近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

滋賀県愛荘町の金剛寺野古墳群とは!

2010年09月14日 | 歴史
これからも、滋賀県下の古墳群を巡ります。

金剛寺野古墳群は、愛荘町の宇曽川沿い、国道307号線をはさんで広がっている。

6世紀後半から7世紀頃、この地で活躍した渡来系豪族の依智秦氏(えちはたうじ)の一族の古墳群と考えられ、全体で300基ほどが確認されている。

昭和51・52年に圃場整備事業に伴い、事前発掘調査が行なわれた結果、県下でも最大規模の300基近い古墳群が発見されたが、戦後の開墾によりほとんどの墳丘は破壊され、農地化されてしまった。







写真は上から、現在の“依智秦氏の里古墳公園”で、湖東三山と湖東自然散策道及び近江米の田圃に囲まれている様子。

最下段の写真は、圃場整備事業完了時に建てられた記念石碑。

「依智秦氏の里公園」には、上蚊野地区の円墳10基が保存され、これらは県史跡に指定されている。

平成の名水百選の一つに選出されている「愛荘町山比古湧水」のある滋賀県愛知郡愛荘町は、人口が約2万人で、滋賀県の中央東部にある町。

愛荘町は、2006年2月に、秦荘町と愛知川町の合併により誕生した。

愛荘町の観光スポットには、竹平楼・八幡神社・みゆき公園・目賀田城跡公園・国史跡の金剛寺庭園・歴史文化博物館・ふれあい広場・手おりの里金剛苑・宇曽川ダム・依智秦氏の里古墳公園などが所在する。





写真は、“依智秦氏の里公園”入口の看板と同公園の風景。

愛荘町の上蚊野地区には102基、近くの蚊野外古墳群には196基の古墳、併せて“金剛寺野古墳群”と称されているが、ほとんどが農地になった。





写真は、本古墳公園内の3号墳・こうもり塚古墳と7号墳・たぬき塚古墳。

古墳公園内10基の古墳のうち、こうもり塚は、横穴式石室を持つ構造で、大型の円墳であり、家族墓として使われたらしい。

一方たぬき塚は、竪穴系横口式石室と呼ばれる、階段式石室構造をもつ、小型古墳。

本古墳には2種類の異なった構造の石室を持ち、一つはこうもり塚古墳のような横穴式石室で、もう一つは、たぬき塚古墳の竪穴系横口式石室と呼ばれ、階段式の石室構造になっている。







写真は、たぬき塚古墳の石室入口と石室内部及び同石室から出土した、須恵器の長頚形壷。
写真のように、羨道より玄室が35cmほど低く、階段状になっている。

この竪穴系横口式石室は、関西地方でも類例が見られるが、全国的には北九州地方に集中していると云う。

このように北九州とのかかわりが深く、特異な石室形態と相まって、渡来系豪族の依智秦氏に関係が深いと推測されている。

古墳に「こうもり塚」や「たぬき塚」という名前が付いているが、昔、古墳の中に実際にタヌキやコウモリがすみついていたことから、この名が残っていると云われている。

渡来系氏族の秦氏は、先進の土木技術・農業技術を用い5世紀末頃から京都盆地を開発した豪族で、朝廷の側近として、平安京の造営にも関わったといわれるほどの勢力を持ち、京都の太秦にその地名を残している。





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