<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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日常、あまりテレビを見ない私にとって中村吉右衛門主演のテレビ時代劇「鬼平犯科帳」は、数少ないお気に入りの番組だ。

「鬼平犯科帳」シリーズは吉右衛門以外にも丹波哲郎や萬屋錦之助、それに先代の松本幸四郎も演じているが、私は吉右衛門バージョンが1番だと確信している。

その吉右衛門バージョンを晩年の池波正太郎が「これこそ鬼平だね」と誉めそやしたという話を以前耳にしたことがあり、本当にそう言ったのかどうか、その真偽を知りたいと思っていた。

このGW。
様々な理由で大好きな旅行にも出られず自宅で大人しくしていたのだが、読書だけは絶やしてはいけないと思い、近くのTSUTAYAに立ち寄った。
そこで見つけたのが池波正太郎「銀座日記(全)」なのであった。

鬼平犯科帳を見るまでもなく、池波正太郎は極めて東京的な通な人であった。
芸にしても、食にしても、色にしても、いたるところで「粋」なものを感じることのできる小説家なのであった。
「銀座日記」は1983年から銀座百点に連載されていたエッセイを収録したエッセイ集で、池波正太郎の日常の動きが手に取るように分かって楽しかった。
とりわけ終盤の吉右衛門版「鬼平犯科帳」が始まってからの、初期のエピソードに対する作者の感想が面白かった。
そこで気付いたのが、私が耳にしていた「吉右衛門は鬼平にピッタリ」という発言は、やはり正確ではないな、ということだった。
最初のエピソードは脇の演技者を中心にかなり辛口に評価しており、吉右衛門に関しても決して手放しで褒めているというわけではなかった。
放送回数が増えるに従って内容に納得のいくものが出てきたようだったが、結局、シリーズが何年も続く長寿番組になることなど予想もしないうちに自身が亡くなってしまったようなのだ。

そういう意味で「銀座日記」は鬼平ファンとしても楽しめる作品集であった。

ところで、ここ何年か、1週間か2週間に一度は東京に出かける仕事を続けているが、銀座の店で買い物をしたり、飲食をしたりという経験は未だない。
興味がないこともないのだが、大阪にも銀座に似た場所がないわけでもなく、そういう場所は金額が高くて、店の方もお高く止まっていることが少なくないので客が楽しめないことがないこともない。

「銀座のクラブで遊ぶのは粋がないですね。客がホステスに気を遣って。逆です。その点、京都のお茶屋は違う。芸妓も銀座のホステスとは比べられないくらい勉強していてどんな客にも気を遣わすようなことはしない。」

と、ずっと以前、井上ひさしが言っていたのが銀座へのいささか悪いイメージとして頭にこびりついていたのだ。

今回本書を読んで「銀座で一杯やってみたい」なんて思うようになってしまった。
浪費しないように注意しなければ、危ない魅力を持った一冊なのであった。

~「銀座日記(全)」池波正太郎著 新潮文庫~

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