幾度かミャンマーを訪れているうちにお気に入りの街というのができてきた。
旧都ヤンゴンや古都マンダレーのような都会も悪くないが、ミャンマーの魅力を最も引き出してくれるのが地方の田舎町だ。
ヤンゴンから飛行機で1時間少し、シャン州の州都タウンジーの玄関口へーホー空港に降り立つ。
この空港は第2次大戦中に日本が建設した空港だそうだ。
この空港から自動車で東に40分ほど走ると人口数十万のタウンジー市。
それとは反対方向西側に40分ほど走るとカローという小さな街がある。
私はこのカローが大のお気に入りなのだ。
カローの街は山に囲まれた閑静なところで、街の北側をタウンジーとメイクテーラ、マンダレー方面とを結ぶ幹線道路と鉄道が走っている。
街の入り口付近の道路沿いには市場があり、大衆レストランが並び、昼間は結構賑やかだ。
また外国人向けトレッキングツアーを受け付ける旅行代理店なども軒を並べていて白人の旅行者の姿もちらほら見かけられる。
日本語の話せるトレッキングツアーガイドもいる。
この賑やかなところから歩いて小一時間、街の端っこに私のお気に入りのホテル「カローホテル」がある。
初めてこのホテルに宿泊した時はなんて落ち着いた感じのホテルなんだろうと感動したものだ。
築100年はありそうな英国風の木造2階建ての建物。
ロビーから2階へ上がって行く階段、そして廊下のシックなこと。
客室の出窓から眺める手入れの行き届いた中庭の花々が目に留まり、ここがミャンマーだということを暫し忘れてしまいそうになった。
私の部屋は玄関上の広い部屋で、ここからは小川を挟んで鉄道の線路も眺められた。
このカローホテルが、第2次大戦中、日本軍の地域内の司令部の置かれていた場所だったことを知ったのは最初の訪問から帰国した後だった。
今はホテルのこの敷地内には、司令部だけではなく、戦病者の病院もおかれていて、かつては多くのに日本人将兵が進駐していたのだという。
俄には信じがたい事実だった。
カローの平和な雰囲気とビルマ戦線という先の大戦でも最も悲惨な作戦が、どうも意識では繋がりにくかったのだ。
どれほど重要なところだったのか、これまでまったく知らずにこのカローを訪れていたが、平久保正男著「真実のインパール」を読んで、ここが想像以上に日本にとって重要な拠点であったことを知った。
そしてかつて日本人将兵で溢れていたこの街の風景が鮮やかに想像されたのであった。
著者は元陸軍主計中尉で、自らの体験を昭和21年という早い段階で書き記し、残していたのだ。
それだけに、当時のカローの様子やそこに滞在していた多くの日本人の姿が垣間見られ、現在のカローホテルの平和な雰囲気とを比べてみて感慨を新たにするのだった。
なお、真実のインパールでのカローの記述はほんの一部で、多くはインパール作戦の中に筆者が体験したことが偏見なく滔々と語られている。
思想の介入のない、良書だと思う。
~「真実のインパール」平久保正男著 光人社刊~

カローホテルの本館、私の部屋は2階の手前側。

部屋の出窓。窓の向こうに鉄道の線路が臨まれ、時々駅の方角から汽笛が聞こえる。
旧都ヤンゴンや古都マンダレーのような都会も悪くないが、ミャンマーの魅力を最も引き出してくれるのが地方の田舎町だ。
ヤンゴンから飛行機で1時間少し、シャン州の州都タウンジーの玄関口へーホー空港に降り立つ。
この空港は第2次大戦中に日本が建設した空港だそうだ。
この空港から自動車で東に40分ほど走ると人口数十万のタウンジー市。
それとは反対方向西側に40分ほど走るとカローという小さな街がある。
私はこのカローが大のお気に入りなのだ。
カローの街は山に囲まれた閑静なところで、街の北側をタウンジーとメイクテーラ、マンダレー方面とを結ぶ幹線道路と鉄道が走っている。
街の入り口付近の道路沿いには市場があり、大衆レストランが並び、昼間は結構賑やかだ。
また外国人向けトレッキングツアーを受け付ける旅行代理店なども軒を並べていて白人の旅行者の姿もちらほら見かけられる。
日本語の話せるトレッキングツアーガイドもいる。
この賑やかなところから歩いて小一時間、街の端っこに私のお気に入りのホテル「カローホテル」がある。
初めてこのホテルに宿泊した時はなんて落ち着いた感じのホテルなんだろうと感動したものだ。
築100年はありそうな英国風の木造2階建ての建物。
ロビーから2階へ上がって行く階段、そして廊下のシックなこと。
客室の出窓から眺める手入れの行き届いた中庭の花々が目に留まり、ここがミャンマーだということを暫し忘れてしまいそうになった。
私の部屋は玄関上の広い部屋で、ここからは小川を挟んで鉄道の線路も眺められた。
このカローホテルが、第2次大戦中、日本軍の地域内の司令部の置かれていた場所だったことを知ったのは最初の訪問から帰国した後だった。
今はホテルのこの敷地内には、司令部だけではなく、戦病者の病院もおかれていて、かつては多くのに日本人将兵が進駐していたのだという。
俄には信じがたい事実だった。
カローの平和な雰囲気とビルマ戦線という先の大戦でも最も悲惨な作戦が、どうも意識では繋がりにくかったのだ。
どれほど重要なところだったのか、これまでまったく知らずにこのカローを訪れていたが、平久保正男著「真実のインパール」を読んで、ここが想像以上に日本にとって重要な拠点であったことを知った。
そしてかつて日本人将兵で溢れていたこの街の風景が鮮やかに想像されたのであった。
著者は元陸軍主計中尉で、自らの体験を昭和21年という早い段階で書き記し、残していたのだ。
それだけに、当時のカローの様子やそこに滞在していた多くの日本人の姿が垣間見られ、現在のカローホテルの平和な雰囲気とを比べてみて感慨を新たにするのだった。
なお、真実のインパールでのカローの記述はほんの一部で、多くはインパール作戦の中に筆者が体験したことが偏見なく滔々と語られている。
思想の介入のない、良書だと思う。
~「真実のインパール」平久保正男著 光人社刊~

カローホテルの本館、私の部屋は2階の手前側。

部屋の出窓。窓の向こうに鉄道の線路が臨まれ、時々駅の方角から汽笛が聞こえる。