地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

水落理医師

2011年10月29日 | 医療生協

 

水落理医師の「米寿と出版記念を祝う会」が、全日空ホテルで盛大に開かれた

 水落理医師が米寿を迎えられた。先生が岡山医療生協の理事長時代に、私もその半分以上の期間を理事として、運営に参加させてもらった。その後も親しくさせていただいたご縁もあり、昨晩開催された「米寿と出版記念を祝う会」に出席させていただいた。

 会場は全日空ホテルで、その北側には協立病院駅元診療所がある。その協立病院のHPには、次のように書かれている。
 「いつも身近に、気がねなく安心して診てもらえる医療機関があったら・・・地域の人々のそんな切実な願いから設立されたのが岡山医療生協。1952年、組合員(300人)の知恵と力を集めて、初めて誕生した医療機関が大衆診療所(今の駅元診療所)でした」。

 その大衆診療所の初代所長として赴任されたのが水落理先生だ。その後先生は岡山医療生協理事長として、24年間ご尽力・奮闘をされた。そのほとんどの時期は協立病院の院長でもあった。

 同時に、社会活動にも積極的に参加されている。水島の公害を鋭く告発し、人間裁判・朝日訴訟や森永ヒ素ミルク事件では極めて大きな役割を果たされている。主催者や来賓の方々から、こうした活動が詳しく語られた。偉大な方である。

 そんな水落先生が、自らの過ぎこし人生を振り返って執筆され、二冊のご本を出版された。まず昨年には、少年時代と医学生時代を書き記して出版した、『丹波物語 併録「難民敗残医学生日記」「岡山医科大学金光学生寮」』(2010年2月 星雲社刊)を出された。ワクワクしながら読ませていただいた。

 そしてその続編として、インターン時代から今日までを書かれた『なつめ』を、この度出版された。昨日の「会」は、そのお祝いを兼ねて催された。昨日いただいたので、これからゆっくりと読ませていただこうと思う。

 余談だが、水落先生は医師であるが、名エッセイストでもある。1988年には既に、『聴診器 いのちのうたが聞こえる』(手帖社刊)を、既に刊行されている。

 ところで、昨日の「会」は、珍しく立食のパーティではなく、座席が指定されていた。久しぶりのコース料理を楽しませてもらった(オードブルとデザートのみ、写真を貼らせていただく)。会場も19階の「宙」で、夜景が美しく、ステキな時間を過ごさせていただい

 さて、昨日の「会」では、親しくされているお医者さんから、「岡山の日野原たれ」(日野原先生は現在100歳だ)との激励も飛んでいた。水落理先生は「老人ホーム」等では、まだ診察もされていると聞く。いつまでも、お元気でお過ごしいただきたいと思う。

 そして、私も見習って、当面70歳までは元気でいたいと思った。元気をもらった「祝う会」だった。

 

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