<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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阪急電車の京都河原町駅を下車して地上に上がる。
四条通の両側に連なる商店街は相変わらずの買い物客や観光客で賑わっている。
とりわけこの季節、「コンチキチン」の祇園囃子がテープで流れていて、

「おお、京都やん」

と一時的な観光気分に浸ることができる。
なぜ一時的なのかというと、コンチキチンの祇園囃子がスピーカーから流れてくるテープの音であることと、夏の京都はそれはもう殺人的な蒸し暑さであるということだ。

京都は夏は蒸し暑く、冬は凍えるような寒さがあるのが特長だ。
古の日本人はよくもまあ、こんなところに都を築いたものだと感心することしきりなのだが、それはそれ。
1000年以上の歴史を持つ首都は世界でも数少なく京都は政治の首都は不本意にも東の京に渡してしまっているが、伝統文化の首都としては現在もなお健在だ。
と、京都人の多くは主張しているが大阪人の私はいささか疑問ではあるが、付き合い上、同調することにしている、

さて、京都の夏が始まった。

毎年繰り返す京都の劇的な四季の変化は、日本の文化そのものを形作ってきた基本エッセンスといえるだろう。
暑さ、寒さ。
ピーカン照りの天気、しんしんと降り積もる雪。
十字に張り巡らされ整然とした本物の都としての美しい景観。
これらが文学や絵画、芸能に素晴らしい影響を与え続けてきたことも確かで、それだけ日本人は自然の移ろいを楽しむ才能を育むことのできる背景を持っていたのも確かだ。

そういう意味では京都人が主張する「今も京都は首都論。天皇さんは明治時代に行幸に出かけて戻ってないだけ」という考えをサポートしたくなるのも尤もだ。
世界最大規模の首都である東京は近代国家の都市としては機能的だが、雅、文化創造、まちづくり、に於いてはやはり京都には遠く及ばないということも言えるかもしれない。

京都の事務所で仕事済ませたあと、京阪電車に乗るために鴨川に架かる四条大橋を渡っていると、鴨川の納涼床が準備されているのが臨まれた。
正直、こんなことで涼しくなるとはとうてい思えない京都のクソ暑さなのだが、古から続く京都民の文化。
私は体験したこと無いのだが、きっと風流であるに違いないと思った。

京阪祇園四条の駅もまた、夏の始まりの熱気以上に、買い物客や修学旅行生の団体やビジネスマンで混雑していたのであった。
お~暑う~~。


(写真:四条通とは対照的に暑さのためと昼間のために人通りのほとんどない先斗町)

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