これからも、滋賀県下の古墳群を巡ります。
金剛寺野古墳群は、愛荘町の宇曽川沿い、国道307号線をはさんで広がっている。
6世紀後半から7世紀頃、この地で活躍した渡来系豪族の依智秦氏(えちはたうじ)の一族の古墳群と考えられ、全体で300基ほどが確認されている。
昭和51・52年に圃場整備事業に伴い、事前発掘調査が行なわれた結果、県下でも最大規模の300基近い古墳群が発見されたが、戦後の開墾によりほとんどの墳丘は破壊され、農地化されてしまった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/52/c5248b7a09dc66bc0b55be3f695db34c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/c4/4056ca3c2f3c4cffd208d09b62ace568.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fc/011f916b16cf9b866a13ecfa2e102d98.jpg)
写真は上から、現在の“依智秦氏の里古墳公園”で、湖東三山と湖東自然散策道及び近江米の田圃に囲まれている様子。
最下段の写真は、圃場整備事業完了時に建てられた記念石碑。
「依智秦氏の里公園」には、上蚊野地区の円墳10基が保存され、これらは県史跡に指定されている。
平成の名水百選の一つに選出されている「愛荘町山比古湧水」のある滋賀県愛知郡愛荘町は、人口が約2万人で、滋賀県の中央東部にある町。
愛荘町は、2006年2月に、秦荘町と愛知川町の合併により誕生した。
愛荘町の観光スポットには、竹平楼・八幡神社・みゆき公園・目賀田城跡公園・国史跡の金剛寺庭園・歴史文化博物館・ふれあい広場・手おりの里金剛苑・宇曽川ダム・依智秦氏の里古墳公園などが所在する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/eb/6dafc1cfb3bb7c6f6df6da448b2f2de6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/78/b3f6a3165b342161750d41b87f1755ef.jpg)
写真は、“依智秦氏の里公園”入口の看板と同公園の風景。
愛荘町の上蚊野地区には102基、近くの蚊野外古墳群には196基の古墳、併せて“金剛寺野古墳群”と称されているが、ほとんどが農地になった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/d6/57827c07020e15707ea87124548303e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/d6/264da5724ecdac52e37ab7ee63288ff9.jpg)
写真は、本古墳公園内の3号墳・こうもり塚古墳と7号墳・たぬき塚古墳。
古墳公園内10基の古墳のうち、こうもり塚は、横穴式石室を持つ構造で、大型の円墳であり、家族墓として使われたらしい。
一方たぬき塚は、竪穴系横口式石室と呼ばれる、階段式石室構造をもつ、小型古墳。
本古墳には2種類の異なった構造の石室を持ち、一つはこうもり塚古墳のような横穴式石室で、もう一つは、たぬき塚古墳の竪穴系横口式石室と呼ばれ、階段式の石室構造になっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fb/4b8c4225e2a2fadf73a3a0531036ab82.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/8a38a95a7f5baaee389e17972b5643d4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fe/fa19ca81edc8588874498beeda69c938.jpg)
写真は、たぬき塚古墳の石室入口と石室内部及び同石室から出土した、須恵器の長頚形壷。
写真のように、羨道より玄室が35cmほど低く、階段状になっている。
この竪穴系横口式石室は、関西地方でも類例が見られるが、全国的には北九州地方に集中していると云う。
このように北九州とのかかわりが深く、特異な石室形態と相まって、渡来系豪族の依智秦氏に関係が深いと推測されている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
古墳に「こうもり塚」や「たぬき塚」という名前が付いているが、昔、古墳の中に実際にタヌキやコウモリがすみついていたことから、この名が残っていると云われている。
渡来系氏族の秦氏は、先進の土木技術・農業技術を用い5世紀末頃から京都盆地を開発した豪族で、朝廷の側近として、平安京の造営にも関わったといわれるほどの勢力を持ち、京都の太秦にその地名を残している。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
金剛寺野古墳群は、愛荘町の宇曽川沿い、国道307号線をはさんで広がっている。
6世紀後半から7世紀頃、この地で活躍した渡来系豪族の依智秦氏(えちはたうじ)の一族の古墳群と考えられ、全体で300基ほどが確認されている。
昭和51・52年に圃場整備事業に伴い、事前発掘調査が行なわれた結果、県下でも最大規模の300基近い古墳群が発見されたが、戦後の開墾によりほとんどの墳丘は破壊され、農地化されてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/52/c5248b7a09dc66bc0b55be3f695db34c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/c4/4056ca3c2f3c4cffd208d09b62ace568.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fc/011f916b16cf9b866a13ecfa2e102d98.jpg)
写真は上から、現在の“依智秦氏の里古墳公園”で、湖東三山と湖東自然散策道及び近江米の田圃に囲まれている様子。
最下段の写真は、圃場整備事業完了時に建てられた記念石碑。
「依智秦氏の里公園」には、上蚊野地区の円墳10基が保存され、これらは県史跡に指定されている。
平成の名水百選の一つに選出されている「愛荘町山比古湧水」のある滋賀県愛知郡愛荘町は、人口が約2万人で、滋賀県の中央東部にある町。
愛荘町は、2006年2月に、秦荘町と愛知川町の合併により誕生した。
愛荘町の観光スポットには、竹平楼・八幡神社・みゆき公園・目賀田城跡公園・国史跡の金剛寺庭園・歴史文化博物館・ふれあい広場・手おりの里金剛苑・宇曽川ダム・依智秦氏の里古墳公園などが所在する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/eb/6dafc1cfb3bb7c6f6df6da448b2f2de6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/78/b3f6a3165b342161750d41b87f1755ef.jpg)
写真は、“依智秦氏の里公園”入口の看板と同公園の風景。
愛荘町の上蚊野地区には102基、近くの蚊野外古墳群には196基の古墳、併せて“金剛寺野古墳群”と称されているが、ほとんどが農地になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/d6/57827c07020e15707ea87124548303e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/d6/264da5724ecdac52e37ab7ee63288ff9.jpg)
写真は、本古墳公園内の3号墳・こうもり塚古墳と7号墳・たぬき塚古墳。
古墳公園内10基の古墳のうち、こうもり塚は、横穴式石室を持つ構造で、大型の円墳であり、家族墓として使われたらしい。
一方たぬき塚は、竪穴系横口式石室と呼ばれる、階段式石室構造をもつ、小型古墳。
本古墳には2種類の異なった構造の石室を持ち、一つはこうもり塚古墳のような横穴式石室で、もう一つは、たぬき塚古墳の竪穴系横口式石室と呼ばれ、階段式の石室構造になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fb/4b8c4225e2a2fadf73a3a0531036ab82.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/8a38a95a7f5baaee389e17972b5643d4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fe/fa19ca81edc8588874498beeda69c938.jpg)
写真は、たぬき塚古墳の石室入口と石室内部及び同石室から出土した、須恵器の長頚形壷。
写真のように、羨道より玄室が35cmほど低く、階段状になっている。
この竪穴系横口式石室は、関西地方でも類例が見られるが、全国的には北九州地方に集中していると云う。
このように北九州とのかかわりが深く、特異な石室形態と相まって、渡来系豪族の依智秦氏に関係が深いと推測されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
古墳に「こうもり塚」や「たぬき塚」という名前が付いているが、昔、古墳の中に実際にタヌキやコウモリがすみついていたことから、この名が残っていると云われている。
渡来系氏族の秦氏は、先進の土木技術・農業技術を用い5世紀末頃から京都盆地を開発した豪族で、朝廷の側近として、平安京の造営にも関わったといわれるほどの勢力を持ち、京都の太秦にその地名を残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます