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とつぜんSFノート 第75回

 三代目桂春団治師匠が亡くなった。昨年、桂米朝師匠が亡くなり、これで上方落語四天王全員鬼籍に入られた。三代目桂春団治師匠、桂米朝師匠、先代桂文枝師匠、六代目笑福亭松鶴師匠。この4人の師匠がいなければ、小生は少しさみしい人生となっていただろう。
 小生の四大趣味といえば、SF、上方落語、料理、阪神タイガースということになるだろうか。
小生は兵庫県は西宮で生まれた。甲子園がある街だ。生誕の地は西宮市川添町。東からの風が吹けば甲子園の歓声が聞こえる所。だから阪神タイガースは生まれた瞬間にDNAに刷り込まれたかもしれないが、他の三つは後天的なモノだ。   
 料理歴は25年になるが、SFと上方落語はそれ以前、子供のころからだ。だからこの二つの趣味はけっこう長い。
小生の母親は、漫才や新喜劇といったお笑いが好き。そういうわけで、小生が子供のころには、ウチのテレビには、松竹新喜劇や吉本新喜劇、寄席番組がよく映っていた。今はすっかりなくなったが、昔は大阪は道頓堀の角座からの中継があったりして、寄席番組がけっこうあった。関西の寄席だから、漫才が中心。中田ダイマル、ラケット、若井はんじ、けんじ、海原お浜、小浜、平和ラッパ、日佐丸、なんかの漫才をよく見た。
 漫才の合間に、ごくたまに落語が放送されることもあった。小生は、漫才よりも、この落語により強く興味を引かれた。そのころの落語家で印象に残っているのが林家染丸。今の染丸師匠は4代目だが、ここでいう染丸師匠は3代目。丸顔でいつもニコニコした、エビス顔とはこういう顔をいうんだという顔をした噺家さんだった。この3代目染丸師匠のお弟子さんで林家小染という人がいた。今の小染さんは5代目で先代4代目林家小染である。「ヤング・オーオー」というテレビ番組があった。その番組で4人の若手落語家を「ザ・パンダ」という名前でセットで売り出した。桂きん枝、桂文珍、月亭八方、林家小染の4人である。きん枝、文珍、八方の3人は今も活躍しているのはご承知のとおり。あとの一人小染さんは、師匠の先代染丸をそのまま若くしたような人だった。丸顔でエビス顔。「おこりないなー」というギャグを持っていた。この先代小染さん、たいへん酒クセが悪い人だったとのこと。酒の上のエピソードには事欠かない人だった。飲んでいて、「車と相撲とる」といって、おもてに飛び出し、車にはねられて亡くなった。はねた車の運転手こそ災難だと思うが。大酒飲みで酒で命を落とした噺家だった。この先代小染さんが生きていたら、どんなに面白い噺家になったことか。
 小生は落語ファンであるが、個人的にお会いしてお話した落語家は一人だけだ。桂春輔師匠だ。ものすごくけったいな噺をする噺家さんだったが、ご本人もものすごくけったいな人だった。
小生が始めて生の落語に接したのは1975年神戸で行われた、第14回日本SF大会でだった。寄席や落語会ではない。SF大会だったというのがSFファンならではだと自分でも思う。初めての生落語が桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」なんだから、とても贅沢な体験をしたわけ。
 もとろん、小生はこの時の前から、落語好きだった。確か、高校生のころ、東芝EMIから桂米朝落語全集というレコードが出ていた。このレコードを小遣いで買った。全集全部はさすがに買えなかった。何枚か買った。その中に「地獄八景」もあった。そのレコード版「地獄八景」はテープに移し変えて今も持っている。このテープが小生の上方落語コレクションの第1号である。その後、テレビやラジオで上方落語が放送されるたんびにせっせと録音録画している。もちろんDVDやCDも買っているし、機会があれば、せっせと落語会にも足を運んでいる。上方落語は小生の大切な趣味だ。
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