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日曜午後五時

 日曜日の午後五時。大阪は梅田。紀伊国屋書店の前。大きな液晶テレビがある。
 紀伊国屋の入り口の横で待つ。周囲にはたくさんの人が待ち合わせている。雑踏の中に待ち人を確認して、笑顔で駆け寄る人。待ち合わせ時間を過ぎているのか、心配顔で時計を見る人。私は、どうやら後者のようだ。

「今度の日曜日午後五時。梅田の紀伊国屋の前で待ち合わせましょう」
「五時紀伊国屋ですね。判りました。ところで私たちは初対面です。目印が必要ですね」「そうですね。プロ野球の広島カープの帽子をかぶって行きます」
「はい。判りました。私は、ええと」
「あ、いえ。広島の帽子を見れば手を振ってください」

 五時十五分だ。広島の真っ赤な帽子は目立つから、すぐ判るはずだ。ここは関西だ。圧倒的に阪神ファンが多い土地柄。阪神の帽子をかぶった人は見かけたが、広島の帽子をかぶった人はまだ見かけない。
 六時まで待った。結局、待ち人は来なかった。約束をすっぽかされたか。いや、私が見逃したのかも知れない。こんどは私も帽子をかぶって行って、目印にしよう。阪神ファンの私はタイガースの帽子なら持っている。

「申しわけございません。どうしても外せない急用ができましたので」
「電話下さればよかったのに」
「すみません。たまたま電池切れでした」
「ま、すんだことはしかたありません。今度は私も目印に阪神タイガースの帽子をかぶっていきます」
「はい。私は前と同じ広島カープの帽子です」
 
 約束は午後五時紀伊国屋の前だ。今は四時三〇分。梅田の紀伊国屋の前まで余裕で行ける。阪神の帽子も用意したし、さて出かけるとしよう。ん、電話だ。
「はい。あ、ワシや。うん。うん。それで、容態は。わかった。すぐ行く」
「ああ、私です。すみません。急用ができました。え、来週の日曜日。場所時間は同じ。わかりました。目印は阪神と広島の帽子。ええ、それでOKです。どうも申しわけございませんでした。では、来週の日曜日に」

 このあたりでは火葬場で骨上げをすませると、そのまま初七日の法要を行うことが多い。遠方の親戚も多く、一週間後にまた来てもらうのもはばかられる。
 骨壺を抱いて葬儀場に戻る。なにかとかさばるオヤジであったが、こんな小さな骨壺に収まってしまった。
 火葬場についていかなかった親戚が、葬儀場の座敷の間で待っていた。
 肉親を亡くし喪主を務めるのは初めてだ。遺族なるものになったのも初めてだが、葬式屋がすべてやってくれる。
 オヤジがクモ膜下出血で倒れたとの連絡を受け、病院に駆けつけると、人工呼吸器をつけてベッドに横たわっていた。長男の私が到着したとの報告を受けて、主治医が来た。今夜が峠だ。臨終は夜中の十一時だった。
 一時間も経たないうちに葬式屋がやってきた。「寝台車を手配しましょうか」というから「お願いします」といった。それからはすべてがベルトコンベアーに乗せられた。
 実家のオヤジの部屋に遺体を寝かせると、葬式屋がカタログを開いた。葬式はその葬式屋の会館で行うこと、祭壇は最上級の一つ下のランク、呼ぶ坊主は浄土宗、戒名は居士ランク、火葬後、引き続いて初七日を行うこと、その時の会席料理は中程度の「白菊」会葬御礼に香典返しの品の選定。臨終から二時間以内にすべての段取りが決まった。決められた。 
「私、楠木と申します。お父上の部下でした。お父上にはひとかたならぬお世話になりました。亡くなられたことを今朝知りました。知っていれば、どんなことがあっても告別式に参列しておりました。それでなんとかお線香だけでも上げさせていただきたいと思いまして、今からうかがおうと思います」
 今は日曜日の午後四時半だ。今から出ないと五時に梅田に着けない。
「あの、申しわけありませんが、私、今から出かけなければなりません」
「すみません。もうすぐそこまで来ております。お線香を一本あげるだけで退散します」
 楠木がやってきたのは午後五時ちょうどだった。帰ったのは六時を過ぎていた。よくしゃべるじいさんだった。このじいさん、自慢話をしにきたのだ。
 自分がいかに有能な技術者で、そのためオヤジがどれだけ助かったか。オヤジは管理者としては有能だったが、技術者としては平凡な技能しか持ってなかった。オヤジのこの足らないところは、すべて自分がフォローしていた。そのおかげで、オヤジはマネジメントに専念でき部長になった。
 スキを見つけて電話しようと思ったが、楠木のじいさんのペラペラしゃべりにスキはなかった。電話をかけたのは六時すぎだった。
「まことに申しわけございません。急な来客がありました。ところでどうします。私たちが会うのは」
「もちろん、会いましょう。あなたもお忙しいようですね。来週の日曜の午後五時から少しだけ時間を空けておいてください」

 午後四時だ。少し早く着いたようだ。きょうはなんとしても、彼に会いたいものだ。電話ではしゃべったことはあるが、まだ一度も会ったことはない。
 彼のことは何も知らない。電話の声の様子から判断するに、私と同年輩の男と思われる。あと判っていることは、広島カープファンだということ。
 五時までまだ時間がある。少し時間をつぶそう。紀伊国屋の店内に入った。書店に入るのは久しぶりだ。最近は本はネットで買うことが多く、書店に足を運ぶことはとんとなくなった。
 本離れ、本が売れない、といわれているが、日曜の午後、大阪は梅田のど真ん中の書店である。大勢の客が店内にいて満員盛況。どこの書店もつねにこれぐらいの客が入れば、出版不況だなんていわれないだろう。
 店内をブラブラしつつ、興味を引く本をパラパラしていると、五時一〇分前になった。
 電話が鳴った。
「はい。ええ、ほんとですか?私、きょうはこのあと予定はありません。待てといわれれば、いつまででも待てますが」
「はい。ここではなく、近くの喫茶店ででも待ってます」
「うん、はい。はいはい。では、かっぱ横町の居酒屋『ききょう』で飲みながら待ってます。阪神の帽子をかぶってます。広島の帽子をかぶって来てください」
「いいですよ。私、明日は会社お休みです。あなたさえよろしければ痛飲しましょう。え、明日は振り替え休日ですよ。うん、それは大変ですね。では軽く一杯ということで」
 紀伊国屋書店の横を通って、阪急電車の高架下に行く。古書店が集まっているところをぬけると、阪急かっぱ横町。そこの入り口の二階にある居酒屋が「ききょう」だ。
 店の中に入る。入り口に近いカウンターに座る。ビールとやっこ、から揚げを注文する。
さすがに帽子をかぶって飲み食いするのは気が引ける。阪神の帽子は脱いで横に置く。
 入り口に近いカウンター席だ。横に阪神の帽子を置いて飲んでいる。店に入ってくれば嫌でも目に付くだろう。
 彼の会社は桜橋とのこと。ここまでは歩いてこれる。なんでも、仕事が忙しく、なかなか時間が取れない。なんとか抜け出してここまで来るとのこと。
 ビールを飲みながら、チラチラと店の入り口を気にする。
 仕事の都合でなん時ごろ来られるか判らないそうだ。彼と私は、このところ毎週、すれ違い行き違い急用をを繰り返し、未だに会えずにいる。今晩こそ会おう。二杯目のジョッキをあけたとき、思わぬ人物が奥から出てきた。
「あれえ、これは思わぬところで。久しぶりだな」
 高校の同級生だった男である。
「おれはちょくちょくここで飲むが、お前と会うのは初めてだな」
「おれもここではときどき飲むよ」
「飲む時間帯が違うんだな」
「もうお帰りか」
「いや二軒目に行くんだ。徳山と会うんだ。お前も知ってるだろ。柔道部だったヤツだ」
「知ってる。オレは中学もいっしょだった」
「だったら好都合だ。お前も来いよ。徳山も喜ぶ」
「うん。徳山とはオレも会いたいが、オレ、ここで人と待ち合わせてるんだ」
「そうか、だったらその人もいっしょに来たらいい。良かったらいっしょに飲もう」
 この男も徳山も、クラス会の二次会なんかで酒席をともにしたことがあった。二人とも、一人でも多くの人間と、ワイワイいいながら飲むのが好きだ。
「ちょっと待ってくれ。電話してみる」
 彼はまだ仕事中だった。なんとか一区切りついたら行くとのことだ。もう少し待ってくれといわれた。どうもかなり無理しているようだ。言外に次の機会を待ちたいような雰囲気がする。しかし、これだけすれ違いをやってきたのだから、いいだし難いようだ。
「あのう。よろしければ来週の日曜ということで、どうでしょう」
 電話だから相手の顔は見えないが、パッと表情が変わったのがよく判った。
「はい。では来週」
「聞いてのとおりだ。さ、行こう」
 その晩は三人でしこたま飲んだ。翌日は二日酔いでぐじゃぐじゃになった。
 
 取引のある業者から甲子園の切符をもらった。阪神VS広島戦の切符だ。日時は今度の土曜日。
 阪神電車の甲子園駅を出る。目の前は阪神高速の高架だ。その阪神高速の下をくぐる。甲子園球場の入り口が見えてくる。もらった切符は一塁側アイビーシートだ。プレイボールまでまだ時間はある。思いついて、レフト側の入り口まで歩く。さすがにカープの赤い帽子をかぶった人が多い。カープ女子とかで最近は女性のカープファンが多い。
 あの人もカープファンだ。まだ一度も会ったことがないからどんな人か知らない。あの人も私を知らない。でも、以心伝心というか、視線があえばピンと来るかも知れない。
 年かっこうは私と似たようなものだろう。四〇代後半というところか。
 決してがさつな男ではないだろう。それなりの紳士で、ある程度教養もあると思われる。
そんな男でカープファンである。私は阪神ファンである。甲子園にも年に何度か来るが、私はそうではないが、阪神ファンにはけっこうがさつな男が多い。もちろん阪神ファンにも紳士もいるが。
 レフト側入り口周辺をうろうろする。四〇代後半のカープファン。もちろん、そのあたりにいくらでもいる。それらしい人物を見かければ視線を合わせた。複数の人物と視線が合ったが、いずれも無反応だった。どうも、「彼」はここには来てないようだ。来てても合ってないかも知れない。合っても判らないだろう。
 試合は〇対一で阪神が負けた。試合が終わったのは一〇時近かった。投手戦で両チームとも点が入らないまま延長戦となった。一一回阪神の守護神オ・スンファンが広島四番の新井にホームランを打たれた。
 阪神電車甲子園駅に向かう。きげんの良くない四万人近い人間が、ぞろぞろと一つの駅に向かう。阪神甲子園はさして大きな駅ではない。中には駅に向かわず、近くの居酒屋でやけ酒を飲む者もいる。私は真っ直ぐ家に帰る。明日は日曜なので、少し飲んで行こうと思ったが、夕方のことが気にかかり、今日は飲む気がしない。
 明日の午後五時、梅田の紀伊国屋の前で待ち合わせをしている。その人とは、妙な具合で、日曜の午後五時になると、なぜかどちらかが都合が悪くなって会えない。明日は、私も、あの人も、なんとしてでも会おうということに決めた。

 日曜の午後五時。大阪は梅田の紀伊国屋の前。待ち合わせの名所である。多くの人が、人待ち顔で立っている。
 私は阪神タイガースの帽子をかぶっている。待ち人は広島カープの帽子をかぶってくることになっている。
 来た。広島の赤い帽子は目立つ。こちらに向かって歩いてくる。私と同じぐらいの年かっこう。想像したとおりの男だ。
 私の前で立ち止まった。
「○○さんですか」
「はい。△△さんですね」
「はい。はじめまして」
 握手した。
「さて、どうしましょうか」
「そうですね。そもそも私たちはの用事ってなんだったんでしょうねえ」
「わかりませんね」
「では、こうしましょう。なんの用だったか、思い出したら電話ください」
「はい。その時はまた、お会いしましょう」
「はい。日曜午後五時。場所はここで」
「では、そのおりに」
 こうして二人は別れた。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
これも面白いです (アブダビ)
2015-10-15 21:55:47
すれ違いで中盤のサスペンス。落ちには他の意見もあるかもしれませんが、
ランデブーに精力を使って、肝心な用件を忘れてた…って「思い当たり」があるので。私は腑におちました。
 
 
 
アブダビさん (雫石鉄也)
2015-10-16 04:39:28
ありがとうございます。
これ、書くの、だいぶん苦労しました。
 
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