雫石鉄也の
とつぜんブログ
スターウォーズ フォースの覚醒
監督 J・J・エイブラムス
出演 デイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アダム・ドライバー、マーク・ハミル
不覚にも鑑賞中、何度もうるうるときて涙を流しそうになった。まず、オープニング。例の画面の奥に流れていく字幕で、「EPISODEⅦ」を見たとき。うう、この字幕で「Ⅶ」という数字を見れる日がこようとは。長生きはするもんじゃ。ケホケホ。
ミレニアム・ファルコンが映った時。ハン・ソロとチューバッカ。レイアが出た時、そしてルークとの32年ぶりの再会。これらのシーンでうるうるときた。
では、この映画うるうるくるほどの傑作かというとそうではない。確かに娯楽活劇映画としてはよくできている。しかし、正直、小生が求めたものを得ることはできなかった。
もし、小生が1976年に冷凍睡眠に入り、(1976年というとスターウォーズ1作目 エピソード4 新たなる希望が公開される前、小生はもうSFもんとなっていて、なんでもアメリカで「惑星大戦争」という映画がつくられていることは知っていた)2015年12月に目覚めて、この映画を観たら、大喜びして大感激するだろう。しかし、小生は冷凍睡眠に入らず、39年間SFもんとして生きてきた。もちろん今まで公開された6作全部観ているし、DVDも持っている。そんな冷凍睡眠してない小生のこの映画を観た感想は、第1作目エピソード4の焼き直しじゃないのということ。
エピソード4は少年ルークがデススターに囚われたレイアを助け出す話しだった。このエピソードⅦは少女レイが行方不明のルークを探す。超兵器が発射される。こくこくと危機が迫る。必死で空爆するXウィング戦闘機。敵基地の中枢部に侵入するソロ。基地内であばれるレイ。最後はぼかちんと大爆破してめでたしめでたし。ほとんどお話の構造はエピソード4じゃないか。男の子のルークが女の子のレイに変わっただけ。
最初にいったように小生がうるうるきたのは、映画が良くてうるうる来たのではなく、懐かしさにうるうるきただけである。小生は30歳年取った。ソロもレイアもルークも30歳年取った。じいさんのソロ、ばあさんのレイア。うう、お互い年取ったなあ。ワシもこの30年いろいろあった。そんな想いでうるうるきたわけ。
この映画、先行6作の蛇足である。たぶん小生はエピソードⅧもⅨも観るだろう。でも、どんな映画か想像できる。たぶん蛇足だろう。小生の想像を超えるエピソードⅧとⅨであらんことを願う。
フォースとともにあらんことを。
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その一年前に故の野田大元帥のSFマガジンのレビューを読んでから、一年我慢したので、よく覚えてます。
でもエピソード4とか書いてませんでしたが…その次か次の、ルークが親父に片腕を切り飛ばされて、ハンソロがカーボン浸けになる話まではロードショーで見ているはずですが。そのような記憶はないのですが。その後、何故か観てません。
いつか観ようと放置していたら、90年代ころからやたらと作品が連作されて、面倒になってやめてしまいました(笑)
今、正規のシリーズでエピソードがいくつあるのかも解らないですが。
私も待ちどうしかったです。
谷甲州が日本公開前にロスで観てます。どうだったと聞くと「ものすごくスピード感ある映画」といったのを憶えてます。
ルーカス、スピルバーグの映画の特徴かもしれませんね。ジェットコースターなムービーというのは。
たしか胃カメラをコンピューターに接続したような装置を用いて、デススター模型の表面を走らせて、ドッグファイトを撮影したと聞きます。
それから段々と、コンピューターで模型を画像に合成する手間が面倒になってきて、
ついにCGで全て造り出す方向に行ったとか…ルーカスはその為にlIMを設立して、
画像処理会社の社長になり、実作とは離れたと聞きます。
なので、このシリーズの登場から、ハリウッド映画が変わっていったと言えるのかも知れませんね。
で、この最新作では、CGはひかえめでした。
ハリウッドの特殊撮影は「2001年宇宙の旅」で大きく進化して、ルーカス、スピルバーグの映画で完成したといっていいかもしれません。
で同窓会で、お互い歳とったなぁ、と懐かしがってきたんですね。
シリーズ物は1作目のインパクトが強いほど、作る側も見る側もその後遺症に引きずられてしまいがちです。
後継作に違ったインパクトがあると「これは別物だ」という評価も出てくるだろうし、これは仕方が無いことかも。
そうですね。確かに私のように1作目からのファンとしては、同窓会的感激でしたね。
ハリソン・フォードもキャリー・フィッシャーもマーク・ハミルも実年齢で年とった、その年をとった役の設定で演じてたので良かったです。1作目とまったく同じ俳優だったのが成功してました。
「マッド・マックス」は1~3作はメル・ギブソンで、このたびの4作目はトム・ハーディ役者が変ってました。でもマッド・マックスは派手なアクションが主役なのであまりきになりませんでした。
レイもそうでしょうし、レンも、何か前世代の役割を継いでいるとは思います。それが、善玉であれ悪玉であれ、今を継ぐ次世代には、先達が遺した行動の結果は関係がないのでは。
時間は経てども、魅力的な俳優陣が、健在なのが良かったです。
ルークはともかくとして、レイアは良かったです。正直、前期3部作のキャリー・フィッシャーは、私は不満でした。お姫様なんだから、もうちょっときれいな女優はいなかったのかと。その点、後期3部作のナタリー・ポートマンはきれいで満足です。
で、このたびの30年後のばあさんのレイア。良かったです。キャリー・フィッシャー、いい年の取り方をしましたね。魅力的なばあさんになってました。
ハリソン・フォードはあいかわらずのハリソン・フォードでしたね。
それよりもキャリー・フィッシャーが変わってましたね。EP4のころの若いレイア姫は、いもねえちゃんでブサイクでしたが、年とって、いい感じのおばあちゃんになってました。
当方も、そんな印象をもちました。
ジョージ・ルーカスの手から離れたシリーズですから、観客動員の方に力点が働き、安易な焼き直しに傾いたのでしょうか。
上映後、男が女に「最高やったな」といってました。女は「ごっつい面白かった」といってました。
第1作の時は彼らは生まれてなかったのでしょうね。
初めてスターウォーズ映画を観る人にとっては、この映画はいい映画だと思いますよ。
日本の戦後SF70年として、明らかに最も成功した和製スペースオペラは、田中良樹の
「銀河英雄伝説」だと思います。
中国や台湾に翻訳されて、絶大な人気を持つことといい、クラッシャー・ジョーなんか足元にも及ばない。
今で言うラノベに相当する小説ですが、
今読んでも、宇宙戦争に「補給線」の概念があり、政治力学のある抗争を描いている点で!到底に子供だましではない。
ティーンを対象としてはいたでしょうけど、「異なる政治体系の国家」の宇宙戦争であり、そこに正義も悪も存在しないのはリアルでした。
私が高校の時に、これに出会って、スターウオーズを「相手にしなくなった」のは明らかです。
だって帝国=悪
共和制=正義
じゃあ、なんだって共和制に「騎士」がいる?
ナイトの意味を知らんのか?
封建制度なくして騎士は存在しな得ないのだけど。
レイア姫って何?
共和制に王族はおらんだろ?
これが日本や英国のように皇室や王室を持つ立憲君主国なら解るます。しかし、完全に共和制のアメリカ人が、姫だの騎士だの騎士団が共和制下に存在するのを見て、何の疑問も抱かないのが不思議。
日本のSFはラノベでも、インテリがニヤリとする要素がないと受けない。
アメリカの映画は教育のない不法移民でも解るくらいに単純でないと受けない。
スターウオーズをくさする訳ではありませんが、アメリカの庶民は知的程度が低い!
そう思わざる得なかったのが、30年ぶりのスターウオーズ鑑賞でした。
中国出身の若い同僚たちと、SF論議をする契機になった作品です。
ハリウッドだけがエンタメの到達点ではなく、アジアにまたがけて、アジアに根差して人気をえた日本SFもあるんたぞ!
そう言いたいのです。
因みに、共和制の腐敗をこれほど醜く描いたSFも稀であり、
腐りきった共和制を支えるのが楊威利(ヤン・ウェンリー)という東洋系の将軍であり、天才的な用兵家でありながら、あくまで戦争を忌み嫌う男であったのも斬新でした。
正義の旗を翻すスターウオーズのヒーロー達に、アメリカの傲慢さをどうしても私は見てしまうのです。
そんな描写のあるスペオペは他に読んだことがありません。
確かに私はスペオペが好きですが、スミス、ハミルトン、などの、野田さん好みの古いアメリカのスペオペが好きなんです。
私は、スーウォーズ大好きです。新作を見たのをきっかけに古いのを見直してます。週に1本。きのうはエピソード5「帝国の逆襲」を見ました。やっぱり面白いです。
エピソード9までつきあうつもりです。
「騎士」ですが、字幕では騎士と訳されてますが、原語では「ジェダイ」といってます。ジェダイは騎士とは少し違います。帝国側にも「シス」というのがいます。
38年前に第1弾をリアル・タイムで見た人間としては、どうしても其れと今回の作品を比較してしまいますね。雫石様も書かれていた様に、スター・ウォーズ・シリーズ」に今回初めて触れた方ならば、「凄い!」と思う内容でしょうが・・・。
自分の場合、「凄い!」と思う以上に、「懐かしい!」というのが先行してしまう内容でした。面白い無い様なのは確かですが。
「すごい」とは思えませんでしたが、「懐かしい」は、ものすごく思いました。
特に、キャリー・フィッシャー、若いころは、さして美人とは思えませんでしたが、おばあさんになって、感じが良くなりました。いい、おばあさんになりましたね。
キャリー・フィッシャーさん、自分の中では「か細くて、可愛い感じの女性。」というイメージがずっと在ったのですが、今回記事を書くに当たって過去の写真を見た所、思っていた程か細くなく、又、凄く可愛いという感じでも無かった事が意外でした。
恰幅は良くなったけれど、仰る様に良い感じの老け方をしましたね。髪型も凄く良かったし。
若いジェダイたちは、指揮官であるならば、軍隊のルーティンの要請として、騎士としての栄誉に浴するという事はあると思います。現代でも爵位の贈呈は民主国家でもありますし、ジェダイ道が、為政者たる者のマナーであり、求道であると考える事は出来るのではないですか。
ジェダイはフォースを懸け橋として、ダークサイドのシスを貶めるものであって、求道者が、権力に近づいた末路という事でしょう。武力を争点としているという意味では、双方の対決は、如何にも王道で、どれだけ、SWの本筋が、政治的になっても、時代劇としての芯があって、そこは安心して観れると思うのですよ。ストーリーの重厚さよりもテクニックの映画なのだと思います。
ところで、BB8はサッカーボールのようですね。さぞかし、選手も蹴り甲斐がありそうです。
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