稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

妙高と赤倉温泉

2018年10月31日 | 
 信州方面の紅葉ツアーに参加。

 先ずは妙高のふもとからスカイケーブルで一気に山頂駅まで。

 黄色やオレンジ色に染まった木の葉も、天気が曇りがちでいまひとつ。

    

 山頂駅ではブナ林の散策を楽しめた。

 宿は赤倉温泉。

 ここは初めてのところ。

 まだ明るいうちに温泉街を散策。

    

 たくさんのホテル、旅館、民宿・・・。
 が、そのかなりのものは灯が消え、休業中のもよう。

 やはりここはスキー客が本命のようだ。

 ここの温泉は硫酸塩泉、炭酸水素塩泉と標記されている。

 ホテルのフロントで尋ねると
「源泉は二種類で、それらがブレンドされています。
 源泉かけ流しですよ」と胸を張る。

 それはありがたい!と大浴場へ。

    

 かすかに硫黄の香り。
 肌ざわりも温泉らしい。

 あまり熱くないのがぼくにはうれしい。

 赤倉温泉、なかなかのもの。
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美談に仕立ててはならない「プリンセス駅伝」

2018年10月23日 | 日々
 21日、宗像市で行われた「プリンセス駅伝」。

 ここで第2走者が骨折で走れなくなったが、ヒザから出血しながらも這って
たすきをつなぐというできごとが起こった。

 「感動した」
 「すごい責任感!」
 などと称賛する声とともに主催者側への批判や疑問も相次いだ。

 駅伝というこの団体競技。
 チームの仲間に迷惑はかけられないという思いがあったのだろう。

 あるいは走れなくなったことで順位を大きく下げてしまったものの、
せめて自分の身を削ってでも・・・という思いもあったろう。

 そのあたりが心理的に個人競技と大きく違っている。

     

 が、若い選手の今後を考えれば、廣瀬監督がただちに求めたようにそれは
中止すべきだったろう。

 ただ、監督の要請にかかわらず、大会責任者がその場におらず、
対処できなかったことは残念だ。

 ならば、今後そうした中止を宣告できる権限をもった役員を分散配置することも
ひとつの考え方ではなかろうか。

 ぼくはこの件でボクシングのドクター・ストップやレフェリー・ストップの
制度を思う。

 一方のボクサーが打たれ続けることによって取り返しのつかない事態を避け
るための制度だ。

 これはボクサー本人の継続意志とは別に大所高所から判断するという考え方
を基にしたものだ。

 ほかのスポーツにもこれは必要なものであるはず。

 案じるのはなぜ酷暑の中でやるの?という次のオリンピック。

 長距離走や競歩あるいは予想できない競技でこういったことは起こりうる。

 今回のできごとを美談に仕立てず、関係者に競技者たちのその後の長い人生
を考えた措置を望みたい。

 
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動き出したプラごみ削減

2018年10月20日 | 日々

 報道によると、環境省が素案。
 2030年までに使い捨てプラの排出量を25%削減するというものだ。

 今年6月のG7サミットで、日本政府はアメリカとともに
「海洋プラスチック憲章」への署名を見送り、
国内外を失望させたところだったのでは??

 MBS「報道ステーション」によると、
背景には中国がプラごみの輸入を停止したことがあるらしい。

 なんのことはない。
 日本国内でプラごみが行き場を失い、山のように積み上がり始めているのだ。

    
      ( 報道ステーションから )

 が、いずれにしてもこれは歓迎すべきことだ。

 プラごみによる海洋汚染もますます深刻になっている。

 思い出したのは釣具の上州屋のこと。

 以前、この店では買った商品を紙袋に入れてくれていた。

 ぼくは「環境に配慮!さすがやなあ」と好感をもっていた
(もっともぼくの思い込みならお許しを)。

 ところが最近、いつのまにかレジ袋になってしまっている。

 やはりコストなのだろうか?

 さて、素案ではレジ袋も2020年には原則有料とのこと。

     
     ( マイ・バッグでの買い物  同 上 )

 これもいいことだと思う。

 ただ、ぼくらの生活を見回すと、レジ袋や最近話題のストローだけではない。
 おびただしい種類、量のプラスチックに囲まれている。

 作る側、提供する側で安全で無害なものに代替できないものだろうか。

 そのために少々コスト高になるとしても、多くの人は理解してくれるはずだ。

 ほかに何かぼくにできるなら喜んでするつもりだが・・・。
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白い杖の人に

2018年10月18日 | 日々
 地下の改札口に向かっていたときのこと。

 地下への階段が見えたところで、白い杖をついた男の人が目に入った。

「この下り階段はあぶないのでは・・・」と思われた。

 声をかけようか、でも断られるかな?・・・などと思案。

 が、思い切って近寄ってみた。

     

「階段がありますけど、お力添えしましょうか?」

「ああ、それは助かります。お願いします」とその人は笑顔で。

 ぼくは右ヒジを差し出していっしょに階段を降りはじめた。

 断られなかったことにホッとしながら。

 「白い杖の人をみたら声をかけてあげて」とはよく耳にすること。

 ぼくには初めての体験だ。

 よし、また次に機会があれば迷わず声をかけてみよう。
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これは逆では? 疲弊していく自然を長い目で

2018年10月14日 | 日々
 先日IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)がレポートを公表。
 
 なんでもこのままでは2030~2050年の間に平均気温が産業革命以来1.5℃
上昇するらしい。

 この種の警鐘が鳴らされて久しいものの、一向に目だった動きはないように
みえる。

 先日シベリアの永久凍土が溶け出す映像をみたが、おそろしいことだ。

 一方、昨日 九州電力が再生エネルギーの出力制御に踏み切った。

     

 好天続きに加え、電力需要が低くなる土日、再生エネルギーの供給が過剰となり、
需給の均衡が崩れて大規模停電になるからというのがその理由だ。

 が、せっかく育ってきた民間の太陽光発電。
 これを生かさず、原発を優先するしか方法がないのか?という疑問。

 原発による発電量の調整は技術的にむずかしいのだろうか。

 あるいは、買い取り価格が高く設定されていると聞く再生エネルギーの価格
が問題なのだろうか。

     

 素人のぼくにはわかりにくい。

 けれども可能なら、地球的規模で長い目で再生エネルギーを育てていく方句
をとってもらいたいと思うのだが。
 
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映画「テス」から

2018年10月11日 | 日々
 BSでトマス・ハーディ原作の映画「テス」(1979)。

   
      ( テスが初めてアレックに出会ったとき )

 英国マーロット村の娘 テスが奉公先で放蕩息子アレックの計略にかかって囲い者に。
 テスは逃げ出してその子を産むが、子どもは死亡。

 別の奉公先で農業志望の青年と恋に落ちるものの、
テスが過去を告白することによって青年は落胆し、単独でブラジルへ。

 テスは父親の死亡を機に、極貧のなか長女として親兄弟を養うべく再びアレックの囲い者に。
 最後にはアレックを刺殺し、逃避行の末逮捕され、処刑されるというもの。

 なんとも悲しい物語だ。

   
      ( テスの母親と幼い兄弟たち )

 著者 ハーディがこの作品を著したのは1891年だという。

 それから百年余りを経て、今の時代はどう変わったのだろうか。

 この作品に登場するアレックは爵位を持ち、財力を持つ強い存在。

 そうした人間が女性の意に反して「囲う」にはハードルの高い今日ではある。

 が、本質的なところでは、こんな悲しい物語がなくなるのはまだ道半ばにもみえる。

 今日でもその価値を失わない重い作品だ。

 なお、作品の中で撮影された英国貴族の屋敷の重厚さには圧倒される。

   
     ( アレックの屋敷に通じる並木道 )
 
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非凡なる人と凡人と

2018年10月06日 | 日々
 昨日5日、本庶佑さんが愛知県内でノーベル賞決定後初となる講演を行ったそうだ。

 しばらくはひっぱりだこになるだろう。

     

 それにしてもこういう人はぼくら凡人とは違うことに驚かされる。

 氏が研究で心がけていることは
「好奇心、簡単に信じないこと」だという。

 また別の言い方では
「自分の目で確信できるまでやる」
 
 あるいは「すべてを疑え」とも。

 ぼくも若いときにはそんなことを教えられ、わかったつもりにはなった。

 けれども実際、それに徹することはむずかしい。

 すべてを疑っているつもりでも、結局その前提を無意識のうちに
認めてしまっていることに後から気づかされる、この繰り返しばかり。

 とても本庶さんのレベルの話ではないものの、
釣りひとつとってみても、ぼくにとって経験則から抜け出せないのもその証左だ。

 ところで、このニュースに続いて本庶さんの少年時代のことが紹介されていた。

 同級生が言うには、本庶さんは教師によく質問し、納得できるまで質問を続けたという。

 教師も答えに窮していたほどというからそのすごさも推測できる。

     

 が、こういう子どもは周りからきらわれたのでは?とふと。

 ぼくの子どものころ、休憩時間の鐘が鳴るのにまだ質問するヤツ。

 ぼくらは短い休憩時間、ボールをもってみんな一斉に運動場へ急いだものだった。

 なのに・・・「ンなこたあ、どうでもエエやろ、」とみんなでいらいらしたのもなつかしい。

 いや、本庶さん、このあたりから凡人たちとは住む世界が違っていたのかも・・・!

 ともかく本庶さん、おめでとうございます。
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老 浴田由紀子の告白

2018年10月02日 | 日々

 9月29日 MBSの報道特集で、金平キャスターが浴田由紀子(えきだ ゆきこ)にインタビュー。

 浴田由紀子(67歳)といえば、三井物産爆破事件(1974.10.14)
などを起こした「東アジア反日武装戦線 大地の牙」のメンバーだ。

 浴田はその後逮捕されるが、ダッカ日航機ハイジャック事件にからむ
超法規的措置で釈放、しかしその後再逮捕され、20年の懲役。

     
       (「報道特集」から)

 昨年3月23日、刑期満了で釈放されたという。

 一連の爆破テロ事件。

 ぼくは当時のニュース映像で血だらけになって倒れた人、座り込んだ人などを目にしたことを思いだす。

 死傷者も相当数にのぼったはずだ。

 ぼくは浴田が四十年余りを経て、どんな思いでいるのだろうと聞き入った。

     
        ( 同 上 )

 浴田は雄弁というにはほど遠いが次のように語っていた。

 一連の「武装闘争」でみんなに気付かせたかった。
 しかし、そういった破壊と否定からは何も生まれないこと。
 (一方)多くの人々に大ケガを負わせてしまい、またその人々の人生を変えてしまったこと。

 そうして(今は)自分の犯した過ちを教訓にしてもらえるよう・・・と。

 オウムにも共通するが、ぼくには一連の「武装闘争」は「狂気」に見える。

 その「狂気」から目覚めるのに逮捕、収監、そしてこんなに長い時間がかかるのかと嘆息する思いだ。

 テロによって社会が変わったためしはなかろう。

 それでも例えば欧州で今も続くテロ。

 浴田が老境にさしかかってようやくたどりついた思い。

 これを生かすことはできないのだろうか?と半ばあきらめつつも・・・。

 
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