全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

沖縄

2005-05-15 06:17:58 | 気になる 沖縄

 1972年5月15日沖縄が本土復帰(この言い方には様々な意見がある)

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 今から33年前、沖縄が本土復帰した。それまで沖縄は日本であって日本ではなかった。施政権(法律・条例をつくり、行政を行うこと)の返還がなされ、沖縄県が発足し、その他の都道府県と同等の存在になった。
 県の発足。沖縄以外の都道府県と同等の法律の施行には膨大な手間がかかる。ちょっと考えただけでも、当時、沖縄の通貨は「米ドル」、「車は右・人は左」であった。目に見える相違。目に見えない相違。数え上げたらきりがなかった。
 通常業務に加え、膨大な準備事務処理を強いられる琉球政庁(沖縄行政府)を援助するために、国や全国自治体から応援職員が送られることになった。
 その中に僕の父もいた。

 「父さん沖縄に行くぞ」
 「なんで」
 「沖縄の役所のお手伝いに行くんだ。沖縄が今度本土復帰するからな。いろいろ仕事が増えるから、沖縄の役所に行ってお手伝いをするんだ」
 「復帰するとどうなるの」
 「自由に沖縄に行けるようになるんだよ」
 「ふぅん…」

 なぜ、沖縄が本土復帰するのか、それがどんなことなのか、よくわからないまま、お土産をねだった記憶がある。
 しばらくして、家で見たこともないお金を見た。ドル紙幣とコインだった。おもちゃみだいだと感じたことを覚えている。
 もうすぐ出発となった日、突然出発が取りやめになった。アメリカ政府が父の琉球上陸を認めなかったからだ。

 父は昭和一桁生まれである。戦争にも行き、戦後学校に通い、国の役人になり、日本の復興の中で、日本中の人々と同じように、地道に働いてきた普通の公務員だった。
 戦後昭和25年、父は国の役人になった。当時日本はアメリカの占領下で、現行憲法で保証されていた通常の権利が制限を受けていた。
 今でもそうだが、公務員は一般労働者に保証されている権利が一部制限されている。まして当時、公務員が労働組合を作ることは、実質的には不可能だった。父は役所で、労働条件向上などを求めて活動をしていた。その経歴が上陸不許可の原因だったことは、自分がある程度大人になってからわかった。
 沖縄はアメリカ施政下。戦後労働運動をしていた父はアメリカにとって好ましからざる人物だったわけだ。勤務時間外に労働組合作りでもされたらまずいとでも思われたのかもしれない。

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 そんな歴史を持つ沖縄に今年も仕事ででかける。生徒たちはなにを感じてくれるだろうか。なにも感じてくれないかな。国道表示が英語になっていることには気づいてほしいものです。
 Moon Beach, Tiger Beach, Emerald Beach... いろいろある。

 沖縄の道路案内標識ローマ字表示基準を見ると、沖縄のおかれている状況がよくわかる。

 道路案内標識ローマ字表示基準(案)について
 沖縄ブロック道路案内標識ローマ字表示基準(案)(PDF)
 著名地点英語(ローマ字)表記リスト(PDF)


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