<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「モノ作り」に過信してはいけない。

先日、週刊誌だったか日経だったか忘れてしまったのだが、その記事の中に「モノ作り」にこだわりすぎて、その落とし穴にはまりこんでしまう危険性についての警告が書かれていた。
要約すると、いくらモノ作りをしたところで販売力がなければ企業は立ち行かない、ということだ。

考えてみれば当たり前のことで、いくら良いものを作ってもそれを販売する能力がなければなにもならず、ただただ技術の高さのみを誇る自己満足の世界に終始してしまうことになる。
あのパナソニックも「二股ソケット」という良いものを開発した上で、松下幸之助という販売の達人がいたからこそ、それを礎に世界企業に発展したのだ。
ホンダにソニー、任天堂にユニクロ。
成功した企業はいずれも販売力がまずあって、その販売する側が求める技術があって繁栄が成り立っている。

「モノ作り神話」は、神話でしかないのかもしれない。

ところで、何か製品を作る、設備を作る、建築土木をする、ということになれば、やはりモノ作りは必要だ。
モノ作りには今世の中に蔓延しているような「神話もどき」も存在するが、やはり哲学がないと成り立たない世界でもある。

その哲学のひとつ。
モノ作りは「芸術」である。

E.S.ファーガソン著「技術屋の心眼」はともすれば近年の技術者が忘れてしまいがちの、モノ作りは、つまり設計は単にコンピュータによる解析や論理だけで進められるものではなく、極めて奥深い、それは芸術のような人間の創造力(想像力)をもってして初めて成り立つものであることを伝えている。

この本のなかで、私が最も興味を持ったのは、その技術をどのように伝えるのかという伝達の技術だ。
図面の書き方についていの創意工夫。
寸法の入れ方。
構造の伝え方。
規格のもちかた。
美しい図面。
分かりずらい図面。
掻き方、書き方。
見方、読み方。

今では当たり前のこの技術も、ルネサンス以降、多くの知恵者たちによってあれやこれやと工夫を重ねて初めてでき上がったものだということに、今回初めて気がついたのだった。
そして、学校の歴史の時間に習うルネサンスという時代が、実際どのように現在の生活にまで影響をもたらしているのかも、この本を通じて初めて学んだのであった。

技術は芸術である。

現代人が忘れてしまいがちなモノ作りの本質がここにあった。

~「技術屋の心眼」E.S.ファーガソン著 平凡社ライブラリー文庫~


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