近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

京都府宇治市の宇治二子塚古墳とは!

2009年08月25日 | 歴史
ここからは、京都市周辺の著名古墳群を巡ります。

先ず宇治市の二子塚古墳は、6世紀初頭に築造された、古墳時代後期の山城地方最大の前方後円墳で、全長約112mにも及ぶ。

京阪電鉄・黄檗駅北側の西方寺裏の竹藪に、宇治二子塚古墳の一部が眠る。







写真は上から、宇治市木幡町の二子塚古墳公園入口及び本古墳濠越しの正面と右側光景。

大正年間に土取りで後円部が破壊されたが、前方部とその西南側に、今も水をたたえた周濠と高い外堤が残り、往時の偉容を今に良く伝えている。

本古墳は、残念ながら大正時代に京阪電車宇治線の建設時に歴史的解明もされないまま取壊され、盗掘よりもひどく散逸した史跡の一つだが、本古墳の内堀の一部だけが破壊を免れている。

二重に巡る周濠を持ち、埋蔵施設は後円部が破壊されているため不明ではあるが、横穴式石室であったと見られている。二重の濠をもつ古墳は全国的にも珍しい。

このような二重濠を持つ古墳は、仁徳陵古墳のような少数の大型古墳だけであり、この古墳も大王陵クラスの古墳として注目される。

この古墳の背後の山稜には、栄華を極めた藤原一門の墳墓として御陵にされている“木幡・宇治陵墓”と周辺の住宅街に点在する墳墓群が、実は150~200基近くあったと云う。





写真は、本古墳が眠る、西方寺西側に広がる竹薮及び西方寺東側の京阪宇治線。

本古墳の後円部は、京阪宇治線の建設時に破壊され、前方部のみ発掘調査の結果、石室の基礎遺構が発見され、長さ18m・幅9m・深さ4.5m以上あり、その中に礫が敷き詰め込まれていたと云う。

石室の石材には、3mもの巨大な石を使っており、石室の大きさを含め、京都府下最大級であったらしい。又銅鐸や埴輪も検出された。

本古墳は、突如として宇治川東岸に出現した大型古墳であり、6世紀代のものとしては全国有数の規模を持つ。

しかしその出現には謎が多く、継体天皇墓とみなされている、淀川を挟んで対岸の高槻市今城塚古墳と形が似ていることから、本古墳の被葬者は継体天皇擁立にかかわる重要な人物であったと見られ、例えば継体朝の内乱の時に山城地方の支配権を握った首長墓と考えられている。




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