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ゴダイゴのプロデューサー・ジョニー野村氏が亡くなった。
享年75歳。
イメージしていたよりも若い年齢だったことに正直驚いた。
私は中学生の時からゴダイゴのファンだったが、ジョニー野村氏は良く知らなかったからだ。

唯ひとつを除いて。

ゴダイゴを初めて知ったのは中学二年生の時。
日曜日の朝に放送されていたドキュメント紀行番組「地球は音楽だ」のテーマ局「Symfonica」と、その番組の中間で流れる日立マクセルのCMソング「What did you do for tomorrow?」の2曲を聴いた瞬間、
「誰?これ。メッチャええやん」
と思った。

英語の歌なのできっと海外の人気バンドなんや、と思っていた。
丁度、クイーンやイエス、ピンク・フロイドなんかが人気になっていた時期だったこともある。

そんな時、とあるFM放送の番組で「英語でしか歌わない日本のロックバンド、ゴダイゴです」
と紹介された。
流れてきた曲はテレビのものとは違ったけれどもタケカワユキヒデの特徴あるボーカルと特徴あるサウンドはすぐにわかった。

へー、そんなんあるんや。
歌謡曲かフォークソングしか知らない中学生には小さくない驚きだった。
やがてすぐに「西遊記」という番組のテーマ曲がヒット。
続いて私の好みの2曲が入った「CM Song Graffitii」というアルバムがチャートインした。

ゴダイゴの歌を覚えることで悪かった英語の成績が多少とも上がった。
発音が良いと、嫌いな英語の先生に褒められた。

ゴダイゴのアルバムはその後全部買い揃えたが、最もお気に入りは「Dead End」と「CM Song Graffitii」。

このCM Song Graffitiiの中のUncle Johnという歌の中で、ジョニー野村がUncle Johnに扮して話し言葉を吹き込んでいる。
テープの速度を変えているので、ずいぶんなオッサンに聞こえるのだ。
それがジョニー野村は結構な年齢のプロデューサーなんだと今日まで勝手に思い込んでいた原因になった。

ゴダイゴのプロデュサーの訃報を知って、最初に思い出したのがUncle John。
歌詞のように山のように大きく、木のように背が高い人だったかどうかは知らない。
でも私に音楽の楽しみに大きな幅をもたせてくれたことは間違いないだろう。


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