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タイの北部で孤児となった日本人の少年が日本へ帰って連絡の取れない父を探すため、寺院で日本人観光客に写真などを見せて訊ね歩いていたことがタイマスコミの注目となりシキリット王妃陛下まで巻き込んでの大騒ぎになっているらしい。

少年の父は日本人。
母はタイ人。

年間100万人以上訪れる日本人観光客にはあまり縁のない話しかも知れないが、こういうタイに残された日本人とタイ人の混血児についてのは問題は、これまで見過ごされてきているように思う。
もちろんこれはタイだけではなく、日本人が進出しているほとんどの国で起こっている問題で、日本人がその問題に目を背けているだけなのかもわからないが。

今回のニュースを聞いて思い出したのが瀬戸正夫という人の存在だ。

瀬戸正夫。
バンコク在住の写真家。

テレビ朝日のニュース番組などにたまたま出演したことがあるので、その名を知っている人があるかもしれない。
このひと、今回の少年と同じく父親を日本人に持ち、母親をタイ人に持っている。
そして少年と同じく、父親は日本に帰ってしまい、母親に育てられたがその母親とも幼い頃に死別(だったと思う)して、一人バンコクに育った。

「バンコクの灯」というバンコク都内の紀伊国屋書店や東京堂書店で良く目にする瀬戸氏の著書には、そういう数奇な体験が綴られていて、ガイドブックや一般的な日泰歴史書では読めないことが書かれている。

瀬戸氏は1931年生まれ。

当然のことながら氏は戦前からのバンコクを知っており、当時から大勢の日本人がこの土地に居を構えていたことを現在のように見られている。
終戦時に日本の海外資産が官民問わず全て連合国側に没収されたことから、幼い瀬戸氏も家を失う。
この人の苦労は並大抵のものではなかったに違いない。

このような第二第三の瀬戸正夫が今回の少年であり、そのような少年少女は一人や二人ではないということだ。

日本人の父親がどういう人なのかはわからない。
個人的な事情もあるだろう。
日本に家族があれば、少年の存在は困ったものかもわからない。
しかし、人の親であるのであれば、きっちりと責任をとって少年に父として手を差し伸べなければ、この報道に注目するタイ人と日本人の納得は得られまい。

少年に「バンコクの灯」を書かせてはいけない。



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