T字路を右手にとるとなんの変哲もないアスファルトの道に出た。
両側は宅地造成前の荒れ地、または工事中、或いは草茫々の山肌が出ている景色のあまりよろしく無いところだ。
ずっと西方向では大きなクレーンが2基ほど立ち並び何やら大きな建物を建設しているのであった。
とぼとぼと少し行くと道が二手に分かれているところに出てきた。
一方は左手の一車線道路で右手は2車線ほどの幅があり、その先には新興住宅地が広がっていた。
まるで私の近所の泉北ニュータウンの一角のようで非常につまらない光景なのであった。
で左手はというと道の左側が窪んでいて下に畑があり、その向こう側がゴルフ場。
前方でこの道は再び交差していてその付近にゴルフ場の玄関口があり、その向かい側に公園がある。
その公園は「大仏鉄道記念公園」という名前なんだそうだが、それらしき遺構は公園にはなさそうだ。
「こっちへ行きましょう」
とリーダーに連れられて左手の土手を下る。
左手の道の下に出てきたのだが道路の下に石積みの橋脚があり、これが「赤橋」という遺構なんだという。
「随分古いですね」
「古いです」
「橋脚は石積みですけど、橋が......あれは木でしょうか」
「木ですね」
「あの上を列車が走っていたんですかね」
「違うでしょ。100年も前の木の橋なんて残るわけがない。多分、それらしく演出しているのか........なんちゃって」
とつまらないことをぐちゃぐちゃ言いながら写真を撮った。
その橋から畑に沿って農耕用の小道を歩くとすぐにレンガ積みのアーチ型の穴が現れた。
「トンネル遺構です」
これが大仏鉄道の梶ヶ谷隧道という名前のトンネルなのだという。
「これ、随分狭いですね。100年経つ間に縮んだんでしょうか。」
と言いたくなるくらい狭いトンネルだ。
軽自動車がやっと通れるほどの狭さなので果たして鉄道のトンネルなのだろうか。
もしかすると大仏鉄道はナローゲージかインディ・ジョーンズに出てくるようなトロッコだったのか。
そんな話は聞いたことがないし、だいたい大和路線にそのまま取って代わられるのだから国鉄の線路幅で車体も国鉄サイズであったことは間違いない。
「このトンネルは線路の下を通っていて水路などがあったそうです」
と立て看板の解説。
なんじゃい。
鉄道のトンネルとばかり思っていたのは実は線路の下の水路のトンネルかい。
少しがっかりした瞬間なのであった。
私は廃線跡のトンネルというので、例えば近鉄電車の旧生駒トンネルやJR宝塚線の武田尾の旧トンネルをイメージしていた。
ところが鉄道のトンネルではなくて鉄道関連施設のトンネルなのであった。
ところが、ここでふとあることに気がついた。
先程の赤橋にしろここ梶ヶ谷隧道にしろ同じ一車線道路の下にある。
ということは........。
そう、上を通っている一車線道路が大仏鉄道の線路跡なのであった。
ここで初めて大仏鉄道がどこをどう走っていたのか。
その線路跡に出ていたことになる。
この遺構巡りのハイキングで初めて感動した瞬間であった。
そして驚くべきことに、これが最初で最後の感動でもあったのだ。
つづく