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宇宙エンタメ前哨基地

<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム

Raiwa One!

2019-05-27 08:38:46 | 歴史
トランプ大統領が国技館の土俵に上がって優勝力士に大統領杯を授与したのは昨日のこと。
もしかすると、
「ヒョーショージョー!」
がトランプ大統領によって復活するんじゃないかと期待をしていたが、表彰は英語で。
その表彰状も片手渡しで、表彰状の授与の作法もめちゃくちゃだったが、それはそれ。
日付のところで「Reiwa One!」と言ったのが妙に印象に残って場内でも「うぉー」という感じがテレビを通じて伝わってきた。
なんだかAirforce Oneみたいでヘンテコリンな感じがしないでもないが、確かに令和元年は英語では「Reiwa One!」。

それなりに面白かった異色の千秋楽なのであった。

それにしても優勝力士が日本人で良かった。

NHKビジネスモデルの崩壊

2019-05-26 11:06:12 | 歴史
先年株主からの要望があったかどうか知らないが、SONYがこの夏NHKが映らないテレビを発売されて話題になっている。
機種名はブラビア BZ35F/BZシリーズ。
要はチューナーが内蔵されていないテレビでNHKだけではなく他の民放も地上波やBSは映らないテレビなのだ。しかも法人向けの販売で一般小売店では販売していない。
いわゆるプロフェッショナル向けテレビということができる。

もう何十年も前だが、ソニーには「プロフィール」というトリニトロンブラウン管テレビがあって、確か一部の機種にはチューナーが装備されておらず、モニターとしての機能をメインにしたテレビであったように記憶している。
デザインもソニーらしく秀逸で、フレームでキューブ状に形成されていて積み重ねたり横に組み合わせてマルチ画面を構成できるような仕組みにもなっていた。
「欲しい!」
と思ったが学生身分の私に買えるよう代物ではなかったのだ。

今回の新製品はチューナーはないがネットに繋げてアプリを入れるとネットを通じて民放番組を見ることができるそうで、ある意味新時代のテレビの形ではないかと思われている。

ところで現行法によるとチューナーを内蔵しているテレビも持っていると、ただ持っているという理由でNHKに受信料を払わねばならないのだという。
最近多くの裁判の判例が生まれてきていてNHKにはすこぶる有利な展開だ。
ところチューナーを内蔵していないテレビはその対象外。
従ってNHKの電波を受信することができないテレビならば受信料を支払わなくても済むということになる。

インターネットが普及して我が家なんかは地上波テレビを見るための設備はなく、テレビはもっぱらiMac。
インターネットでYoutubeや民法のネット配信を見ていて、どうしても地上波が見たい時は双方の実家へ行くことにしている。
それで生活に困ることはないし、TV番組そのものも魅力のあるものは少ないしで、ニュースなんかはラジオでも十分だ。

そこでふと思ったのが、もしかしたら数年以内にNHKのビジネスモデルは崩壊するのではないかということ。
各家庭がネットを通じてテレビを見るようなれば畢竟チューナを使った地上波番組を受信することはなくなる。
NHKを見るためにわざわざNHKアプリをダウンロードするとも思えず、ダウンロードしたところで全世界の隅々から受信料を徴収することもまず不可能。
NHKを有料にしたら、それこそCSの1つと存在価値は変わらなくなり、どうしてもそれを見たい人以外は電波の購入はしなくなるに違いない。
実際CSとて存亡の危機に立たされているの現状だ。
ネットフィリックスのようなサービスが急成長しているところからもその傾向は伺える。

各家庭から強制的に料金を徴収するNHKのビジネスモデル。
もしかすると終わりが始まっているのかもわからない。

ファーウェイにファーウェル

2019-05-25 06:31:46 | 歴史
アメリカと中国の貿易戦争がますます激化してきている。
幸いなことに私の仕事にはまだ影響はなく、その兆候もないのだが、お客さんによっては「引き合いが減っている」というような話もちらほらと出だしている。

正直なところ、トランプ大統領が中国の輸出戦略に対して非難轟々としているところは、以前から多くの人達が心の中で思っていたことで、日本の政治家なんぞは、というかヨーロッパも、その他の国々も中国に恐れをなして言えなかったし行動にも出せなかった部分であることは間違いない。

ファーウェイがその最大のやり玉に上がっているわけだが、多くの技術を要する製造業でほんの20〜30年の間にあれだけの会社に成長するには何らかの国策や特権機能が働かないと実現することはできないだろう。
ファーウェイそのものの急激な事業拡張が、国家が関わっているという何よりの証拠なのだ。

とりわけファーウェイのように通信機器に関わっている会社が国の支援を受けて大きくなることは情報統制厳しい中国のような国では当然のことなのかもわからない。
かれらは国家の体制を維持するためにも個々の通信端末の傍受は必要であるし、かといって個数を制限すると商売にならないのでそれはしない。
畢竟、どうやって無数の情報機器から情報を集めて、そのなかから都合の悪いものを選択して発信元と受信元を挙げるのか。
それは非常に重要だ。
この国内向けの技術を海外に展開しないわけがないわけで、米国の主張は経済安定というよりも安全保障を考えると必要な措置なのかもしれないと思わないわけにはいかないのだ。

ということで、ファーウェイにファーウェル。
中国との取引を早々に東南アジアかインドに移したところが21世紀前半の勝者になることはほぼ間違いなさそうな雲行きだ。

政治家は商売人

2019-05-15 07:53:13 | 歴史
橋下徹が大阪府知事に当選したときに、かれは早稲田の学生の時に皮革衣料品の取引で大損をした経験があるということがその経歴の中で度々紹介されていた。
その時の悔しさをバネに商売とはこういうふうに動かして勝利しなければならないというような考えが生まれたのだと言われていた。
その商売というか経営手腕は大阪維新の会の行政手腕に活かされているようで、この10年間で大阪は明らかに変わったと大阪人とその周辺の関西人も強く感じている部分だと思う。
国家議員の集まりの日本維新の会がそうじゃないようなところが残念ではある。

何が言いたいかというと優秀な政治家には優秀な経営者が多いことだ。

戦前であれば高橋是清や井上準之助などがその手の政治家だと思っている。
双方とも事業の運営や財政に明るい。
とりわけ高橋是清には、
「お金に縛られて公の利益を優先できない経済状態の人は組織の上に立つべきではない」
と述べていたくらい、リーダーとしての責任感は卓越したものがあったようだ。

元日産のCEOに聞かせてやりた言葉なのだ。

そこんところへいくとドナルド・トランプ米大統領は歴代大統領の中でも出色の下品さを持ちながら出色の実業家でもある。
絶好調の米国経済を見据えながら華僑の本山である中国へ経済戦争に打って出る手法は日本人には真似のできない凄みすら感じられる。
それが良いことかどうかの判断は人によって違うかも知れないが、中国ビジネスに多くの不満を抱えているビジネスパーソンにとっては市場が「厳しくなるかも」しれない戦いかも知れないが、別の意味で「よくやってくれている」と思える戦いでもあるような気がする。

世界は経済で動いている。
よって政治家には商売人のセンスが重要であることに違いない。
その点でいくと日本の政治家は欠陥品だらけともいえそうだ。

ドリス・デイ

2019-05-14 05:41:40 | 歴史
ドリス・デイの訃報を聞いて、

「まだ生きてたのか」

というのは失礼かもしれない。
でも、それほど昔の人なのでまだ97歳であったことに驚いたのであった。

「ケセラセラ、なるようになれ」
の歌で有名なドリス・デイ。
私が子供の頃はテレビで「ドリス・デイショー」の再放送がされていて数回は見た記憶がある。
当時は米国製テレビドラマにはまりかけていた年齢で上品なコメディよりも「白バイ野郎」、「バイオミック」「スター・トレック」「ハッピーデイズ」「ゴングショー」なんかのほうが好みだったので真剣に見ようとはしていなかったと思う。

とはいえ、ヒッチコックの映画にも出演。
ケセラセラは世界的なヒット曲で日本でも知らない人はいないだろう。

ドリス・デイ。
ご冥福を祈ります。

人身事故防止:君しにたもうことなかれ

2019-05-12 20:37:57 | 歴史
「これから帰るよ」

と大学生の娘からメールを受け取ったのは夜10:00を過ぎた頃。
電車の到着時間が近づいてきたので自動右車で最寄り駅のロータリーで待っていると到着時間が過ぎても娘が帰ってこない。

「お、もしかして」

娘はよく居眠りをして乗り過ごしていた時期があり、

「しっかりせんか!」

と叱りつけたことがたびたびあった。
久しぶりにやりよった、と思ったのは到着時間を10分以上過ぎてもロータリーに出てこないからで、これは困ったと思った。
というのも時刻が遅くなって乗り過ごすと大阪南部に住む私んちでは、和歌山方向または関西空港方向へ行ったら、向こうから大阪方向へ来る電車の終電が過ぎてしまっている可能性がある。
大阪から関空や和歌山方面へは結構遅くまで電車があるのだが、その逆は早く終わってしまう。

自動車で最悪和歌山まで迎えに行かねばならない。
懲らしめてやる。
と思ったそのとき、娘が自動車のドアを開けた。

「ん〜〜〜、人身事故。電車動かへんし。」

人身事故で電車がストップ。
ダイヤがめちゃくちゃになってしまっていたのであった。

最近どうもいただけない。

「人身事故が発生しましたのでただ今〇〇線は列車の運転を見合わせております。」

というアナウンスや電子表示によく出会う。
これは大阪に限った話ではなく、東京でも頻繁だ。
で、この人身事故の大半が「自殺」。
それも若い人の自死が多く、痛々しさがかなり大きい。

昨夜も私の娘が利用している、というか家族が通常の通勤通学に使っているJR線で人身事故。
聞けば17才になる高校生が電車に飛び込んだのだという。
塾帰りが遅いので心配していた家族が探していた時の出来事だという。
なんという痛ましいことであろうか。

私が高校生の時。
70年代から80年代になる昭和時代終盤のころ。
自殺なんて考えたことは、ちっともなかった。
進学や学校のこと、家族のことで悩みがないなんてことはなかったが自分で死のうなんてちっとも思わなかったのだ。
私の場合、学校には問題はあまりなかったが家庭の方がめちゃくちゃの状況に近く、普通であったらグレていても不思議ではない環境なのであった。

私のクラスにも家庭環境の厳しい友達は少なくなかったように思うのだが、死にそうな奴はいなかった。
学校を辞めてしまったやつはいたことはいたのだが、選択肢に「死」というものはなかった。

なぜこうも自死を選ぶ雰囲気が社会に蔓延しているのだろう。
テレビのニュースで「今日、〇〇で飛び降り自殺があり」というようなものを平気のへっちゃらで流したりするところに大きな原因があるのではないか。
私は世の中がルール主導で融通が効かないというところにもマスメディアの野次馬根性と同じぐらい悪影響の原因があるのだと思っている。

世の中、修正の効かないことなんかほとんどない。
要は大きいか小さいかの違いで、「山より大きな獣は出ず」という言葉があるとおり、どんなことでも着地点があるものだ。
とりわけ若ければ若いほどその着地点は用意されていて、さらに修正ややり直しが効くのが普通であろう。

マスコミを含めて社会はそういうことをアピールすべきであって、事実だけを暗ら〜〜く伝えるのは大きな間違えだ。

「君しにたもうことなかれ。」

私のあまり好みではない、私の出身地大阪堺が生んだ与謝野晶子が日露戦争に皮肉を言った言葉ではある。
が、今こそそう社会が声がけをする時だと人身事故の情報を聞くにつれ強く思う次第なのである。

元号・リセットできる社会

2019-05-03 09:02:45 | 歴史
令和元年。

新しい元号を聞いて新鮮さとお祝い気分が同時にやってきたのははじめての体験だ。

30年前の昭和から平成への改元は昭和天皇の崩御と上皇陛下の即位に伴われ行われたものだった。
だからどちらかというとめでたい気分はあまりなく、自分ちのお爺ちゃんが亡くなってしまったような雰囲気に似た喪失感の方が大きかったように記憶している。
やはり天皇も人間。
昭和天皇とて永遠に生き続けていくわけはなかったわけだが、昭和に生まれ、昭和に育ち、昭和で社会人になった私のような世代からすると昭和が永遠に続くような錯覚もあったのだろう。

ところが今回は譲位に基づく改元。
だから先の天皇陛下、現上皇陛下の引退という一種の寂しさはあったものの、それ以上に新時代を迎えるというお祝いムードが他を圧倒している。
日本全国が日の丸色に盛り上がったのは、良い意味で驚きなのであった。

しかも、先に述べたように昭和から平成に変わるときと違って、明るい気分で新元号を迎えた。
このため非常にポジティブな明るい雰囲気が社会全体に漲り、あるかないかは疑わしいが希望に満ちた切り替えが心に生まれたのだ。
経済的にはたいへん不景気だった平成が、本当に終わって、違う社会が生まれる予感さえ漂っている。

元号というのは、もはや日本にしか残っていない文化だ。
しかし21世紀の現代でも、元号には社会をリセットすることのできる素晴らしい能力があることを考えると古人の作ったシステムの凄さは驚くばかりなのだ。

ニュースを見ていると皇居前でインタビューを受けた高校生の一言がそれを言い当てていて頷いた。
「令和は僕たちの時代です。」

そう言える幸せが日本にはあるのだ。

平成の大晦日

2019-04-30 07:54:36 | 歴史
「なんか、5月1日は『あけましておめでとう』って言ってしまいそうやわ」

と昨日言ったのはカミさんなのであった。

世の中が天皇陛下の譲位と改元で祝賀ムードが漂っているうえにテレビでは「平成を振り返って」みたいな番組ばかりが流れている。
NHKでは平成の紅白歌合戦の名場面を振り返る番組が流されていたが、これではまるで大晦日なのだ。

「5月1日は初日の出を拝みに行きます」

と言っていたのは先日のラジオのリスナーからの投稿。
確かに改元して最初の人のではある意味ホントに初日の出でもあり、太陽を拝む習慣のある日本人にはごく自然のように感ぜられるので不思議なものだ。


ということで平成の大晦日。

みなさんはどんな一日を過ごしますか?

祝!新元号「令和」頭文字は「R」か「L」か?

2019-04-01 11:45:12 | 歴史
新元号が決定した。

最初にWEBで報道したのは読売新聞。
WEBでの生中継を除いてトップなのであった。

で、「令和」。

万葉集からというこということで、慣れるとそれなりに良いのかも知れない。

ところで頭文字は「R」それとも「L」?

次はそれが多少気になる新元号なのであった。

堺県の謎

2018-06-09 09:02:06 | 歴史


私の生まれ育った大阪府堺市は全国市町村で唯一の県から市に格下げになった自治体だ。
このこと、堺市の小学生や中学生は学校で習うことなく成長していくので、おとなになってから知るとびっくりする。
何も隠すことはないと思うのだが、ぱっと聞くとあまり名誉なことと思えないので教育委員会としては隠したい事実なのか、疑いたくなる。

だから堺市の子どもたちは地元歴史の授業で名誉あることしか学ばない。
「堺は中世自由と貿易で栄えた環濠都市」
「千利休の生まれた街」
「与謝野晶子の生まれた街(←これが名誉とは思えませんが)」
ということばかりで堺市が堺県であったことは習わないのだ。

実は私もおとなになってから知ってビックリした口で、
「え〜、なんで〜」
となったのは言うまでもない。

その堺市が堺県であったほんの14年間を歴史資料でたどる特別展が堺市立博物館で開催されている。
展覧会情報のWEBサイトでこの特別展を発見して、
「これは必見!」
と急ぎ訪れてきたのだ。

展示内容は大きく分けて2点。
1つ目は土佐藩士がフランス人水兵を攘夷殺戮した堺事件関連の資料展示。
そして2つ目が初代県知事と二代目県知事の優れた行政に関する資料であった。

堺事件は森鴎外や大岡昇平などが小説やノンフィクションとして著していて幕末維新に詳しい人であれば知られている事件だ。
時代は維新を迎える慶応4年に発生。
堺に上陸してきて狼藉を働くフランス人水兵を堺の土佐藩士が天誅を加えるべく11名を殺害。
当然外交問題に発展し、攘夷天誅を実行した土佐藩士は切腹となった。
この切腹の凄まじさが記録として残っていて、フランス人行使立会のものとに実施され切腹はフランス人たちに「途中中止」を余儀なくさせるほどのものであったという。

特別展では奉行の傘や土佐藩士たちの墓の写真など展示されていた。
堺事件はたった150年前の事件であることをリアルに認識するとともに、土佐藩士たちの行動は当時は決して非難できないものであったが、それをさせない時代の趨勢の哀れを感じざるを得ないのであった。

さて、堺が県になったのは「廃藩置県と全く関係ない」というのが、もしかすると最大の話題かもしれない。
なんといっても廃藩置県が宣言される2年前に堺県は誕生。
もともと大阪と同じで幕府直轄領だったからかもわからない。
でもそういう要素というか中世からの遺伝的要素からか、全国のどこよりも先に近代的な行政を開始したのだった。

初代知事の大分出身の小河一敏という人で、絶対的仁政を掲げ中央政府と対峙して解任されるほどの堅物なのであった。
どういう事をしたかというと、大和川の氾濫に苦しむ住民が何度も治水工事を願い出たが政府がそれを聞き入れなかったので、独断で自身を含む堺県職員の給与を大幅カット。加えて無許可の県札を発行して資金を集め治水工事を断交してしまったという。さらに殖産興業に力も投入。東洋紡やカネボウなどの大阪の繊維産業隆盛の礎のひとつとなった。

でも、こういう人だからこそ中央の新政府は「好まん!」ということでクビを切ったのだろう。

二代目の薩摩の税所篤。
西郷隆盛が入水を図った時に意識を回復するまで西郷の手当をした人物だ。

この人の行政手腕がまたずば抜けていたという。
日本ではじめての博覧会を堺の南宗寺で開催したかと思うと、近代的な公園整備に乗り出し、浜寺公園、大浜公園、奈良公園と今も残る広大な市民のための公園整備を実施たのだった。
で、ここで「なんで奈良公園なの?」と疑問が浮かぶだろう。
堺県の範囲は現在の堺市にとどまらず岸和田市や泉佐野市、河内長野市、藤井寺市などの旧河内国、和泉国はもちろんのこと大和国まで含んでいたのであった。

このあまりに広範囲な行政エリアが経済政治機能が急速に弱体化した大阪府の嫉妬につながった。
結果として中央政府は堺県を大阪府に統合する形で堺市が誕生。
堺県の旧大和国は大阪府に組み入れられるも間もなく奈良県として独立して現在に至っているというわけだ。

特別展では、なぜ東京、大阪、京都が「府」でその他が「県」になったのかという理由も解説されていて、とっても勉強になる展示会なのであった。