかりだったが、ここで納竿。

 だんだん先細ってきたものの、若狭のアジ、まだまだのはず。

 釣果 アジ 19匹(12~14cm)
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今宵のアジはタナ深く

2020年11月25日 | 
 厳しくなった冷え込み。

 今夜はマフラー、防寒靴でアジングに挑む。

 ところがどうしたことか?

 定刻になってもアジのライズは間欠的、しかも勢いがない。

 ワームを投げ込んだがかすかなアタリが時々あるだけ。

 で、なかなかのらない。

 ややあってやっと小さいのが。
     
     

 ここはアカンと次の場所へ。

 ところがここも。

 どうも場所の問題ではなさそうだ。

 天候か、潮か・・・あるいは急激な冷え込みか。

 前回までのアジの勢いがウソのよう。

 そんなわけで、ともかく腰をすえ、いろいろ探ることに。

 わかってきたのは、勢いは弱いものの、アジたちは中層、低層にいること。

 じっくり落とし込むことにした。

 ワームを透明で少し大きめのものに変え、底付近ねらい。

 竿先がグンと入る。

 「これはちょっと重い!」

 上がってきたのは
     
     

 うれしい22cm。

「よし、もう1匹!」とさらに深みを攻める。

 しゃくったとき、グン!

「オッ」と思って合わせたがこれは根がかり。

 これをシオに納竿。

 今夜は苦戦。

 それにしてもアジのリズムはわからない。

   釣果 アジ 12匹(12~22cm)
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ミニ・クランクベイトにもアジ

2020年11月20日 | 
 若狭に到着するとすごい風。

 海面も波が高い。

 それ以上に困ったのは、足元に帯状に広がる枯葉などのゴミ。

     

 ライズがあるのかどうかもわからない。

 ともかくワームを投げる。

 きたきた!

     

 この波風でもアジはいた。

 食いは活発。

 そこで前から試そうと思っていたクランクベイトを出してきた。

     

 もう20年前くらいのことだが、河原町二条で買った一品。

 おもちゃのようで面白い!と買ったものだ。

 全長4cm、リップを除けば本体3cmの超小型。

 もっともアジングで試したことはあったが、これまで釣果はなし。

 この活性の高さなら、ひょっとしてと。

 そうして何投か・・・きた!

     

 食いついたのは13cmほどの小アジ。

 こんな小さいアジでもプラグに食いつくとは!

 ともかくプラグで初めてのアジに感激。

 風はますます強くなり、早めの納竿。

 昨日 アジ 46匹(11~16cm)
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若狭のアジング ライズが突然静まりかえり

2020年11月17日 | 
 若狭に着いたが、空はまだ薄明るい。

 それでも釣り場ではもうアジのライズが散発的に。

 今日はジグヘッドでなく、ノーシンカーでワームを投入。

 水面を意識したアジにはこれが最適か?と。

 けれども、あまりに軽すぎて手元にワームの感覚が伝わってこない。

 釣れはするが、いまひとつ。

     

 やはりこれでは・・・と思っているとき、滋賀からきたという釣り師。

「横でやらせてもらっても?」
「どうぞ、どうぞ」

 聞くところでは、アジ好きの老父に食べさせるため釣りに来たという。

 ぼくも協力することにし、こうして二人並んでアジング。

 けれども、
しばらくして突然アジのライズがなくなり、姿が見えなくなった。

 まったく釣れない。

 ところが、滋賀の人は堅調。

 ぼくはそれをみて
「どうやって釣っているんですか」と教えを乞うた。

 すると「ワームを見せてくれませんか」。

 ワームを見て、氏が言うには

 ワームを一回り大きくすること
 ジグヘッドを少し重くすること

 この二点をアドバイスしてくれた。

 で、また釣れ始めた。

     

 もっともこの人のようにはいかなかったが。

 小さいアジなら小さいワームで!と思い込んでいたのが間違いだった。

 小アジといえどもあなどれない。

 勉強になりました、脱帽。

 昨日の釣果 アジ 27匹(12~15cm)
   
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豆アジ爆発 今年も若狭で

2020年11月14日 | 
 久々に若狭へ。

 港には釣り人がいっぱい。

 ほとんどはイカ師のようだ。

     

 港内を見て回ったが、いつもならビッシリ生えているはずの藻がない!

 これはどうしたことだろう。

 年によって繁茂の程度が違うのか?

 藻がなければ釣りやすいが、メバルなどはどうなるのだろう?

 さて、アジング。

 桟橋で足元を見ると豆アジがいっぱい。

 ワームを投げ込むとすぐにプルプル。

          

 「オッ、これは活発」と思ったが、後が続かず。

 うしろで「ニャー」。

 真っ黒なネコが座り込んでいる。

 アジを進呈したいが釣れない。

 気がつくとネコはもうどこかへ。

 何かバカにされたよう。

 次の釣り場も豆アジの群れ、けどまったく・・・。

 最後にたどりついた釣り場、ここはライズが活発。

 1投目からすぐにプルプル。

     

 そうしてこれがやまない。

 釣り人が誰もいなかったことが幸いしたかもしれない。

 例年ならもっと寒くなってからの釣りだが、今年は早そう。

 あまり大きくないのが残念ながら、十分楽しませてもらった。

 昨日の釣果 アジ 36匹(11~15cm)
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アメリカの民主主義 内にある危うさ

2020年11月08日 | 日々
 長かったアメリカ大統領選挙もここにきて大勢が決したようだ。

 改めて驚いたのは、トランプさんの「岩盤支持層」の強固さだ。

 国内外でのトランプさんへのいろいろな不評も、
この支持層の間ではなんの影響もないかに見えるほど。

 開票当初、トランプさんが優勢だったが、
郵便票が開き始めると形勢は逆転し、ここからトランプさんは「不正投票」を猛攻撃。

 すると支持者も熱烈に呼応して開票作業所に押しかけ、
作業の中止を叫んで圧力をかけるなどの始末。

 ニュースでは開票作業所付近の緊迫した映像が流れていた。

     

 トランプさんがもっと強く煽動していたら、実際に乱入していたかもしれない。

 決められた方法に従って投じられた票が集計されるのはあたりまえのこと。

 そんな民主主義の基本が踏みにじられるかに見えた恐るべき瞬間だった。

 思うに彼らの行動を支えているのは、「不正」なるものの真偽を確かめもせず、
トランプさんの主張を鵜呑みにするという思考方法だったようにみえる。

 この光景は「大衆動員」で民主主義をつぶしてきたファシズムの歴史を想起させはしないか。

 ぼくは元々長い歴史を経てきたアメリカの民主主義に敬意を払ってきたつもりだったが、
今回は危うい要素も併せもっているとしみじみ感じさせられてしまった。
 
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『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年)にみる家族誌

2020年11月05日 | 日々
 BSで改めてこの映画をみた。

 モンタナに住む牧師である父、そして母、
長男ノーマンと次男ポール(ブラッド・ピット)の4人家族。

 まじめな長男はのちに大学教授に、自由奔放な次男は地方記者に。

 父親仕込みのフライ・フィッシングが父と子3人の共通の趣味だ。

 ただ、次男ポールは長じて賭け事にはまり、最後はむごたらしく殺されることに。

 ノーマンは老いて妻を失い、故郷モンタナに戻って一人釣りに向き合う。

 この作品の原作者はノーマン・マクリーンとかいう人で、この人の自伝的作品らしい。

     

 作品をみてつくづく感じる。

 一般に人は二つの家族を体験する。

 ひとつは子どもとして両親や兄弟との、もうひとつは親として妻子とのそれだ。

 二つの家族はつながってはいるが、やはり別々のものだ。

 作品の最後で黙々と釣りに向き合うノーマンには、
おそらく父、母そして仲のよかった弟ポールの記憶が何度もよみがえってきたことだろう。

 かつて共に過ごした家族、今は昔語りをしようにも誰も・・・。

 家族誌には始まりがあるようにやはり終わりもある。

 作品の最後に漂う哀感はそこからくるのかもしれない。

 思えばこの世の過去から今日まで無数にある家族誌。

 そのすべてが誰の記憶からも消え去ってしまうことのむごさ、哀しさ。

 とまれこの作品、詩情豊かに仕上がった秀作だ。
 
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