民主化運動が始まる前のミャンマーへ旅行した時。
つまり20年ほど前に、なぜそこを目的地に選んだかと言うと、
「日本人があんまりいないところへ行きたいから」
というのが理由の一つだった。
当時は年に4回ほどタイのバンコク拠点にタイ国内をあちらこちらへバックパックの旅を繰り返していた。
ところがバンコクは日本の地方都市かと思えるように日本人がウジョウジョおり、慣れてくると日本といるのとあまり変わりないという感覚に陥ってしまったのだ。
そこでめったに日本人に会わないところを旅したいと思って、あまり一般的な旅行先ではなかったミャンマーを選んだのだった。
アフリカや中近東などへ行けば日本人は少ないかもしれないが、こっちも仕事があるのでそんなところへは行けなかったし行きたくなかった。
で、20年経って今はというと、
「どこか外国人のいない日本国内の観光地へ行きたい」
という欲望が強くなっている。
関西に住んでいると、あちらこちらにメジャーな観光地が点在する。
京都、奈良は言うまでもなく近江、熊野、南紀、瀬戸内など素敵な観光地があちこちにある。
このメジャーな観光地が今、外国人で溢れている。
とりわけ京都や奈良は外国人の方が多いくらいで日本人旅行者は探さないと何処にいるのかわからない雰囲気だ。
例えば飲食店に入っても客の大半が外国人ということも少なくない。
町家を改装したカフェに入っても外国人がここかしこにいて大声で自国語で会話している行儀の悪い者たちも少なくなく辟易とすることが多くなった。
奈良はまだましだが京都なんかは外国人が溢れているばかりに路線バスも乗りにくく地元住民が生活に困るようになったということも伝えられている。
このため駅から観光地へダイレクトに走る特急バスを設けたけど焼け石に水のようで、
京都は住みにくい街
とかしているんじゃないかと思わないわけもない。
大阪も京都に劣らない。
京都と比較して街が大きいこともあるし、人を受け入れる体制にあるにはあるが難波なんかにでっかけると道頓堀や心斎橋筋は外国人で溢れているので店の方も外国語で看板を上げたりしていて、これでは日本ではないみたいで落ち着かない。
奈良の三条通をJR奈良駅から猿沢の池に向けて歩いていても歩行者の半数は外国人。
餅つきパフォーマンスうで有名な某餅屋の前に屯するのもほとんどが外国人。
「ちょっとそこの餅、美味しいと思う?」
と地元の人なら訊きたくなるような風景が展開する。
昔は良かったとは言わないが、どこへ行っても外国人なので、外国人のいない観光地へ行きたくなるのも宜なるかな、なのだ。