雫石鉄也の
とつぜんブログ
たった一度の甲子園
「先生、どうなんですか。父は」
「はっきり申し上げまして、1ヶ月です」
「そうですか。1泊ぐらいの旅行はできますか」
「もう、ご本人のしたいようにさせてあげてください。旅行も賛成です。今はまだ体力が残っていますので、お父上のご希望なら私からも勧めます。どちらへ行かれるのですか」
「はい、兵庫県の西宮市です」
父は子供のころからの熱狂的な阪神ファンだった。阪神は1985年、2003年、2005年と3度優勝したが、その時の父の喜びようはすごいものだった。特に1985年の日本一になった時と、18年ぶりに優勝した2003年の時は、大の大人の父が涙を流して喜んだ。
そんな父の夢は甲子園で、生の阪神の試合を見ること。ウチは鳥取県で養豚業をやっている。父は朝早く起き、たくさんの豚のめんどうを見て、夜、焼酎を片手にテレビで阪神の試合を観戦するのが生きがいだった。勝って喜び。負けて嘆く。一生に一度でいいから甲子園で阪神の試合をこの目で見たい。これが口癖だった。ところが養豚業は生き物が相手。豚にとって人間の休日は関係ない。1日も手を抜くことはできない。父の育てる豚は、知る人ぞ知る豚肉の名品だった。特にバラ肉は鳥取の宝肉として中華の名店が取り合いをする。脂肉と赤肉との割合が絶妙で、脂の甘さ赤肉の旨味が渾然一体となった、豚バラ肉の王者とされていた。
1日ぐらい私たちが豚のめんどうを見ているから、甲子園に行ったら、と勧めるが、行きたいのはやまやまだが、豚は俺がみなきゃならんのだ。といって聞かない。
そんな父が身体の異変を訴えた。お腹が痛いといいだしたのは梅雨のころだった。近くの内科医に診てもらったが、たんなる食あたりということ。薬を処方してもらったが良くならない。嫌がる父を説き伏せ、県立病院に検査入院させた。豚のめんどうは私たち家族が見た。父は病院から2時間おきに豚の様子を聞いてくる。もちろん阪神は病院のベッドで観戦していた。
検査の結果が出た。末期の膵臓癌。手術は不可能。化学療法と放射線療法の併用で治療が行われた。しかし決定的な治療とはならなかった。あれから4ヶ月。主治医が最終結論を出した。
どうせ西宮へ行くのだから、3泊ぐらいして神戸や京都を観光してきたら、という私の勧めに父はうんとはいわなかった。豚のめんどうを見なくてはいけない。1試合だけ甲子園で阪神を見ればいい。私が父に付き添って行くことになった。
2011年10月18日芦屋のホテル竹園に泊った私たちは、タクシーで甲子園まで行った。生まれて初めて見る甲子園に父は目を輝かせた。場内に入って1塁側シートに座った。スタンドは空席が目立った。いつもテレビでしか見ていない甲子園に父は浮かれていた。ビールを飲みたいといった。医者に飲酒は止められていたが、通路を行き来している売り子さんからアサヒスーパードライを買った。弁当も買って来てくれというので、私が買いに行った。私もこんな所に来るのは初めてだから様子がよく判らない。新井の穴子重と錦を飾る桧舞台弁当を買った。
試合が始まった。目の前にブラゼルの広い背中が見える。今日の先発はメッセンジャーか。メッセンジャーが点を取られたびに、父は横で大きなため息をついた。必ず逆転してくれると、父は穴子を食べながら応援した。ところがヤクルトの館山は3塁さえ踏ませてくれない。
結局、試合は阪神の完封負け。
「せっかく俺が生まれて初めて甲子園まで見に来たのに、情けない負け方をしたな」
甲子園から帰って2週間後に父は息を引き取った。父の生涯にただ1度の甲子園観戦は阪神の惨敗に終った。
と、こういうファンもおるかもしれんのに、ようもこんなしょうもない試合をしたな。消化試合といっても手を抜くな。
「はっきり申し上げまして、1ヶ月です」
「そうですか。1泊ぐらいの旅行はできますか」
「もう、ご本人のしたいようにさせてあげてください。旅行も賛成です。今はまだ体力が残っていますので、お父上のご希望なら私からも勧めます。どちらへ行かれるのですか」
「はい、兵庫県の西宮市です」
父は子供のころからの熱狂的な阪神ファンだった。阪神は1985年、2003年、2005年と3度優勝したが、その時の父の喜びようはすごいものだった。特に1985年の日本一になった時と、18年ぶりに優勝した2003年の時は、大の大人の父が涙を流して喜んだ。
そんな父の夢は甲子園で、生の阪神の試合を見ること。ウチは鳥取県で養豚業をやっている。父は朝早く起き、たくさんの豚のめんどうを見て、夜、焼酎を片手にテレビで阪神の試合を観戦するのが生きがいだった。勝って喜び。負けて嘆く。一生に一度でいいから甲子園で阪神の試合をこの目で見たい。これが口癖だった。ところが養豚業は生き物が相手。豚にとって人間の休日は関係ない。1日も手を抜くことはできない。父の育てる豚は、知る人ぞ知る豚肉の名品だった。特にバラ肉は鳥取の宝肉として中華の名店が取り合いをする。脂肉と赤肉との割合が絶妙で、脂の甘さ赤肉の旨味が渾然一体となった、豚バラ肉の王者とされていた。
1日ぐらい私たちが豚のめんどうを見ているから、甲子園に行ったら、と勧めるが、行きたいのはやまやまだが、豚は俺がみなきゃならんのだ。といって聞かない。
そんな父が身体の異変を訴えた。お腹が痛いといいだしたのは梅雨のころだった。近くの内科医に診てもらったが、たんなる食あたりということ。薬を処方してもらったが良くならない。嫌がる父を説き伏せ、県立病院に検査入院させた。豚のめんどうは私たち家族が見た。父は病院から2時間おきに豚の様子を聞いてくる。もちろん阪神は病院のベッドで観戦していた。
検査の結果が出た。末期の膵臓癌。手術は不可能。化学療法と放射線療法の併用で治療が行われた。しかし決定的な治療とはならなかった。あれから4ヶ月。主治医が最終結論を出した。
どうせ西宮へ行くのだから、3泊ぐらいして神戸や京都を観光してきたら、という私の勧めに父はうんとはいわなかった。豚のめんどうを見なくてはいけない。1試合だけ甲子園で阪神を見ればいい。私が父に付き添って行くことになった。
2011年10月18日芦屋のホテル竹園に泊った私たちは、タクシーで甲子園まで行った。生まれて初めて見る甲子園に父は目を輝かせた。場内に入って1塁側シートに座った。スタンドは空席が目立った。いつもテレビでしか見ていない甲子園に父は浮かれていた。ビールを飲みたいといった。医者に飲酒は止められていたが、通路を行き来している売り子さんからアサヒスーパードライを買った。弁当も買って来てくれというので、私が買いに行った。私もこんな所に来るのは初めてだから様子がよく判らない。新井の穴子重と錦を飾る桧舞台弁当を買った。
試合が始まった。目の前にブラゼルの広い背中が見える。今日の先発はメッセンジャーか。メッセンジャーが点を取られたびに、父は横で大きなため息をついた。必ず逆転してくれると、父は穴子を食べながら応援した。ところがヤクルトの館山は3塁さえ踏ませてくれない。
結局、試合は阪神の完封負け。
「せっかく俺が生まれて初めて甲子園まで見に来たのに、情けない負け方をしたな」
甲子園から帰って2週間後に父は息を引き取った。父の生涯にただ1度の甲子園観戦は阪神の惨敗に終った。
と、こういうファンもおるかもしれんのに、ようもこんなしょうもない試合をしたな。消化試合といっても手を抜くな。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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それを除いて、とてもいい作品ですね。
素直に感動しました。
凄い設定ですねwww
まあ、ガラガラの球場のおかげ?かどうか知りませんが、真弓監督が消えるのはありがたいんじゃないですか?
それよりも落合ですよ。
球団オーナーと握手して後ろにいた社長の握手は拒否したのがワロスwww
よくやったな!と思いました。
でも、これはショートショートのカテゴリーではなく、タイガースのカテゴリーの記事です。阪神があまりにふがいない負け方をしたので、ハラが立って思わず書いてしまいました。
落合さんも意趣返しできましたね。
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