<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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秋篠宮家の眞子さまのご結婚が決まったことが発表された。
本来であれば国家的な祝い事であるはずが、国民のほとんどから総スカン。
色んな意味でお気の毒なことである。

大きな争点となっているのは「あんな輩と結婚させてもいいのか」というものだ。
日本国民の総本家とも言うべき皇室の重要性と尊さを鑑みるに、今回のご結婚は決して歓迎されるものではなく、本来であればご本人が自分の立場と周囲のことを熟慮し、断念するべきことではないか、というのが大方の意見でもある。

ある新聞のコラムでは往年の名作映画「ローマの休日」を例に出し、市井に飛び出し恋をした王女様も自国のことの重要性を考え、その恋を美しいカタチで諦めた。そういうことができないのか、あの御仁は。
というようなことが書かれていた。

いずれにせよ、宮家も大変だなとつくづく考えてみた。

ところがよくよく考えてみると日本の皇室の歴史はもうすぐ2700年になる。
この記録はギネスブック認定でもあり、世界のどこを探しても3000年近くも1つのダイナシティが国家を治めている国は他にない。
ある意味、人類の歴史の奇跡。
歴史が生み出した天然記念物といえよう。

そこでふと思ったのだが、最初の数百年の歴史はどこまで真実なのかわからないが、少なくとも大化の改新以降の歴史記録はかなり正確だ。
しかも日本の誇る歴史の長いものは皇室に加えてもうひとつ存在する。
それは何かというと文学だ。
日本文学も古事記、日本書紀を文学に含めるかどうかは別として平安京に都が遷された頃にはすでに立派に確立されていて、皇室、貴族などを中心に大勢に広まり娯楽として楽しまれていたのだ。

で、その文学の主たるテーマとはなんぞや、というと、やはり「恋愛」が多くを占める。

今も学校で習い、あるいは趣味で読み、或いはテレビや映画になる古典の多くは「誰それに夜這いに行った」とか「誰それと誰それが恋に落ちたが、誰それが邪魔をした」というような内容が多い。
しかもその「誰それ」は皇室につながる主人公であることが少なくないのが特徴だ。
つまり今も昔も皇室は高貴な人々から一般庶民まで話題の対象でありつづけているということができる。

平安京に都ができて1200年。
都が江戸に臨時遷都して150年。(遷都の義をまだ執り行っておりません。明治帝から5代続いて行幸に出たまま。日本史始まって以来の長期旅行中という見解があります=硬派な京都人説)

それを考えると、今回のような例は山程あって、別に気にしないもの。
米国の圧力で戦後宮家が解体されたために、皇室が希少なものになってしまっている。
そのため高貴なスキャンダルになってしまったんだろう。

皇子が10人以上もいて、お公家さんも大勢いた昔なら、あんまり問題にならなかったに違いない。
今回なんか単なるバカ娘(=不敬ですが)のワガママスキャンダルで終わっていたのではないかと思われる。

芸能ニュースレベルに堕落した眞子さまご結婚ニュースに接してそう思う今日このごろなのである。


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