もしも、もしもネアンデルタール人が少ない数---少ない数といっても100や200のオーダーではなく、10万人規模(もっとかな)---でも生き残っていたら。
もしも、ほんのちょっと現生人類の生活域の拡散が遅く、ネアンデルタール人集団がどこかの大陸や島---たとえばオーストラリアとかニュージーランド---に海のおかげで隔離され、生き残っていたら。
もしも、クロマニヨン人(になるヒト)の第2次Out of Africa---アフリカ大陸からアジア大陸にでること---がもう少し遅れていたら。
もしも、アフリカ大陸とアジア大陸がもう少し離れていたら---陸続きでなかったら、”船”の発明まで第2次Out of Africaは遅れていたかもしれない。
様々な「もしも」の結果、ネアンデルタール人にもう少し進化・自然環境への適応の時間があったら、ネアンデルタール人はヨーロッパで生き延びることができたのだろうか。クロマニヨン人の到来の前に、別の場所に逃げ、増えることができたのだろうか。
もしものパラメータが多すぎて、ひとつの条件が変わると他の条件も結果も変わってしまうので、想像してもどうにもならないのはわかっているのですが、興味があります。
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実際のところ、ネアンデルタール人は、かなり優れた能力(知性等)があったらしいのに、滅びてしまった。クロマニヨン人とネアンデルタール人、接触したことはあったのかな。食べ物を巡るあらそいがあったのかもしれないし、寿命・子供の数・知恵…何かがほんのちょっと違うだけで、何代・何十代と世代を重ねるにつれて自然と数が減り滅びてしまったのかもしれない。
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彼らにも言葉があったらしい。あくまでも、「らしい」です。科学的検証によりあったと推定されています。
現生人類と比較して、どの程度の「知性」があったのかな。脳容量は僕たちよりも大きかったようだけど、それだけでは「知性」は計れない。「同じ」レベルか、「上」か、「下」か。どんなものでも、何が話せたのか知りたいな。
インドネシアで発見された、ホモ・フロレシエンシスもそうだけど、ネアンデルタール人にはネアンデルタール人として生命を維持し発展させる力(生きる知恵)があったはず。現生人類と比較することはナンセンスなのかもしれません。それに、そもそも「上」「下」というのは、僕らのおごり。「異質(different)」というべきかもしれません。現生人類の「知性」を物差しとするのは傲慢ですね。
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もしも、大航海時代まで彼らが生き延びていたら、2人類の接触場面では何が起こったんだろう。
人類(Homo sapiens)は同じ人類でも、言葉が通じない、皮膚の色が違う、考え方が違う、といろいろな理由で差別(殺戮)した”前科”がある。そもそも同じ人類と考えることができない。「知性」レベルが異なり、「言葉」も通じず、「外見」が相当異なっていたら...
何か暗たんたる気持ちになる。やっぱり彼らはここには居なかったかな。
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