例えばマラケシュのスークにある肉屋さん。個人商店だから、売れ残りの肉は自家用に。あるいは貯蔵用に加工したり、近所の八百屋で野菜と交換したり・・・。
コミュニティで消費する歴史がそこにある。これに引き換え、大量の食品廃棄がしばしば報じられる日本。「もったいない」の美風はどこに行ってしまったのだろう。
たしかにモロッコの古い市街地には中世から続くサスティナブルの社会がある。ただし、そこには日本以上の閉塞感も漂っていることは間違いない。
広場で垣間見る蛇使いの生活。一日に相手してくれる観光客は数人だろう。うまく行って一人100モロッコ・ディルハム(1000円)ぐらいの喜捨があったとして、一日の稼ぎは数千円。
家族4人で1日の食費は1000~2000円。他、住居費などを考えると、かつかつ。その日暮らしと言わざるを得ない。
彼らが実現可能な夢とするところは、スークでお店を持つことだろうか。
それでも、多くの店が立ち並ぶから、売り上げは知れたものだ。売り上げが一日に10000円あったとして、その50%は卸値。利益は5000円。
にもかかわらず、ネットに散見される旅行記では売値の50%で買えるなどと書かれてあって、買い叩く日本人の旅行者が多い。
彼らもキャッシュフローが欲しいから、やむなく値引きに応じる。現金がないと生活できないのはどこでも一緒だ。
結局、店を持とうが、ストリートで大道芸をしようが先は見えている。とてつもなく閉塞された未来。繰り返しの毎日から逃げ出すこともできない。
ただひとつの救いは宗教。神の御心のままに生きる。それで心の安らぎを得る。
一方、旅行者は「値引きに競り勝つ」ことで物欲を満たし心の安らぎを得ている。それでうまく調和しているのだろう。
でも、「勝ち負け」ってだれが決めるんだろう。思いっきり値切って品物を買って、本当にそれが「勝ち」なんだろうか。
なんだかわからなくなってきた。
荷物をパッキングして日本に帰らなければ・・・。やっつけなければならない仕事が日本で待っている。
いつものことだが、旅の終わりはつらい。