稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

今夜も小さなメバル

2015年01月27日 | 
 ギリシャで緊縮反対派が圧勝。

 国民の耐乏生活への不安はわかる。
 が、一時的に好転したとしても、将来展望を理解してのことなのか?

 このままではギリシャは沈み込むのでは・・・の不安。

 そう案じるのは人ごとではない、わが借金大国の行く末を重ねてのことだ。

        

 夜のメバリング。

 今夜は調子が悪い。

 軽いジグヘッドに替えてやっと最初の1匹。

  

 重いジグヘッドで深みをさぐるも反応なし。

「どうですか?」と後着の釣り人。
「こんなんです」と見せると
「ウワー、小さいなあ。突堤先端へ行きますわ」と去って行った。

 あとから様子を見に行くと
「アカン、何にも釣れませんわ」

 普通サイズのメバル、いずこ。

 本日 メバル 10匹(9~11cm)
     ア ジ  1匹
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初めて入る森

2015年01月26日 | 日々
 土曜日から日曜日にかけ、久々に晴れた。

 足元も少しは乾いたかと森に入る。

 今日は初めて足を踏み入れる森。

 足元には広葉樹の落ち葉がいっぱい。

 しかしここのドングリなどもツルにからまれて苦しそう。
 それらをガリガリと切り落とす。

 大きなヤマザクラを見つけた。
 が、これも山フジにからまれ苦しそう。

 

 根元を見ると太い山フジ。

        

 この山フジ、ぼくの小さなのこぎりで切れるか?
 太さ 40cmはある。

『まあ、やってみよう』と斜面に足場を固める。

 ふと、幹を見ると熊らしき爪あと。

        

 それほど新しくはないことに安心。

 熊らしき爪あとは何度も見たが、圧倒的にヤマザクラの樹が多いように思える。
 熊はこうして爪をとぐのか?
 なぜヤマザクラに多いのだろう。
 あるいは、ドングリ類はたてじまなので人の目につきにくいだけか?

 さて、作業開始。
 やはりのこぎりが食い込んで重い。

 約30分。
 汗だくになってやっと切った。

        

 爽快!
 ヤマザクラさん、喜んでくれるか。

 
 最近読んだ『森と日本人の1500年』(田中淳夫 著)。

        

 著者はその中で「美しいと感じる森をつくろう」と提唱する。

 その「美しい」の意味となるとややあいまいだ。
 しかし五感で感じる森の美しさはありうべき森の姿から大きく外れないと述べる。

 ぼくも勝手な解釈ながらそう感じている。 

 初めて入った森。
 まだまだ奮戦の余地はありそうだ。
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1.17 神戸消防の苦悩をしのんで

2015年01月24日 | 日々
 1月19日にBSで放映された「ドラマ オレンジ」をみた。
 熱血救助隊員らの感動物語だ。

 全体の内容はともかく、そこで語られた震災時の消防人の苦悩。
 これにはぼくも涙したい思いだった。

 倒壊家屋で『生存者がいれば救出せよ、応答がなければ次の現場に向かえ』との上級指示。
 これはそのときにとりうる最善の指針だったろう。

 しかし、実際の現場は簡単ではない。

 そのひとつのシーン。

      

「応答がないため、次の現場に向かいます」と住民に告げる消防隊員。
 それに対し住民が「そこで下敷きになっとるんや、見捨てるんか!」
「人殺し!」と罵倒する。 

 つらい決断、通告だ。

 が、そんな現場は無数にあったろう。

 その数だけ罵倒を背に受けて去るしかない消防隊員たちの苦悩もあったはずだ。

 さらに水道消火栓が破損し、ポンプ車はあっても放水できない現場。

      

 このシーンは、下敷きになって助けを求めていた人の家屋が燃えるところ。
 泣きくずれる隊員。

 神戸の消防隊員にとってやりきれない思いだったろう。

 字幕では、神戸消防のポンプ車38台に対し、火災は54カ所で起こったという。

 震災、それ自体は想定されはしていたろうが、こんな光景を具体的に思い浮かべることは誰にもできなかったのではないか。

 あれから20年。
 当時の中心的だった人の多くはもう職場を去ったことだろう。

 改めてその労苦をねぎらいたい。
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庶民の生活誌

2015年01月17日 | 日々
 民俗学者 宮本常一さんの「忘れられた日本人」(岩波文庫)を読んだ。

 宮本さんが昭和14年以来、日本中を歩いて聞き集めた話をまとめたもの。
 (もっともその量は膨大で、本書はその一部)

        

 ぼくがもっとも惹かれたのは「名倉談義」。

 愛知県の奥深くにある名倉村(現 設楽町)の古老たちの話。

 食生活
「そのころ(明治中期 引用者)はどの百姓家でもたいてい二年分ずつ食うもののたくわえを持つようにした。・・・新米ができると去年の分を食い始める。それまでは一昨年の分を食うている。たまに新米でも食うと、うまいもんじゃのうと舌鼓をうったもんであります。・・・そうしないと飢饉がしのげなかった。」(P71)

 
 飢饉にそなえてそういう耐乏の食生活であったことに驚く。

 しかも米だけを食べていたのではない。

「菜をこまかに切り、菜と稗と米をまぜてたいて食べた。・・・明治も二十年代になると、稗をつくるのがへってきて、稗は米の三分の一くらいになった。」(P70)

 税はきびしかったろうが、米も十分にとれなかったのだろう。
 それでも明治期、暮らしが少しずつよくなっているのがわかる。

 労働
「昔はまあ、うまくないものを食うて、よう働きました。私の亭主は朝おきてから夜ねるまで草鞋をぬいだことがなかった。昼寝をするにも草鞋をはいていた。」(P75)

「・・・食うものもよう食うた。うまいのうまくないのと言うておれんだった。はあ、一日五へん食いましたのう。朝は三時におきました。そうしてオチャノコといって、ごぜんをたべて山へ芝刈にいった。戻ってきて九時ごろに朝飯をたべる。これはメンツに一ぱいがきまりでありました。昼飯はひるからの二時ごろで大てい山や田でたべる。五時にはヨイヂャといってたべ、ヨーメシは九時でありました。・・・それからまた暗うなって手先が見えんようになるまではたらく。」(P76)

 なんともすさまじい仕事ぶりだ。
 当然こうした仕事ぶりは人の寿命や健康に大きく影響しただろう。

 古老たちのふりかえり
 古老の一人 小笠原のおばあさんは今(昭和三十年代)の世を語る。
「・・・(息子は)おやじにくらべたら半分も働きゃしません。おやじにくらべたら道楽もんです。しかしそれでも食えるんじゃから。昔より楽に食えるんじゃから。わたしは文句を言いません。わたしらの若い時は今の倍はたらいても食えなかった。」(P82)
 
 また金田さん
「えろうなった。えろうなった。・・・耕耘機なんど、くわえタバコで田がけする。それで米が倍もとれる世の中じゃ。・・・」と。

 収穫量が上がったのは品種改良によるものだろうか。
 あるいは他の理由か?よくわからない。

 それでも、この聞き取りの時期からみれば、生活はずいぶん変わったことがわかる。

 歴史の本は多い。
 しかし、庶民の生活を記録したものはほとんどないだろう。

        
         (若狭の雪におおわれた農地 本文とは無関係)

 読みながら、ふと紀南地方に暮らしたぼくの先祖はどんなだったろうと思わざるをえない。
 今となっては聞く人もいないのが惜しまれる。

 
 この書はそんな意味で貴重な記録だ。
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今夜もメバリング

2015年01月14日 | 
 寒気のゆるみを選んで今夜も若狭。

 前回の海水浴場。
 どうしたことか、今夜は1匹も追ってこない。

 やむなく別の漁港へ。

 ここはやっぱりいた。

     

 これまではリフト&フォールで釣っていたが、今夜は違う。

 細かに揺さぶりながらの水面グラビング。
 これがよくきまる。

 今夜のメバルはかなり表層を意識しているようだ。

 よりましなサイズをねらい、キャロで深み。
 が、これは藻にかかるだけ。

 昨年同期はもう少しサイズがよかったのだが。

 でも、この微妙なあたりに合わせるゲーム、楽しい。

     
       (この夜唯一のアジ君)

 本日 メバル 23匹(8~13cm)
     ア ジ  1匹(11cm)
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反テロ行進によせて

2015年01月12日 | 日々
 200万人がフランス各地で反テロ行進に参加したという。
 ドイツからの解放のとき以来というからフランス国民の強い意志が感じられる。

             

 安堵するのは、ここにイスラム教徒らも少なからず参加していることだ。
 インタビューに対して
「イスラム教徒のほとんどは普通の市民であること知ってほしかったから・・・」と。

 実際、あの事件を契機に、フランスやドイツ各地ですでに嫌がらせが始まっているという。
 行進に参加したイスラム教徒のまた別の意味での危機感がよみとれるようだ。

 イスラム教徒=テロリスト=敵という短絡的なとらえ方。

 そういえば、日本でも北朝鮮による拉致が発覚したとき、朝鮮学校への嫌がらせが頻発したことを思い出す。

 ならば短絡的なとらえ方はぼくらの社会でも無縁ではないはずだ。

 今後、同じような問題が起こったとき、ぼくらはどこまで冷静でいられるだろうか。

 さて、事件は一段落したものの、今後はどうか。
 アルカイダと呼ばれる集団、世論の反応にはおそろしく無縁にみえる。
 それを考えるとこの先ゆきはなお不安だ。
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人の五感と意志の力

2015年01月07日 | 日々
 正月明け、新幹線のパンタグラフのトラブルが報じられた。
 もっとも昨年5月のことだったらしいが。

     

 ミスは舟体(ふなたい)という部品の取り付け。
 これが左右逆に取り付けられていたという。
 そのまま12日間走行していたらしいが、長引けば架線切断にもつながりかねなかったそうだ。

 それにしてもこの舟体、はめこみにはミスが起きないよう、凸と凹があり、この部分を合わせて取り付けることになっているという。 いわゆる「フール・プルーフ」なのだろうが、この防壁、簡単に「乗り越え」られてしまったかっこうだ。

 作業員はピッタリ合っていない仕上がり具合に「おかしい?」と思わなかったのだろうか。
 ア然としてしまう。

 一方、最初に「おかしい」と感じたのは新横浜駅の駅員だったそうな。
 いつもより架線の揺れが大きいことに気付き、指令室に通報、その後の点検でわかったというもの。

 おそらくこの駅員の通報が奏功したのだろう。

       
           (中日新聞から借用)

 人と機械、いずれが・・・といった議論はあまり意味がない。

 けれども、このできごと。
 人の五感、そして何よりも「おかしい」と感じたときにさらに一歩踏み込む意志の力、そこにぼくは感動する。

 小さくとも、新年を飾るニュース。
 働く者はこうありたいものと。
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初釣り

2015年01月06日 | 
 寒気のゆるんだのをみて、久しぶりに若狭のアジング。

 陽の落ちる前に到着。



 ここは海水浴場。
 砂地ながら藻が繁茂しており、秋にはアジがたくさんいたところ。

 ワームを投げると頻繁に小さなあたり。

 やっとのった。
 アジか?と思ったが。



 ミニメバル。

 ここで5匹ほど。
 スレたので移動。

 いつもの漁港。
 ここはあたりが多い。



 同じようなミニメバル。
 やはりアジは落ちてしまったか・・・と思ったら。


  (ピンボケながら)

 やはりアジ君、まだ残ってた。

 深く落とし込んでガシラもねらってみたが、これはさっぱり。

 さすが日本海。
 手がしびれるほどに冷えてきた。
 ここで納竿。

 今日は先日百円均一ダイソーで買ったワームを試してみた。
 やや硬いが釣果に影響はない。



 だまされたと思って買ってみたが、これは安い買い物。
 使える。

 ミニサイズばかりだが、久しぶりに海の感触。
 もう少し大きければいいのだが。

 本日 ア ジ   4匹(11cm)
     メバル 13匹(9~11cm)
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雪の夜

2015年01月01日 | 日々
 朝から薄日がさしていたのに昼過ぎから降雪。

 いつもなら昼間の雪は積もらないのに今日は別。
 とにかく冷たく、雪もとけそうにない。

 夜になって、夫婦で外へ歩きに。

 

 車は走っておらず、歩道はふくらはぎまで雪。

 これは久しぶり!
 南国生まれのぼくにはとてもうれしい。

 近くのケヤキとドングリの木まで歩く。

 

 常夜灯に照らされ、何か人工のつくりもののよう。
 とてもきれい。 

 これは新年のおくりもの、いい年になるかな。
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