<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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1980年。
高校生だった私は友人の家を訪れた時、妙竹林な機械を目撃した。
それは小さなテレビとタイプライターが一体になった電気製品だった。
友人は自慢げに、電気製品を指さしてこう言った。

「これ、パソコンやねん」

シャープのMZ80とか呼ばれたそのマシーンを見せられた私は、軽い衝撃を受けた。

パソコンというのは、マンガ雑誌の裏ページに「アセンブラ語を取得しよう」などと書かれて電卓の親分のようなものが掲載されていた「あれ」だと私は思っていた。
しかし、友人はテレビみたいなやつを指して「これがパソコンや」と言うではないか。
しかもそいつを使うと、なんと自宅でインベーダーゲームができる!
それにスタートレックゲームができるのだ!

高校を卒業したら芸大に進んで映像を学ぶつもりだった私は、これからはこれかも知れない、とパソコン画面を「ボッバ、ボッバ、ボッバ」と這いずり回っている緑色のインベーダーのキャラクターを見て、来るべくコンピューターグラフィックスの時代を確信したのであった。
ちなみにインベーダーが緑色だったのは、ディスプレーがカラーだからというわけではなく、当時はグリーンディスプレーが一般的だったからだ。
つまり文字も緑、図形も緑、緑黒テレビなのであった。

翌年、大阪芸大に無事入学した私はコンピューターでアニメーションを作ってみようと思い、アルバイトで稼いだお金を資金にパソコンの購入を考えた。

この頃のCGといえばワイヤーフレームが主流。
ボブ・エイブルのジェットコースターの動画や数年前に見たスターウォーズのデススター攻撃作戦の説明に使われた動画が強く印象に残っていた。

そんななかでもNHKのニュースセンター9時のタイトルはレンダリングまでされていて、できればそのような滑らかなCGを作ってみたいと私は思っていた。
なお、当時はレンダリングなんて言葉は知らなかった。

ところが、1981年当時のパソコンといえば、グラフィック機種は限られており、しかも現在のようなフルカラー表示などできるはずもなかった。
だいたいがパターン化したキャラクターをスペースインベーダーの様にカクッカクッ、パタパタパタ、と動かすのが限界だった。
私は各社のパソコンのカタログを集めて吟味に吟味を重ねた結果、夏休みのアルバイトで貯めた30万円ほどを使ってシャープのX1という機種を買い求めることにしたのだった。

クリーンコンピューター(BASIC専用ではないという意味だったと思う)。
7色表示。
640×200ドットの大画面。
先進の8ビットCPU。
データ用カセットデッキ内蔵。
そしてなんといってもワイヤーフレームのグラフィックスが描ける。
などなど。

富士通のFM-8やNECのPC-8801と比べてもグラフィック機能が優れているように思えたのだ。

X1は当時としては極めて先進的な「テレビを見ることが出来る」パソコンだった。
商品名も「パソコンテレビX1」。
だからカタログにはモニターにテレビが映し出されている写真が使われ勘違いを招く原因を作っていた。
カタログの性能欄に表示できる色は7色と書いているが、もしかするとかなりの色数が実現できるんじゃないか。
テレビの映像とコンピュータの映像を合成できるんじゃないか、と間違った期待をさせる力をもっていたのだった。

残念ながら色は本当に7色しか表示できなかったが、確かにテレビの画面と組み合わせる機能はオプションで用意されていた。
ただ初期投資の30万円ではとても追いつかず、学生の私にその環境を実現させることはできなかった。
なんといっても資金不足で10万円以上もするドットプリンターを購入できず、購入したのはモニターと本体だけ。
プログラムの打ち出しは画面に表示された文字をノートに手で書き取るか、カメラでパシャッと写しとるか、どちらかをしなければならなかった。
いずれ漢字の表示機能と併せて購入しようと考えていたが、考えているうちにパソコンの性能が上がって購入する意味がなくなってしまったのだった。

1981年の終わり頃だったか1982年の始めのころだったかは忘れてしまったが、宣伝会議という出版社から「コンピューターグラフィックスのすべて」という雑誌が発売された。
CGへの関心が高かった私は迷うことなく購入。
そこにはテレビや映画で活躍する数多くのCGプロダクションが紹介されていたのだった。

日本国内のプロダクションではJCGLやトーヨーリンクス、白組、NHK、大阪大学などが紹介され、海外のプロダクションではトリプルアイ、ロバート・エイブル、ジョン・ホイットニー、ルーカス・フィルムなどが紹介されていた。

今となってみると、これらプロの会社が製作していたCGは、どれもこれも「コンピューターで作った映像」という特殊事情を除外すると、「素晴らしい」と感動を呼べるものはほとんどなかった。
当時のコンピューターの能力をある程度知っていれば、「あのマシンでここまでできる」と感動する作品ではあったのだが、そんなことは関係ない一般の人にとっては「なんじゃこりゃ」というクオリティの絵であったことは間違いない。
但し、その雑誌にはひとつだけ度肝を抜く映像が掲載されていた。
それはまもなく公開される予定になっていたパラマウント映画「スタートレック2カーンの逆襲」で使われるという架空の惑星をイメージした映像だった。

その映像はまさにリアル。
山があり、海があり、雲がかかり、空気の層までも感じられる。
「どうやって描いたんだろうか?」
「実写じゃないのか」
「うちのパソコンではとても描けないぞ」
という迫力を持っていた。
フラクタル理論に基づいて、と記事の中に書かれていたが、それがどういうものなのか数学の専門家ではない私には漠然としか理解することはできなかった。

ジェネシスと呼ばれるその惑星の映像はルーカス・フィルムのCG部門が製作したものだと紹介されていたが、それが将来のピクサーアニメーションスタジオだったなど、神様しか知らない未来だった。

そういう優れた作例やよちよち歩きのCGと比べても、さらなる低レベル、8ビットパソコン「シャープX1」を駆使しての私の芸大生としてのCG創作活動が始まったのだった。

つづく

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