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阪神大震災から17年

 今年も1月17日がやってきた。午前5時46分には黙祷をした。あれから17年たった。
 私は、神戸市東灘区で被災した。17年前の早朝、突然、大地が下から蹴り上げられたような衝撃を感じた。これが地震であると判ったのは、一呼吸おいてからだった。あとは、ひたすら上下にガタガタと揺さ振られていた。あれ以来、常に大地が突然揺れるのではないかという恐怖が頭の片隅にある。外を大型車両が通っただけでもビクッとする。
 関西人の私は、それまで大きな地震を経験したことはなかった。神戸には地震はあっても「大震災」は絶対にこないものと思っていた。ところが1995年1月17日以降は、日本に住んでいる限りは「大震災」はまぬがれないと思うようになった。
 このブログを始めてから、毎年1月17日は阪神大震災を回顧する記事を書いてきた。私のごとき市井の一個人が趣味でやっているブログで、何ほどの事が出来るとは思っていない。しかし、せめて、このブログをご覧になっている、読者にだけでも阪神大震災のことを、記憶に留めてもらいたいと思って、1月17日の日記を書いている。
 神戸市民の3分の1が阪神大震災を経験していないとのことだ。17歳以下の子供たちは震災を経験していないことになる。逆に見れば、私もふくめて神戸市民の3分の2があの大震災を経験した。この震災を生きのびた3分の2の大人たちは、あの日のあの朝の衝撃と、その後の壊れた町での生活、また、避難先での生活で得た経験知識知恵を後世に伝えていくのが務めだと思う。
 昨年の1月17日の日記では、私はこういうことを書いている

「阪神大震災以後も、日本で、世界で、大きな震災があり、数多の街が破壊され、多くの人が亡くなった。生きている惑星地球に住んでいる限り、大地の振動たる地震は必ず起きる。特に、マントル対流の太平洋プレートの沈み込みの真上にできた弧状列島に住む、私たち日本人にとっては地震は宿命ともいえる災害だ。
 近代都市が初めて経験する、直下型大地震を身を持って知った、私たち神戸市民は、その経験を後世に伝え、これからも必ず起きる地震の被害を、少なくし、1人でも多くに人命を救う。それが、真の神戸の復興となるのではないか。
 阪神大震災で亡くなった6434人の命は戻らない。しかし、これからの地震で失われるかも知れない6434人は、救うことが可能だ」

 私がこの記事を書いて2ヶ月後に2011年3月11日を迎えた。15843人が亡くなった。2ヶ月後も「後世」なのだ。「大震災」の経験は一時一瞬たりとも忘れてはならない。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
せめて・・・ (まろ)
2012-01-17 20:51:12
もう何年も前の「朝日歌壇」にこんな歌がありました。

 戦いに 飢え病みし子が 画面にいる
 せめて酒杯を 置きたまえ父よ

どれほど人類が繁栄しようとも戦火や飢えは、今なお地上の現実です。この歌は確か女子高生の作品だったと思うのですが、茶の間で酒杯を重ねる父親の目の前のテレビでは
中東の戦火やアフリカの飢餓を伝えるニュースが流れていて、それを漫然と見ている父親に娘さんはささやかな憤りを覚えたのでしょうか。
誰しも悲惨な記憶には目をふさぎがちですが、せめてその現実を目の当たりにした時ぐらいは、粛然として酒杯を置謙虚さや優しさが欲しいと娘さんは思ったのかも知れません。
あの大震災から17年、茫々たる時の流れの中で、記憶が風化していくことは仕方がないとしても、せめて1月17日だけは、あの日を思い、ひととき酒杯を置くような人間でありたいと、私は思うのです。
人間は「忘れる動物」ですが、絶対に忘れてはいけないことだって世の中にはあるんだと叫びたい思いです。
死んだ人間を忘れない、というのは能力の問題だと思うのですが・・・ごめんなさい、とりとめのないコメントで。
 
 
 
まろさん (雫石鉄也)
2012-01-18 10:11:28
私は、「阪神」「東日本」二つの大震災で友人知人を亡くしました。「阪神」では私が住むマンションの家主さん、近くの八百屋さん、中学のクラスメート、先生。「東日本」では長年のSF関係の友人。
彼らの遺族には地震のことは忘れてしまいたい。という人もいます。身内を亡くした悲しさは、簡単に癒えることはないでしょう。
これは、地震のことを忘れたいというのではなく、地震で大切な人を亡くした、という「悲しい事」を忘れたいということだと思います。
神戸に、東北にあった地震の記憶は風化してはならないと、私は思います。このことは、私が知っている遺族たちも賛成してくれると思います。
 
 
 
災害 (giants-55)
2012-01-19 13:47:17
書き込み有り難う御座いました。(レスは当該記事のコメント欄に付けさせて貰いました。)

東日本大震災による津波で大きな被害を受けた地域では、大昔の津波の被害を記した石碑等を見直す動きが出ているとか。苔生し、中には朽ち掛けた物も在り、3.11迄は殆どが意識していなかった石碑の数々。普段より意識していたならば、犠牲者の数も大幅に減っていたかもしれません。

哀しいかな、人間は「忘却する生き物」です。哀しい記憶も、徐々に薄れて行ってしまう。「薄れて行ってしまうからこそ、幸せなのだ。」という考え方も在るけれど、災害の記憶は「新たな犠牲を減じる。」意味でも忘れてはいけない。「記憶遺産」という表現が在るけれど、大事にしないといけないでしょうね。
 
 
 
giants-55さん (雫石鉄也)
2012-01-19 14:23:45
まろさんへのコメントでも書きましたが、ご遺族の中には、地震のことを忘れたいとおっしゃる方がおられます。
でも、彼らの一番の願いは、こんな悲しい遺族は私たちだけにしたい。ということでしょう。ご遺族は「悲しみ」は
忘れたいけれど、地震の体験は憶えておいて、後世に伝えたいでしょう。
日本に住む限り地震は必ずあります。次の大震災の犠牲者を少しでも少なくすることが、私たち「大震災」を知っているものの義務ではないでしょうか。
 
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