稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

改めて「親父の一番長い日」

2018年01月31日 | 日々
 少し前、テレビで珍しく「親父の一番長い日」が流れた。

 作詞・作曲した さだ まさしによると
『この作品は12分余りの長い曲、テレビではなかなか歌わせてもらえない。』
とのこと。

 久しぶりに聴くとやっぱりいい。

      

 この曲は、誕生から結婚までの娘と父親とのかかわりを兄(「ぼく」)の目から描いたものだ。

 ここでは、親父はさしあたり笑いの対象として登場する。

 街頭テレビの空手チョップに夢中になる親父。
 娘の誕生にあたり、占いの本と辞書と悪戦苦闘したすえ、ありふれた名前を考え出す親父。
 運動会では娘にものすごい応援をする親父・・・等々。

 言うならば落語の長屋に出てきそうな親父像だ。

 が、幸せな親子の暮らしを経て、娘の結婚が日程にのぼってくる段で事情は変わる。

 そそっかしく、笑いの対象でさえあった親父は一気に涙を誘う存在へと変わっていく。

 この可笑しさから寂しさ、悲しさへの移ろいの描写。
 さだまさしの見事な筆であり、構成だと改めて感心する。

 語彙の豊かさ、易しい言葉での的確な情況表現。
 どれをとってもさだは詩人だ。

 が、さらにひとつ、さだが秀でているのは聴衆を笑わせ、
そうして涙を誘うエンターテイナーとしての力であるだろう。

 娘を可愛がる父親の姿。
 それ自体はありふれたものではある。

 さだはその家族しか知りえぬような話を織り交ぜつつ、
生き生きした暮らしぶりを紡ぎ上げている。

 その具体的な生活感が多くの人々の共感を呼ぶのではなかろうか。

      
 
 さて、そのさだも、もう60代半ば。
 さすがに特に高音の伸びやゆとりは失われてきたかに聞こえるのが惜しい。

 なお、付け加えれば、ぼくには専門的な音楽評価の資格はないが、
編曲者 山本直純がこの曲中につけた間奏はとてもすばらしい。

 この家族の幸せな一時期をしみじみと奏でているかのようにぼくには聞こえる。

 それも含めてこの曲、永く世に残る名曲だという気がする。
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友より送り返されし一冊

2018年01月26日 | 日々
 猛烈な冷え込みの朝、宅配便が届いた。

 学生時代の友 岩本からだ。

 中には「日本社会発展史(上)」が入っている。

「本棚を整理していたら、君から借りた本が出てきたのでお返しします・・・」
 とある。

     

 さて、この本、読んだことも貸したことも思い出せない。

 が、奥付にはぼくの名前が書いてあり、文中には書き込みも。
 ぼくの字に間違いない。

 『資本制社会は必然的に崩壊し、社会主義社会に移行する・・・』
 などと論じ合い、またその運動に加わった日々も今は遠い。

 改めてこの本をパラパラとめくってみたが、とても読み進めず嘆息。
 
 こんな理論が空しく、色あせて見えてしまうからだ。

 私的利害を超えて社会全体の幸せを願う運動。

 以前に比べれば、今日、それらは衰亡あるいは四分五裂しているかにみえる。

 いつかまた別の形でひとつの大きな流れが生み出されるのかもしれない。
 歴史は繰り返すの言葉どおり。

 それにしても、あの時代から長い年月。
 ぼくらのかつての取り組みはこの世に何をもたらしたのだろう。
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いよいよ終わり? 若狭のアジ

2018年01月22日 | 
 師匠と待ち合わせ、若狭のアジング。

 あいにくの小雨となってしまった。

 ところが、今夜は定刻になってもライズが少ない。

 いつものように表層を流しても反応はない。

 風が強く、投げるのもあたりをとるのもむずかしい天候。

 辛抱強く手を変え品変えで小アジをなんとか2匹。

   

 師匠は強風対策でキャロを使って底ねらい。

 そうして、ずっしりと量感のある25cmをついに!

 やっぱり師匠との実力の差は歴然。

 残念ながら、本日はこれで終了。

 明日からしばらく強烈な寒波とのこと。
 師匠と「今シーズンもこれで終わるかもしれんね」と。

 釣果 アジ 2匹(12cm)
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渋温泉 熱く豊かな湯の悩み

2018年01月19日 | 
 富山 小川温泉を出発。

 新潟を経て信州へ。

 途中で休憩した駐車場。

    
 
 先日来の雪をいただいた山。
 ぼくらになじみのない雪山の風景、別世界だ。

 戸隠神社を経て善光寺へ。

    

 寺の案内人がぼくら一行を誘導してくれた。

 その話によると、善光寺は日本の仏教が宗派に分かれる前に創建されたもの。
 そのため、善光寺は他にはない無宗派の寺であるらしい。

 檀家をもたないため、財源は各種祈願、祈祷に頼っているのだとか。

 そういえば、境内のあちこちに厄除け祈願、合格祈願、家内安全祈願等々の文字。
      
       

 ぼくら一行も案内人から家内安全祈願(2000円から)を勧められ、何人かが申し込んでいた。

 さて、渋温泉(長野県山ノ内町)に到着。

    

 渋温泉には各旅館・ホテルの温泉以外に九つの小さな湯がある。

 宿泊したホテルで鍵を借り、自由にめぐることができるというものだ。

 ぼくらも早速九番「大湯」を訪ねてみた。

    

 ちょうど上がってくる人に出会った。
「どうでしたか?」と尋ねると
「イヤア、もう熱うて入ってられませんわ」

 ぼくも入ってみたが確かに熱い。

 先に入っていた地元のおじさんに
「熱いですね」と言うと
「そうか?こんなもんだよ」

 湯温は50℃ほどだという。

 たまりかねて「水を出してもいいですか?」と尋ねると
「うん、熱いなら」と、やや不満気に。

 そんなわけで、短時間で切り上げるしかない。

 が、渋温泉はこれが売りらしい。

 夜、ホテルのフロントマンと雑談。

 通りには廃業したとみられる旅館などが散見されたことについて。

    

 そのことを尋ねると、やはりここ渋温泉でも浮き沈みは激しいという。

 とくに、ここは昔ながらの温泉街。

 通りが狭く、バスが入ってこられないため、観光客は離れた駐車場から徒歩。

 ここが渋温泉の泣き所だそうだ。

 しかし、湯だけは熱く、豊富。

 とはいえ、九つの湯を冷ますために使う水の量は大変なもの。
 その負担は地域の負担となっており、バカにならないのだとか。

    
        ( 八番湯 入口 )

 また、各旅館でも熱すぎる湯を冷やすため、一時貯湯で外気にさらす方法も。
 けれども暑い夏はそれもかなわない。

「低温の温泉を沸かして循環させる温泉なんぞに比べると・・・」と言うと
 このフロントマン
「イヤア、そういう温泉が一番管理しやすいんですよ」と笑っていた。

    
       ( 街角の無料足湯 )
   
 熱すぎる温泉、ぼくらの目からは贅沢な悩みに映る。
 いろいろあるもんやと感心。

 ついでながら、渓流釣りの話。
 温泉街の横を流れる横湯川(千曲川水系)。
 温泉の影響で鯉以外はすめないそうだ。

    
 
 こうしていろいろ驚きつつ、今夜もかけ流しの温泉を満喫。
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小川と小川温泉

2018年01月18日 | 
 雪国の温泉ツアーに参加。

 初日は富山県朝日町にある小川温泉。

 列車から眺める富山の雪景色はすばらしい。

     

 一面の雪原、その彼方に肩を寄せ合うように家並が見える。

 日本の原風景といわれるものだろうか。
 もっとも南紀育ちのぼくにとって、これは原風景とは程遠いものながら。

 さて、14時半、小川温泉に到着。

     

 この温泉は小川という川のほとりにある。

 時間が早いので外を歩いてみた。
 
 が、山道にあるという洞窟温泉(天然記念物指定)。
 雪が積もってまったく歩けない。

         

 川下はというと、長いトンネルを抜けなければならず、これは危ない。
 冬季は袋小路のようなところで、結局 散策は断念。

 ホテルで釣りについて聞いてみた。

「ここ小川は朝日岳を源流にする川です。
 イワナとヤマメが釣れます。
 上流の方は漁協の管轄外なので無料です。
 毎年、大阪から来る人がいっぱい釣って帰りますよ。
 ただ、急峻な川ですので、イワナはいったん下流に落ちれば上がれません。」

     

 ぼくの目に映るのは平坦な川だが、入ってみると違うらしい。 

 小川の本流よりも支流がよく釣れるという。

 いやあ、富山のイワナ、あこがれる!

 もっとも教えてくれた人は釣りはしないということなのでどうか?

 両手の人差し指を大きく広げ
「こんなイワナが・・・」と言ってはいたが・・・。

     

 ところで温泉。

 ありがたくも、ここはかけ流しの温泉(塩化物泉)なのだ。

     

 久々に心ゆくまで満喫。

 こんなところをベースにイワナ釣りができれば最高なのだが。
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映画「英国王のスピーチ」(2010年)から

2018年01月14日 | 日々
 テレビでこの映画をみた。

 吃音に悩む英国王 ジョージ6世と彼の治療にあたった
言語療法士 ライオネル・ローグとの実話に基づく友情物語だ。

 治らない吃音に自信を失い、ときには自暴自棄になりそうな国王を根気強く
治療するローグ。

 全編にわたって緊張を伴う映画だが、1939年、ドイツへの宣戦布告にあ
たって国王が国民に向けて行った演説は大成功に終わる。

     

 地味なテーマでありながら、緊張の末にそれが解き放たれるラスト。

 映画や演劇にはよくある進行ながら、とても劇的にできていると感心。

 ただ、この映画の本来の主題とは異なるが、映画のなかに散見される「平民」
に対する国王自身の別格意識には怖いものを感じてしまう。

 世の中、洋の東西を問わず程度の差はあれ序列社会。
 王侯貴族でなくとも、各人それぞれにそんな意識があることは否めない。

 これは哀しいことながら、映画を通してこうも見せつけられると気持ちは複
雑だ。

     

 そういえば、これも映画とは関係ないが、ぼくの高校時代、吃音の同級生が
いた。

 日常の会話ができないほど深刻だった。

 赤塚不二夫の漫画に出てくるキャラクターに似ていたことから、ぼくらは
「ハタ坊」と呼んでいた。

 卒業前、彼に「吃音矯正の治療を受けたらどうや」と話すと「ウン、受ける
つもり」と話していた。

 卒業後、彼とは一度も会ってないけど、その後どうなったろう?

 この映画をみて、そんな昔のことを思い出してしまった。
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原発ゼロへのかすかな希望

2018年01月11日 | 日々
 10日、小泉元首相らが「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」を提案。

 これまでいくつかの野党や市民団体が唱えてきた。
 反原発、卒原発、脱・・・とさまざまに。

 それでもこうした動きは統一的な力にはなってこなかった。

 正直なところ、ぼくもそれを望みつつもあきらめかけていた。

 が、この動きは注目に値する。

     

 世論調査では、たいてい原発反対が多数を占める。

 こうした多数の国民の声を背景にひとつの大きなうねりができれば・・・。

 先行きはわかならいが、大いに歓迎したい。
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余勢をかってのアジングだったが

2018年01月08日 | 
 今年再びのアジング。

 さすがに三連休、釣り人が多い。

 今宵会ふ人 みな「今季のアジは小さい」と言ひつつ。

 ところが、今夜はいつまでたってもライズが始まらない。
 あたりもまったくない。

 みんなこまめに場所を変えているがさっぱりだ。

 野良ネコ クロもエサにありつけず、むなしく海面をにらむ。

     

 そんななか、師匠と一年ぶりの再会。

 師匠
「今夜はダメですが、まだ1月半ばくらいまでは釣れるるはずです」とのこと。

 師匠も1匹だけらしい。

 これを信じ、また改めて出直そう。

 釣果 アジ 1匹(13cm )
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初アジング 2018

2018年01月06日 | 
 若狭方面、夜は曇りとの予報で出撃。

 着いてみれば、まったく外れで断続的な小雨。

 せっかく来たので、防寒コートをカッパがわりに決行。

 今夜は「小さくてもアジを食べたい」という知り合いの期待を背負う。



 冷え込みでアジの姿は・・・?
 と案じたが、18時20分、ライズが始まった。

 表層で活発な食い。

 そこへ滋賀から来たという親子連れ。
「こっちの片隅に割り込ませてもらってもいいですか?」

「どうぞ、真ん中でもどこでも」

 こういう何気ないことわり。
 とても気持ちをなごませてくれる。

 そのあといろいろしゃべりながらの釣り。

 アジのたなはだんだん深くなっていった。

 そのうち雨に濡れたコートが重くなってきた。

 20時、ライズもあたりも急になくなった。

 これをしおにぼくは退散。



 アジ、いつまで釣れるだろう。

 ぼくの師匠、昨年はここでは1月半ばで終わったと言っていたが。

 釣果 24匹(12~14cm )
 
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謹賀新年 2018

2018年01月01日 | 日々
 新年おめでとうございます。

 昨年もこのブログをご訪問いただき、ありがとうございます。

 団塊の世代の一人として、ぼくも歳をとりました。

 昨年は大釣り用の道具類も処分しました。

 体力、何よりも俊敏さが求められる釣り分野はもう危なくなりました。

 そんなわけで、今年も小さな釣りを楽しみたいと思います。

 本年もどうぞよろしく。
                    
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