ネットでは、国・地域によって違うイスラム教徒たちの写真は撮りにくいと馬鹿のひとつ覚えのように書かれているが、モロッコでは必ずしもそうとは限らないように思える。モロッコの若い男性ムスリムたちは、ぼくが大きなレンズをつけたミラーレスカメラを片手に持って街を歩いていると、盛んに自分を撮れとアッピールしてくる。
若い女性たちもスマホ片手にセルフィーに夢中なのはよその世界とほぼ同じだ。女性たちが顔を片手で隠したポーズを取ってセルフィーを撮っているのも見かけたが、明らかにこれはイスラム世界でのジョーク。
SNSはこの地でも多くの若者たちの心をつかみ、仮想世界でのつながりを深めているのだろう。だが、もちろんのこと写真を撮ってよいかと男性に聞くとダメと拒否されることもある。
実はぼくも他人の写真を撮りまくる割には、自分の写真を撮られるのは苦手だ。それには理由がある。ぼくが人の写真を撮るのは、美しさやかっこよさを感じたからこそで、光線の加減とか被写体の表情に気を配り、一番よい表情を撮るつもりでシャッターを切る。なのでぼくを撮ってもらった写真についても、よけいなことをいいたくなる。だからいやなのだ。
道を歩いていて、にっこり挨拶。目があった瞬間の表情とか雰囲気で相手を撮って良いかどうかわかる。どういうわけか、年配の男性ほど写真を撮られることを嫌がる傾向があるようだ。それが疑問だった。ついイスラム過激派の偶像破壊と根っこのところでつながっているのかなとか考えたりもした。
モロッコに何日か滞在して、その疑問も解決。モロッコは人に親切な国だという印象を持った。とっつきにくいと思ってたムスリムは、実は情に厚く純情で親しみやすい人々だった。人は裸になって付き合えば、イスラム教徒も仏教徒も、キリスト教信者も最後は同じなのだろう。
イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されている。それゆえ、モロッコではマイノリティのブラック・アフリカンに対しても差別はない。とはいえ、男性と女性が平等かというと実はそうでもなさそう。徐々に変わりつつはあるが、女性の社会進出は難しそうだ。だからこそ、情に厚きモロッコの男たちは居心地の悪さを感じているのだろう。
・・・君のきれいな髪や体は、僕以外の男に見せて欲しくない。最愛の女は、僕以外の男のカメラに写って欲しくない。そのかわり、僕もほかの人のカメラには写らない。だから僕だけを見ていて。。。
そんな会話が聞こえてきそう。モロッコの男たちはすごく純情だ。