<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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台風21号は予想以上の被害をもたらした。
私の自宅は木造2階建て2x4で地震には強いということで定評のある住宅メーカーの設計ではあるのだが、今日の暴風の中でどれほど揺れたか。
その揺れ方は全く想像していなかっただけに少々薄気味悪かった。
まるで乱気流に突っ込んだ飛行機みたいだったのだ。

「屋根、飛んで行けへんやろか」

と本気で心配になった。

暴風自体は2時間弱で収まったものの、その爪痕は凄まじかった。
風が収まって玄関から外へ出てみると、家庭菜園のトマトの木はすべて横倒し。
近所から飛んできた畳半分ほどのプラスチック製の波板が芋畑に突っ込んでいてバタバタと震えていた。
そのすぐ近くにはどこのものだかわからないプラスチック製のバケツの蓋。
家の建物とお隣の建物との間の1.5メートルほどの通路は猛烈な速度で風が吹き抜けたのか、うちのではない大量の瓦の破片が落ちていたのだ。

私の家と、ご近所はまだよかった。
隣町は停電になっていて、おまけに古い家屋が多くて瓦、スレート、看板などが吹き飛ばされて屋根の下地が露出して散々たる様相を示していたのだ。

国道に出てみるとさらに愕然。
看板の多くは風に煽られて傾いている、反り返っている、倒壊している、落下している、破壊されている、という状態だ。
その看板の破片があちらこちらに散乱していて通行の妨げとなっていた。
おまけに3つに1つ位の割合で信号が消えてしまっていて、片道3車線の国道は大渋滞になっていたのだ、

看板だけではない。
駐車場の屋根。
店舗のシャッター。
店舗の壁。
警察署のガラス窓。
レストランのダクト。
などが破壊され、道路に散乱。

これだけ微妙に広域に街が破壊されているのを見るのは映画を見ているような錯覚に陥り現実感が無くなってしまったのだ。

それで最も現実感が無くなってしまったのは関西空港の被災である。
関西空港はなんとこの日が開港記念日。
24年前のこの日に日本で最初の24時間空港、世界ではじめての海上空港として開港。
はじめの十数年間は閑古鳥しか飛んでいなかったのが、今や成田と似たりよったりの便数を誇る世界でも屈指の国際空港に成長していたのだ。
私もこの関空は毎月数度は利用する空港なので愛着がある。

ところが台風21号のために、

① 高潮で第1ターミナルとA滑走路、ならびにエプロンなどが浸水。
② タンカーが連絡橋に衝突。

という事態が発生したのだ。
高潮は関空島を海に戻してしまうほど広域に冠水。
A滑走路は全長3500mでターミナル1の眼の前にあることからメインの滑走路。
これが冠水なのでたまらない。
幸いなことに全長4000mのB滑走路は被害をまぬがれていると言うが、ターミナル1が使えないということはターミナル2を利用しているピーチエアと春秋航空とその近くの専用ターミナルを使っているフェデックスは良いかも知れないが他のほとんどのエアラインにとっては一大事というような非現実的な状況なのだ。

さらに連絡橋がタンカーの追突によって破壊されてしまったために陸路での関空島へ渡る方法をなくしてしまった。
あとは関空に行く方法は神戸から船に乗るのか、他の空港から関空に飛ぶしかないのである。

このような緊急事態に対処する方法は、ない。

もともと連絡橋がアクセスのほとんどを担っている状態だったので、地下(海底)トンネルが要るのではないかと思っていたが、やはり必要なのだ。

関空が大阪湾に浮かぶ孤島となてしまった現在、私の明後日の出張もままならず、このままでは新幹線でゆっくりと移動するしかなくなってしまう大変不便な状況が待っている。

どうなる関空。
建設当時のように泉佐野から貨物船のようなフェリーが運行されるのか。
真剣に要注意なのである。

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