雫石鉄也の
とつぜんブログ
屍者の帝国
伊藤計劃×円城塔 河出書房新社
本書を読んで、あらためて伊藤計劃の死を惜しく思う。伊藤計劃が単独でこの作品を完成していたら、ものすごく面白い冒険SFになっていただろう。
数年前、伊藤が生前に書いた冒頭30枚がSFマガジンに載った。ものすごく面白く、後を読めないことが大変に残念に思ったものだ。その作品が完成した。伊藤の遺志を継いで完成したのは円城塔。喜んだ。そして不安もあった。小生は円城塔はよくわからぬ。現代のSF作家としては、最もノッテる作家だとは思うが。円城の作品のどこが良いのか理解できない。これは、たんに小生がアホだから円城塔が判らないのか(そういえば元都知事も円城塔は判らんとおっしゃってた。小生がアホだとすると元都知事もアホだな)、アホではないが小生と円城塔はソリが合わないのか、自分ではよく判らん。
結論をいう。不安が的中した。第1部は面白かった。ところが第2部、第3部と話が進むに連れて、あたかもマラソンランナーが息切れするように、面白くなくなり、わけが判らなくなり、第3部の後半からエピローグにかけては、もうぐちゃぐちゃ、何をウジウジゆうとんねんという感じ。
主人公は医学生のワトソン。後にシャーロック・ホームズの相棒となる、あのワトソンと思われる。19世紀。死者に擬似霊素をインスツールして、屍者として蘇らせ労働力として使用している。ロボット3原則のような屍者3原則もあって、屍者は文明を支える最重要なものとなっている。
ワトソンはイギリスの秘密情報機関「ユニヴァーサル貿易」のエージェントとして世界を駈ける。同行するのは豪傑バーナビー大尉。屍者の書記フライデー。
アフガニスタンの奥地に屍者の国を創ろうとしている男がいる。この企みをロシアのエージェントとともに探りに行くという、映画「地獄の黙示録」を彷彿とさせる話が第1部。そして第2部では日本に飛ぶ。アメリカに渡って、イギリスに戻って来るというのが大まかなお話。いちおう本書は冒険小説に分類されるかと思うが、円城塔は冒険小説にむいていない。円城の描くキャラは行動しない。うだうだと講釈をたれるだけだ。
500頁近い分量だが、全部読むことはない。第1部だけ読めば充分だ。つくづく残念なり。伊藤計劃が全部書いていたらなあ。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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伊藤計劃×円城塔も存じませんが、シャーロック・ホームズの相棒のワトソンが出て、擬似霊素をインスツールする等、凝ったSFのようです。
意味が分かり難いほど哲学的である等と評価されたりしますから、読者としては悩ましいですね。
わずかワンショットにヒットした拙ブログからのTBもよく分からぬと見放されたかも知れません。
SFの年間ブックガイド「SFが読みたい」毎年2月に出ますが、それの国内SF第1位は、たぶんこの作品でしょう。
伊藤計劃はおしくも亡くなりました。残念です。円城塔は今、最も嘱望されている日本のSF作家ですが、私とは、もひとつそりが合いません。
貴ブログのTBの記事、私、「地獄の黙示録」観ましたし、DVDも持っておりますので、よく判りますよ。
私も一部までは楽しみましたが、後の混乱には不満です。評判は良いのですが。
ゾンビのインフラ利用には色々と現代社会を紐解くネタがあるとは思うです。
ただ…こっちは文学を求めているわけではないので…
昔、山田正紀氏がアグニで直木候補になり、人が描けてないとか、文学性や社会時評性がないとかで落選しましたね。
SFの使命がエンタメだけとはいわないですが、別に純文学じゃないのだから、一部以後に引っ張り続けるだけの力は見せて欲しかったです。
思索的で面白い部分もあるけれども、例えば「神狩り」はヒーロー達がその思索を証明する為に行動を取るでないですか。
読者を知的な興奮させる内的なアクションと、登場人物を大きく動かす外的アクション。どっちもないとエンタメとしては失格と思います。
この作品、伊藤計劃が全部書いてたら、もっと読みやすかったと思います。
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