近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良明日香村都塚古墳で階段状の「ピラミッド型」方墳発見!そのⅡ

2014年10月05日 | 歴史
近年、古墳時代の一大発見である、首題の件、第二弾を続けます。





写真は上から、奈良明日香村都塚古墳の石室正面入口と同古墳家形石棺の石室内部光景。

同古墳は石舞台古墳の約400m南に位置し、横穴式石室(全長12.2m)に巨大な家形石棺(長さ2.2m、幅1.5m、高さ1.7m)が残っており、江戸時代には既に入口が開いて、家形石棺を納めてあることが知られていたと云う。



写真は、都塚古墳の現地説明会当日の様子。

石を階段状に積み上げた、国内では類例のない大型方墳とわかった、奈良県明日香村の都塚古墳で平成26年8月16日、現地説明会があった。

“奈良のピラミッド”を一目見ようと、約4100人の古代史ファンらが列を作った。午前10時の開始が約45分前倒しされるほど盛況であったと云う。

調査した関西大は「階段ピラミッド形の墳墓は百済や高句麗などでみられるが、1世紀以上時期が早く、切り石を積むなど構造も異なる。内外で類例がないか、さらに確認する必要がある」と話す。

日本では都塚古墳の後、石舞台古墳や山田高塚古墳(大阪府太子町、推古天皇陵)など大型方墳が築かれ、7世紀半ば以降、天智天皇陵(京都市)など墳丘が八角形をした天皇陵が登場する。

専門家からは国内で類例のない貴重な発見に様々な見方が出ている。

「デザイン重視の古墳の先駆けではないか」と推察されたりしている。

「6世紀までの前方後円墳が巨大さを誇示するのに対し、7世紀の八角墳の天皇陵などは段築を視覚的に強調するようになり、都塚古墳はその移行期に当たっている」とする。

一体誰が、何のためにこのような前代未聞の古墳を造ったのか。3人の天皇(用明天皇・推古天皇・崇峻天皇)の外祖父となった蘇我稲目らを巡って被葬者論が熱を帯びている。

毎年元旦にこの塚で金鶏が鳴くという言い伝えがあるため金鳥塚とも呼ばれことから、「金鳥塚」の異名を持つ都塚古墳。

巨大な石室の中に豪華な家形石棺があることは分かっていたが、一辺30m程度で、段差はあっても3段とみられていた。

発掘調査している明日香村教委の文化財課は「墳丘をできるだけ高く築くために、急傾斜になっても崩れないよう階段構造にしたのではないか」と推測する。

都塚古墳があるのは、飛鳥の中心部から南東に飛鳥川をさかのぼった標高約150mの傾斜地。







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