KOIKEYA PRIDE POTATO 金沢 金箔塩
黄金に輝くパッケージが目を引くプライドポテト。金沢にある老舗金箔メーカーの「箔一」と「湖池屋」がコラボ。
400年の歴史をもつ加賀の伝統工芸、金箔。淡路島の藻塩がちりばめられたポテチ。
確かにキラキラ。わかりづらいけど(爆)。。
されどポテチのちょっとした贅沢。
例えばマラケシュのスークにある肉屋さん。個人商店だから、売れ残りの肉は自家用に。あるいは貯蔵用に加工したり、近所の八百屋で野菜と交換したり・・・。
コミュニティで消費する歴史がそこにある。これに引き換え、大量の食品廃棄がしばしば報じられる日本。「もったいない」の美風はどこに行ってしまったのだろう。
たしかにモロッコの古い市街地には中世から続くサスティナブルの社会がある。ただし、そこには日本以上の閉塞感も漂っていることは間違いない。
広場で垣間見る蛇使いの生活。一日に相手してくれる観光客は数人だろう。うまく行って一人100モロッコ・ディルハム(1000円)ぐらいの喜捨があったとして、一日の稼ぎは数千円。
家族4人で1日の食費は1000~2000円。他、住居費などを考えると、かつかつ。その日暮らしと言わざるを得ない。
彼らが実現可能な夢とするところは、スークでお店を持つことだろうか。
それでも、多くの店が立ち並ぶから、売り上げは知れたものだ。売り上げが一日に10000円あったとして、その50%は卸値。利益は5000円。
にもかかわらず、ネットに散見される旅行記では売値の50%で買えるなどと書かれてあって、買い叩く日本人の旅行者が多い。
彼らもキャッシュフローが欲しいから、やむなく値引きに応じる。現金がないと生活できないのはどこでも一緒だ。
結局、店を持とうが、ストリートで大道芸をしようが先は見えている。とてつもなく閉塞された未来。繰り返しの毎日から逃げ出すこともできない。
ただひとつの救いは宗教。神の御心のままに生きる。それで心の安らぎを得る。
一方、旅行者は「値引きに競り勝つ」ことで物欲を満たし心の安らぎを得ている。それでうまく調和しているのだろう。
でも、「勝ち負け」ってだれが決めるんだろう。思いっきり値切って品物を買って、本当にそれが「勝ち」なんだろうか。
なんだかわからなくなってきた。
荷物をパッキングして日本に帰らなければ・・・。やっつけなければならない仕事が日本で待っている。
いつものことだが、旅の終わりはつらい。
マラケシュの迷宮のようなスーク(市場)の片隅で、アラビア商人に声をかけられたチャイニーズ・ガールがやり返していた。
I know the price of that,,,because it is made in China.
さすがの百戦錬磨のアラビア商人も、これには返す言葉がなさそう。渋い顔でチャイニーズの娘を見送る。
マラケシュのメディナ(旧市街)には、世界最大とも呼ばれるスークが広がる。網の目のように張り巡らされたスークの迷路。路地から路地へ、四方八方に路地が広がり、すぐに方向感覚を失ってしまう。どこまで行っても同じような小さな店がいくつも並び、熱気がムンムンあふれてる。
日用雑貨からお土産品まで何でも売っているが、同じようなものを売る店は特定の通りにかたまってることが多いようだ。だから、何かを買う目的があって探している時は、店による値段の違いがわかって便利かもしれない。逆に店側からすると、同じものを売る店が集まることによって集客ができるのだろう。
生鮮食料品の店なら、なじみの客をつかむことで売れ残りを調整することも可能だろう。お得意さんには値段で差別化を図り、他の店に客を取られないようにする。同時に売れ残りをできるだけ減らせもする。個人経営の小さな店だからできることだ。
マラケシュ市内には大型のスーパーマーケットもある。ただし、こちらは品質の高い高級品専門店。モロッコの人たちは賢く使い分けをしている。
スークの小さな店への卸は、地元の生鮮食料品を除けば、ヨーロッパから船で運ばれる商品が多い。かつてのシルクロードを通って陸路でアジアから運搬されたものなのだろう。時代が変わっても品物の流れは基本的に同じだ。
かつて、アラビアの行商人たちは、各地の金持ちたちの満足度に応じて品物の価格を決めていた。お金持ちには高い値段で売ってたわけだ。今もそれは変わらない。
客の満足度に応じて値段を提示する。高い値段を提示されたら、それはきっとお金を持ってると思われてるに違いない。見くびられるよりもマシかも。値段交渉で「勝った・負けた」で一喜一憂したくはない。
こちらの買う気のないそぶりに、値段を大きく下げてくる店はごめんだ。なによりも信用が置けない。商取引は信用が基本なのは昔も今も変わってない・・・なんてね。。
ネットでは、国・地域によって違うイスラム教徒たちの写真は撮りにくいと馬鹿のひとつ覚えのように書かれているが、モロッコでは必ずしもそうとは限らないように思える。モロッコの若い男性ムスリムたちは、ぼくが大きなレンズをつけたミラーレスカメラを片手に持って街を歩いていると、盛んに自分を撮れとアッピールしてくる。
若い女性たちもスマホ片手にセルフィーに夢中なのはよその世界とほぼ同じだ。女性たちが顔を片手で隠したポーズを取ってセルフィーを撮っているのも見かけたが、明らかにこれはイスラム世界でのジョーク。
SNSはこの地でも多くの若者たちの心をつかみ、仮想世界でのつながりを深めているのだろう。だが、もちろんのこと写真を撮ってよいかと男性に聞くとダメと拒否されることもある。
実はぼくも他人の写真を撮りまくる割には、自分の写真を撮られるのは苦手だ。それには理由がある。ぼくが人の写真を撮るのは、美しさやかっこよさを感じたからこそで、光線の加減とか被写体の表情に気を配り、一番よい表情を撮るつもりでシャッターを切る。なのでぼくを撮ってもらった写真についても、よけいなことをいいたくなる。だからいやなのだ。
道を歩いていて、にっこり挨拶。目があった瞬間の表情とか雰囲気で相手を撮って良いかどうかわかる。どういうわけか、年配の男性ほど写真を撮られることを嫌がる傾向があるようだ。それが疑問だった。ついイスラム過激派の偶像破壊と根っこのところでつながっているのかなとか考えたりもした。
モロッコに何日か滞在して、その疑問も解決。モロッコは人に親切な国だという印象を持った。とっつきにくいと思ってたムスリムは、実は情に厚く純情で親しみやすい人々だった。人は裸になって付き合えば、イスラム教徒も仏教徒も、キリスト教信者も最後は同じなのだろう。
イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されている。それゆえ、モロッコではマイノリティのブラック・アフリカンに対しても差別はない。とはいえ、男性と女性が平等かというと実はそうでもなさそう。徐々に変わりつつはあるが、女性の社会進出は難しそうだ。だからこそ、情に厚きモロッコの男たちは居心地の悪さを感じているのだろう。
・・・君のきれいな髪や体は、僕以外の男に見せて欲しくない。最愛の女は、僕以外の男のカメラに写って欲しくない。そのかわり、僕もほかの人のカメラには写らない。だから僕だけを見ていて。。。
そんな会話が聞こえてきそう。モロッコの男たちはすごく純情だ。
ワルザザートを出発。オート・アトラスの南を東西に走るカスバ街道を西へ。荒涼とした大地の中に現れるオアシスの美しい景色。
モロッコ国内を東西に縦断し、地中海側の北部と砂漠の南部に分けるアトラス山脈は、北東から南西に向かって順に、「モイエン・アトラス(MOYEN ATLAS)」、「オート・アトラス(HAUT ATLAS)」、「アンチ・アトラス(ANTI ATLAS)」の3つに分けられる。このうち、オート・アトラスは「高いアトラス」という意味で、アトラス山脈の中でも標高が高い山々が連なり、最も高いトゥブカル山は4165mある。
標高が高い場所でも、ベルベル人が牛の放牧をして暮らしている。 そして標高が低くなるにつれ、道路の脇にウチワサボテンが見えだし、オレンジやオリーブの農地が広がってくる。
砂漠を通過中、心に響いていたのはDesert rose。
♪ I dream of rain 雨の夢を見る
I dream of gardens in the desert sand 砂漠の中の庭園の夢を見る
I wake in pain 苦痛に目覚める
I dream of love as time runs through my hand 時が掌から滑り落ちるとき、愛の夢をみる ♪