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腕売ります 3

「おでかけですか」
「パチンコ」
「また。このところ毎日ね」
「ええじゃないか。別にすることもないし」
「就職したら」
「この歳では無理や」
「別に正社員のくちでなくてもアルバイトみたいなものやったらあるんでしょう」
「雀の涙ぐらいの金もらうのにしんどい目するのいやだ」 
「昼ご飯は」
「ラーメンでも食う」 
 私はそういうと家を出た。このところ毎日こういう口論をしている。裕子は私がパチンコばかりしているのが気に入らないらしい。私自身も良いことだとは思っていない。しかし他にすることがない。自由というものは扱いなれない者が持つと持てあます。     九時五十分にパチンコ屋の前に着く。十時開店なので店の前では先客が列を作って待っている。私も列の最後尾に並ぶ。何人かの顔なじみもできた。数人と目だけであいさつをした。
 開店と同時に列を作っていた連中がドッと店内に流れ込む。すばしっこい奴らが良い台(と思われる)を確保していく。私はそんなにガツガツしていない。まず玉を買って、それから空いている台の中から、これはと思う台の前に座る。釘の見方なんかは知らないからほとんど勘である。隣にヤクザみたいな奴が座ったら移動する。美人が店に入ってくればその隣に移動する。ようはどんな台でも良いということ。
 勝って金儲けをしようとは思わない。金なら有るのだ。一日時間がつぶれれば良い。ハローワークのパソコンで求人検索をしているよりパチンコしている方が楽しく時間がつぶれる。私のパチンコはそういうパチンコ。
 十一時半になった。そろそろ昼食にしよう。
近くにラーメン屋が三軒、牛丼屋が一軒、回転寿司屋が一軒ある。最近の私の昼食はこの五軒をローテーションで回っている。今日は
回転寿司屋の番。ビールを飲みながら寿司を腹いっぱい食べる。パチンコ屋の隣の喫茶店でコーヒーを飲んで私の昼休みは終わりとなる。昼から玉を弾く仕事に戻る。だいたい午後五時近くまでパチンコをする。ごくたまに
勝つがほとんどは負ける。多いときは一日で五万円近く負ける。
 パチンコ屋を出て本屋をのぞいて家までブラブラ夕方の散歩。午後六時に帰宅。入浴のあと夕食。あとは水割りをちびちび飲みながら阪神タイガースの試合を観る。
 これが最近の私の一日。基本は家とパチンコ屋の往復。変化は昼食がラーメンになるか牛丼か寿司になるかの違い。また阪神の試合相手と勝ち負け。最も大きな変化は私がパチンコに勝つこと。
「どうです。その後は」
 手術後に吉崎と会うのはこれで三度目。
「調子はいい」
「それは良かった。毎日どうしてます。就職できましたか」
「就職なんかしない。お金はあるんだ」
「それでは毎日退屈でしょう」
「毎日パチンコしてるよ」
「勝ちますか」
「負けることの方が多いな」
 私の体調と肝腎の左腕の話は最初の数分で終わる。後はもっぱら世間話。私は元来世間話というのは苦手で、何を話したらいいかわからない。吉崎は初めてハローワークで出会った時と変わらぬフレンドリーな態度で接してくれる。彼となら世間話も気を使わずにできる。今の私の生活は単調だ。毎日パチンコと家を行き来しているだけだ。私は友達も少ないし近所に知り合いもいない。会社を辞めれば言葉を交わす相手は家族以外だれもいない。そんな中で吉崎の存在は貴重だ。二週間に一度の会合が待ち遠しくなった。彼はただ一人の友人といっていい。
「それではまた二週間後」
 吉崎が伝票を持って立ち上がろうとする。
「吉崎さん。今晩あいてますか」
「別に予定はありませんが」
「今晩一杯やりませんか」
「うれしいですね。山本さんが誘ってくれるなんて。もちろんおつきあいさせていただきます」
 午後七時。駅前の居酒屋。時間までパチンコをしていた。珍しく勝った。のれんに手をかけた時吉崎が来た。さすがに時間に正確だ。 カウンターに座る。おしぼりで顔と手を拭いてからビールと焼き鳥を注文する。
「乾杯」
 グラスをあわせる。
「もう三ヶ月になりますね。私が片腕になってから」
「そうですね。あれからすぐあの義手は各地の病院に納品されましたよ」
「で、どうでした」
「子供のころに事故に遭われ腕をなくされた方が何人かおられました。みなさん新しい人生が開けたと大変喜んでおられました。義手の具合は山本さんもご存じの通りですから」
「あんな画期的な義手なら新聞に載ってもいいのでは、と気をつけて見ているのですが出ませんね」
「我が社の生産能力には限りがあります。一度に大量の注文が来ても対応できません。ですからマスコミには情報を流してません」
 二人でビールを三本空けたところで日本酒へと切り替えた。つまみも鍋を注文した。吉崎は杯を空けるペースを私に合わせてくれているようだ。本当は私よりももっと飲めるクチと見た。
「さっ、どうぞ今晩はじゃんじゃん飲みましょう。遠慮なさらずに飲んで食べてください。今晩は私がおごります」
「それはいけません」
「いつものコーヒー代は吉崎さんが持ってくれてるでしょう。あれ会社の経費じゃないですか」
「そうです。山本さんとお会いするのは会社の業務ですから」
「これは業務じゃないでしょう。友人として飲んでいるわけだから私におごらせてください。パチンコも勝ちましたし」
「そうですか。それではごちそうになります」
 結局、二人で三軒ハシゴした。したたかに酔っぱらいて、彼にタクシーで家まで送ってもらったことはぼんやりと記憶にある。
 朝になった。九時半だ。ひどい二日酔い。頭がガンガンする。十時からパチンコ屋が開くが布団から出られない。今日はパチンコは休もう。
 裕子は買い物にでも行ったらしい。しかし失業者とはありがたいもので二日酔いだったら誰に遠慮することなく自由に休める。サラリーマンだったころは二日酔いなんかでは休めなかった。もうサラリーマンに戻るつもりはない。確かに収入はなくなったが私はかけがえのない物と引き替えに三〇〇〇万円を得た。私の左腕一本三〇〇〇万とは、安いといえば安い。しかし、代わりの腕が充分に元の腕の代わりをしてくれている。いや、元の腕より疲れにくく具合がいい。
 それにしても三〇〇〇万とは中途半端な金額だ。贅沢しなければなんとか老後まで暮らせるという額だ。せめて一億はほしい。それだけあればこれから豊かな生活が送れる。
 ビギナーズラックというものだろうか、生まれて初めて買った馬券が大当たり。万馬券を取った。馬が走るのは全く興味がないので場外馬券売り場に馬券を買いに行った。思いがけず十数万の金を手にした。
 ビギナーズラックとは続くモノだろうか。初めて株を買った。証券会社とは縁がなく証券会社の営業マンにも知り合いはいない。でも、一度株なるのものを買ってやろうという気になったのは、三〇〇〇万を少しでも増やしてやろうという算段があったからだ。吉崎に相談したら反対はしなかった。彼に紹介してもらった証券マンが勧めた食品会社の株を買った。買った翌日からジリジリと値を上げ始めた。それから数日後証券マンから電話。いまが売り時とのこと。売った。一〇〇万を超える利益があった。次の株を勧められた。その株を買った。
 パチンコだけだった私の生活に競馬と株が加わった。
 ビギナーズラックは文字通りビギナーだけの幸運だった。競馬も株も初心者がホイホイ的中するほど甘くはない。株は証券マンが勧めるのを買えば、そこそこ損はしないが、私はさらなる大もうけをねらって、彼のいうことをあまり聞かない。パチンコの負けとはケタが違う金額が銀行口座からなくなっていった。こんなことに妻の裕子が気が付かないはずがない。
「あなた。このところ毎日何をしているの」
「パチンコや」
「お金がものすごく減っているの」
「最近のパチンコはよおけお金を使うようにできとるんや」
「うそでしょ。パチンコだけであんなにお金を使うはずないでしょう。今月だけで五〇〇万近くが減っているじゃないですか」
「パチンコやて。それにちょっと贅沢なところに飲みに行ってるんや」
 まさかパチンコだけじゃなくて競馬や株にまで手を出しているなんていえない。これじゃギャンブル依存症だ。
「どっか若い女でもできたんでしょう」
 そっちの方を疑っているのか。ギャンブル狂か女狂いかどっちの方がまずい。どっちにしても妻に対しては非常に具合が悪いが、外に女がいないことは確かだ。ギャンブルは確かにしている。預金口座の大幅減という事実があるのだか、両方否定しても裕子の疑惑を深めるばかり。ここは正直に告白した方が良いと判断した。
「実は競馬と株をやっている」
「私が働きに出ればいいんだけど、椎間板ヘルニアで働けないのは知ってるでしょ。あなたの収入だけで私と浩一を養っているのよ。リストラされて失業したからあとは貯金だけが頼りなのよ。それがギャンブルだなんて」
「だから三〇〇〇万円稼いでやったじゃないか」
「そんなお金、今みたいな使い方したらすぐなくなるわ」
「そしたらまた稼いできてやる」
 右手がピックと動いた。
「そんなワケの分からないお金だからあなたがギャンブルなんか始めたんだわ。退職金をあてにして少しでもいいから月々の収入が有る方がよっぽどいいのよ。お願いだから働いてちょうだい」
「働きたくても働けないやないか。半年間ハローワーク通いしたけどこんな五〇すぎた中高年リストラおやじなんぞはどっこも雇うてくれへんんわ」
 正直いうと私は再就職したくない。三〇年サラリーマンしてきて人に雇われるということがほとほとイヤになった。だから会社が早期退職制度の募集した時、喜んで応募した。あの時応募しなかったとしても早々に肩たたきにあっていただろう。そうなると退職金の割り増しはない。だからあの時の決断は正しかったと思っている。
 求職活動中も熱心にハローワークに通いはしたが本気で就職先を探していたか、というとそうではない。どうも私の本心はこのまま求職中という状態がずっと続いて欲しいと思っていたようだ。求職活動という活動そのものが面白いと感じているフシがある。
 退職金が割り増し分も入れて二〇〇〇万ほどあった。四年か五年は無収入でもやっていける金額だ。では、四年か五年経ったらどうするか。年金をもらえる六五歳までのブランクをどうするか。そんなことは全く考えていなかった。あの時は会社を辞められたという解放感でいっぱいだった。

「近い将来石油がなくなるのはご存じでしょう」
 メタルフレームの眼鏡をかけたその男は、いかにも秀才といった感じ。子供のころはきっとクラス委員長でもやっていたんだろう。私にとって得になる人間、といって吉崎が紹介した男だ。どういう男で、何が得になるのかは吉崎は具体的なことはいわなかった。
 さして興味は引かなかったが、吉崎にぜひにと勧められたので今、ここにこうしていて、目の前にその男がいるわけだ。名刺には財団法人日本新エネルギー開発協会とある。
「いくら失業者でも新聞ぐらい読んでる」
「失礼しました。で、石油に変わるエネルギーは各国で開発されていますが、どれも決定的なものはまだありません。それに私どもの調査では石油の枯渇は予想されているよりも早いことがわかりました」
「そうか」
「最も有力な代替えエネルギー候補がメタンハイドレートだといわれています」
「なんやそれ。知りませんな」
「メタンガスが低温高圧によって結晶化したもので、深海の海底に埋蔵されています。一見して氷に似ていますが燃えます。そのため石油に代わるものといわれていて、日本近海には世界最大の埋蔵量があるといわれています」
「それじゃ日本はエネルギー資源大国やな」
「そうです。ところがメタンハイドレートは液体の石油と違って固体なので深海から掘り出すのに膨大なコストがかかって採算がとれないんです」
「それじゃあかんな」
「石油が枯渇するとメタンハイドレートに頼らざるをえません。純粋にコストだけの問題なので石炭から石油に代わったように、世界のエネルギー源が完全にメタンハイドレートに切り替わると商業的に成り立つようになります。それに実は、当協会では極秘で大幅にコストダウンしたメタンハイドレートの掘削方法を研究しておりまして、あとわずかで完成します」
「で、私になにをせえという」
「私どもの研究は近未来の世界情勢を一変しうるものです。ですから極秘でプロジェクトを進めております。政府からも秘密の予算で補助をもらっていますが資金が足りません。そこで極秘でこれはという人にこの話をしているわけです」
「私がこれはという人か。私はただのリストラオヤジやぞ。で、なんぼ出せゆうんや」
「一口二〇〇万円でお願いします」
「今はとりあえず財団法人という形をとっていますが、いずれ政府出資の株式会社になる予定です。その時は出資者には優先的に上場前に株を配布させていただきます。私どもの研究が完成し世界のエネルギー源がメタンハイドレートに完全に切り替わったときの株価は天文学的なものになるでしょう」
 一週間迷った。良くできた詐欺かも知れない。しかしクラス委員長を紹介したのが吉崎だ。彼は信頼できる男だ。その彼が紹介した男だ。信頼できるに違いない。
 石油がなくなりかけていることぐらいは知っている。その代替えエネルギーを牛耳れば巨万の富を得られることは想像に難くない。
一口二〇〇万が二億にも二〇億にもなるだろう。
 もしこの話が本当ならば私は億万長者になるチャンスをつかんだことになる。確かに常識的に考えてこんな話が一介の失業者である私のところにくるはずがない。ところが私は片腕を三〇〇〇万で売るという、常識ではないことをやった男だ。さらに常識外れの義手を付けてもらっている。これだけ常識外れを経験したのならば、もう一つぐらい常識外れが有ってもいいだろう。
 常識外れで得た金だ。常識外れに投資してやろうという結論に達した。
 一週間後に再びクラス委員長とあった。相変わらず優等生然とした表情で待ち合わせの喫茶店でココアを飲みながら待っていた。
「考えてくれましたか」
「うん。考えた」
「お話をうかがいます」
「五口投資する」
「賢明なご決断です」
「いつごろ私の一〇〇〇万が化ける」
「三年後にはメタンハイドレートの採掘を商業ベースに乗せる予定です」

                             (つづく)


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