近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

古墳あれこれー間違って治定された天皇陵とは!そのⅣ

2011年09月19日 | 歴史
天武・持統合葬の後、平安時代~室町時代の天皇陵は、薄葬によって位置を特定することが困難なものや陵が置かれた寺院が廃滅したことによって所在が不明になってしまったものなどが多く、天皇陵の治定に関し、ますます歴史学的・考古学的信頼度は低下する。

後白河天皇の法住寺陵、後醍醐天皇の塔尾陵などのように近世にいたるまで管理され、伝えられたものはむしろ少数派。





写真は、京都市東山区の後白河天皇法住寺陵及び奈良県吉野町の後醍醐天皇塔尾陵。

現在天皇陵とされる古墳の中には、その天皇の治世と古墳の築造時期が大幅にずれている例が存在する。

継体天皇陵として治定されている太田茶臼山古墳はその典型例で、実際の築造時期は継体天皇の治世より約1世紀前にあたる、と推定されている。

逆に、天皇陵指定を受けていないが、考古学者によって天皇陵と推定されている古墳も少なくない。これらの古墳は指定を受けていないが故に学術調査が可能で、被葬者の特定が可能となった。

宮内庁は学術的信頼度については「たとえ誤って指定されたとしても、祭祀を行っている場所が天皇陵である」とし、天皇陵の治定見直しを拒絶している。

近年では、「墓誌など被葬者を特定できるような確実な証拠が発見されなければ、見直す状況にはならない」とし、証拠の発見など、状況によっては天皇陵の治定見直しを行う可能性もあることを示唆している。

考古学界も天皇陵指定を受けていない天皇陵と推定されている古墳に関しては、墓誌などが出土したわけではないので、あくまでも推定でしかないとの立場を取っている。

このため、学界内部に於いても、治定見直しを行うような論議は一切行われていない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿