「寅さん」・山田監督ゆかりの柴又で、お世話になった方の死を聞いた
「『男はつらいよ』40周年・フーテン便り」というメールニュースが送られてくる。そう、今年は「寅さん」の40周年だ。そんなことを考えると、久しぶりに葛飾柴又へ行ってみようという気になった。
久しぶりの柴又駅前に立つと、「寅」さんの立像が建っていた。久しぶりの訪れであることを実感した。渥美さんと山田監督が愛して止まなかった柴又の地、そして高木屋の草だんご。私ものんびりと柴又帝釈天・題経寺への参道をぶらつき、高木屋では草だんごを食べた。高木屋のお店には、若かりし頃の山田監督の写真が、渥美さん愛用の席の横に飾られていた。
草だんごを食べた後、矢切の渡しの見える土手に立ち、山田洋次フェスティバルを開催したことや、それ以前の山田洋次監督との出会いや語らいなどの思い出を振り返っていた。
すると携帯が鳴り、前松竹労働組合委員長の杉崎光俊氏が亡くなられたとの知らせを受けた。杉崎さんは山田洋次監督を引き合わせていただいた方であり、様々な場面でお世話になり、岡山市職労が「日本映画復興会議奨励賞」を受賞させていただくご縁も作っていただいた方だ。
杉崎光俊さんは、享年68歳。近年病魔と闘っておられたが、それにしても早すぎる死だ。悔しくてならない。心からのご冥福をお祈りする
杉崎さんの気配り・めくばりにはずいぶんと教えられました。
現職だった「日本映画復興会議事務局長」として、まだまだご活躍していただきたかった人です。
寂しいし、あまりに早い死に悔しい思いです。
たくさんのことを教えていただき、ご支援をしてくださいました。感謝、感謝です。
でもこのところ、お会いすることがなかったので、永久の別れは余計に寂しいです。
ご冥福をお祈りするばかりです。
哀しくて辛いです。
撮影のエピソードなど話して下さり
とても優しい方でした。
当時の事を色々と思い出します。
心よりご冥福をお祈り致します。