<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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バブルが崩壊に向かっていた頃。
新聞で日本人の年収格差についての記事を読んだことがある。

「日本では最も年収の高い人と低い人の差というのは100倍程度。これが社会の仕組みに安定をもたらしている」

というような意味合いなのであった。

当時でもなるほどと思えた。
1人で1年に何十億も稼ぐ人はヤクザな不動産屋かサラ金のオーナーのような人たちか、野球選手ぐらいではないかとも思っていた。

そこへ行くと逮捕された元日産会長のカルロス・ゴーンはいたって国籍と同様に非日本的な存在だった。
1つの会社から年収を10億円以上取得し、しかも秘密のオプションまで約束されていた。
倒産の危険性が見えていた自動車会社の経営を立て直した手腕は素晴らしいのはもちろんだが、そのために多くの一般労働者がクビを切られ、あるいは左遷され、生活を奪われたのもこれまた確かなのだ。
こういう負な決断をするとき、日本の会社経営者は大きく苦悩するのが普通だと思う。
従業員とはいえ彼ら彼女らは会社の仲間であり、ある種の家族とも言える人々に違いない。
そんな人達に冷酷な引導を渡すのは渡す方にも大きな心の傷を残す、と日本人なら考えるところだろう。
だからリストラを成功させて会社を上向きにしたひとが、成功についてきても不思議ではない多額の報酬を得ることを素直に受け入れることができないのも、一つの文化といえるのではないだろうか。

そこへいくとカルロス・ゴーン。
この人の生活というか人生設計がどういう仕組と思想に基づいているのか。
その人間性を考えてしまうのが年収10億円以上という個人所得の金額だ。
それだけ稼いでこの人は何をしようとしていたのだろうか。
そもそもそういう疑問が日本人である私には浮かんでくる。
たぶん、日本人でなくても思い浮かんでくる。

日本は社会主義の国でもないし、資本主義が発達したのも西洋諸国と比較して遅かったわけでもない。
むしろ江戸時代から始まっている日本の資本主義は諸外国から見ても非常に歴史がある経済面での伝統文化でもある。
それでも淀屋のお取り潰しにも見られるように、それが「儲ける権利」だからと言って、もし一定のラインを超えると天がそれを許さないというルールがあることも確かなのだ。

フランス政府に理解できるかどうかはわからないが、日本人からすると単なる強欲にしか見ることのできない、ゴーン欲なのではないだろうか。


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