<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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スターバックスのストロー廃止宣言以来、各外食大手がプラスチック製のストローの使用を取りやめることを告知。
この背景にはやがて海洋を漂うプラスチックごみの量が魚の量を質量ベースで超えてしまうからということらしいが、これってストローをやめるだけで解決する問題ではない。
ストローはその象徴にすぎない。

夏。
海岸を歩いていると、最も目立つゴミがペットボトルなどのプラスチックごみ。
夏じゃなくてもゴミは存在するので、冬でも綺麗な浜辺でこういうゴミを見つけると一気に気分が害される。
さらにそこにハングル語や簡体文字が記載されていると、

「日本は島国です」

などという地理的優位性にも疑問符が灯る。

プラスチック資源が問題になり始めたのは今回が初めてではない。
スーパーのゴミ袋の必要論は最近の話題でもあるし、注射器やアンプル類の医療ゴミが問題になったのはもう随分と以前のことだ。

こう考えると昔の「便利ではない時代」のほうが環境に配慮していたことがよく分かる。
江戸時代の容器は容器自体に価値があったために竹筒にしろ弁当箱にしろ桶にしろ使い捨てのものはほとんどない。
握り飯を包む竹皮でさえリサイクルしたと思われる、もったいないが当たり前の時代だった。

会津若松市の野口英雄記念館を訪れたときに会津地方の人々がいに物を大切にしていたのかというものを見ることができた。
それは衣類のリサイクルで新調された着物はボロになるまで着続けられることはもちろんのこと、着物として使用できなくなってからも繊維玉になる布であったことがわからなくなるまで実用に供される。
その着物から繊維の玉になるまでの工程が展示されており、少なからず衝撃を受けたものであった。

江戸時代や明治時代だけではなく、私が生まれ育った1960年代でも使い捨ての文化はそれなりに限られた分野だったように記憶する。
ジュースやビール、牛乳、醤油、サラダ油、マヨネーズはガラス瓶が圧倒的に多かった。
マヨネーズはスプーンで掬って使っていたと思う。
買い物はスーパーマーケットは珍しかったので買い物かごを提げて市場へでかけた。
市場の梱包材は古新聞であり紙袋だった。
ビニール袋なんてものはなかなか使わられなかったように思う。

玉子も紙製のパック材。
パンも小袋に入れて売られているのではなく、陳列ケースに並んでいるものを店の人に取ってもらって、それを油紙でできた紙袋に入れてもらっていた。
本や雑誌を買っても紙袋。
アイスキャンディーも箱に入っているものがあったように記憶している。

プラスチック容器と違ってこれらの容器は再利用できるし、本当に捨ててしまうことがなかなかない。
紙はリサイクル。
ガラス瓶は洗浄して再利用、あるいは溶かして作り変え。
捨てないのだ。
ただし「回収」という業務がついてまわるので、これが「面倒くさい」。
プラスチック容器は捨ててしまえば良いので便利で受け入れられ易かったのだ。

コンビニで買い物をするとあらゆるものが定価で売られている。
350ミリリットルのノンアルビールが1缶137円。
これをスーパーマーケットで買えば98円。
49円の価格差は「便利代」。
便利にはコストとリスクが付いてくる代表例だ。

プラスチック容器やストローはそういう49円。
ちょっと手をかけて使うのを止めたら得をすることを実はスタバは知っていたのかもわからない。

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