闘士
第11章
チュール時代の小さなエピソード
I. 美しく小さい司教区
小さな司教区のための大司教
フランスの枢機卿及び大司教たちは 1961年の晩夏にダカールの大司教がフランスに任命される可能性があるという話を聞いて心配した。何だと? ルフェーブル大司教だと! 修道者司教というのは普通ではない。しかも「非妥協的カトリックの傾向があり、ヴェルブ (Verbe) 誌をオープンに保護した」男であることは、よく知られていた! おまけに8月 2日にマルケス (Jean Emmanuel Marques) 司教が亡くなった後、空席状態であったアルビ (Albi) の大司教区にルフェーブル大司教が任命されるように、とモリー司教(Mgr Émile André Jean-Marie Maury)はローマに提案していた。それはフランスの司教たちにとって都合が悪すぎた!
ボルドー (Bordeaux) の大司教であるリショー (Richaud) 枢機卿は、他の枢機卿や大司教たちの要求によってすぐローマに特別の頼み込みを入れた。国務省は彼らの要求を受け入れた。 1961年 12月 4日、クロード・ドュピュイ (Claude Dupuy) 司教が記録的な短期間のうちにアルビの大司教という地位に昇進した。ルフェーブル大司教については 10月 18日以後空いていたチュールのような小さな司教区が与えられることになった。
パリ在住の教皇大使であるベルトリ (Bertoli) 司教に、ダカール大司教が引退するということが知らされ、そしてベルトリ司教によってフランスの枢機卿や大司教たちに知らされた時、今度は枢機卿や大司教たちが、フランス政府に働きかけ、「ルフェーブル大司教は小さな司教区を持つことができるが、枢機卿及び大司教会議(Assembée des Cardinaux et Archevêques) の構成員になるべきではない」ので、そのようにせよという要求をした。
政府は、その代表であるジャン・マリ・ストゥー (Jean-Marie Soutou) によって 1月 17日に内務省(Ministère de l’Intérieur) へと教皇大使を召還し、大使にこれらの要求を伝達した。
当時内閣で代理大使(chargé d'affaires)だったガブリエル・ルブラ (Gabriel Le Bras) 教授は、後にルフェーブル大司教に会いに来て会話の内容を教えてくれた。教皇大使は承諾し「ルフェーブル大司教の件で、前例を作らせない」と約束さえした。
ローマでは、善意を持っていた司教たちは何人かがルフェーブル大司教にこう助言した。
「チュールですって! 大司教様は抗議すべきです。」
大司教はこう考えた。
「人々は昇進にまた昇進, と職務をただ経歴の梯子としか見ていない。そんなものは全てあまりにも人間的な判断に過ぎない。私たちにはただ一つの霊魂の世話をすることさえもふさわしくない。聖フランシスコ・サレジオが言ったように、たった一つの霊魂は完全な司教区だ。私には 220,000人の霊魂の責務を持つだろう。これは大きい司教区だ!」
しかしそこはローマにはほとんど知られない司教区で、枢機卿の一人はルフェーブル大司教に
「大司教様はトゥール (Toul) に任命されたのですね?」と言った。
「いいえ、チュールです。」
「トゥロン (Toulon) ですか?」
「いいえ、チュールです!」
「でも、そんな所はありませんよ。」
「教皇年鑑の住所録 (annuaire pontifical) を見てください。ほらここです。チュール、あるでしょう。」
「あ、本当! チュールって書いてある。」
(つづく)
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