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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-20 20:30:19 | エッチ: よい子は立ち入り禁止
10.混濁した意識の中で
ふと、気がついて時計を見るともう夜の11時。テーブルでは、タカオカとニシザキが酔いつぶれ、居眠りを始めている。アヤカの姿は見えない。ヨーコがチョウとヤルダに囲まれて、談笑している。しかし、ヨーコもかなり辛そうにしている。睡魔をこらえながら彼等の様子を見ていたが、2~3秒意識が飛んでしまいそうになる。そろそろ帰ろうよと言ったつもりだが、眠すぎて体が言うことをきかない。そのうち、ぼくは睡魔に支配され、急速に意識を失っていく自分がわかった。
再び、朦朧としているが、まわりの状況がわずかにわかるほどに意識が戻ったときは、ぼくはダイニングに置いてあったソファーの上に寝かされていた。しまった、寝込んでしまったと慌てたが、体がしびれて動かない。焦点のなかなか合わない目を見開いて周りを見渡すも、かろうじてわかったのはまわりには誰もいないことだけだった。体を起こそうとして、ぼくは手足に全く力の入らないことに気づいた。なにかがおかしい。混濁した意識の中で、ぼくはとりあえず何かできることがないかを探った。部屋の天井を通して、おそらく直上の部屋であろう2階から、だれか女性の悲鳴が聞こえる。そして、床を踏み鳴らす物音。くぐもった話声。何か良からぬ事態が発生しているようだ。
自分の指先に意識を集中してみる。左手の人差し指を動かすイメージを必死に脳内で作り上げる。かすかに指先が反応しそうな感触が返ってくる。ゆっくり、ゆっくりと人差し指を動かす努力を続ける。指の反応がだんだん大きくなってくるのがわかった。人差し指の動きにあわせて、左手の指全体が徐々にではあるが動かせられるようになってきた。手のひらを握り締められるようになって、ぼくは気づいた。ぼくは両手首を後ろ手で縛られている。足もなんとか持ち上げるまで動かせるようになったが、足首も何かで縛り上げられているようである。
2階から聞こえていた物音は、大きな悲鳴とともに急に途絶えた。その後、床の上を歩き回っているらしい足音が時より聞こえてくる。
ぼくは、ソファーに腰掛けて立ち上がる努力をした。ソファーの上の腰をずらすと、両足が床の上に落ちた。そこから、ひざを曲げて立ち上がる体勢まで持っていく。なんとか上半身を起こして、ソファーに腰掛けた状態になることができた。ここから、上体をさらに前にかがませて、立ち上がる準備をする。時間がかかったが、なんとか立ち上がることができた。寝ているのと、立ち上がったのでは精神的にずいぶん違う。視野が高くなった分、気持ちが前向きになる。なんとか、事態に対処するため頑張ってみようと。

小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-18 19:59:40 | エッチ: よい子は立ち入り禁止
9.不思議な地点
遠い昔、シチリアはギリシアの植民地として栄えた。その後、紀元前3世紀にカルタゴと覇権を争って勝利を収めたローマ帝国に統治された。476年に西ローマ帝国が崩壊した後、ヴァンダル王国、オドアケル王国、東ゴート王国、ビザンティン帝国と次々に支配者を替え、9世紀にはイスラム(サラセン)帝国の制圧下に置かれた。それがこの島に東方の優れた学問や芸術をもたらすことになる。かの有名なアルキメデスは、シチリアのシラクサの輩出である。
さらに11世紀になるとノルマン人が支配するようになり、12世紀末には神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世が妻の縁(彼の妻はシチリア王女だった)で、島の領有権を主張して強引に版図に組み入れて、シチリアは黄金時代を迎える。なんともめまぐるしい。ゲーテにとってシチリアは、ヨーロッパではなく、アジアやアフリカを意味しており、「世界史のかくも多くの活動半径がそこに向けられているこの不思議な地点」と言っている。
施政者の交代はその後も続く。この島がたどったこの特異な歴史の道のりは、各時代のそれぞれ異なる民族が遺した文化遺産をみれば理解できる。例えば、古代ギリシアの野外劇場、ビザンチンモザイクで飾られた黄金色の礼拝堂、アラベスク風の装飾の赤いドーム、あるいはイスラムとノルマンの折衷様式(アラブ・ノルマン様式)のパレルモの大聖堂などの考古学的に重要な遺跡や美術的価値の高い教会建造物が、日本でいえば四国ほどの大きさのこの島に一堂に会している。
また、シチリアが「地中海の十字路」と呼ばれるのは、前述したように古代より幾多の民族が植民支配を重ね、その結果としてさまざまな文化の香りが漂うからであるけれども、その歴史を反映してシチリア独特の食事文化も発展している。「食べる時は扉を閉めろ。話す時は後ろを見よ」という、シチリアの諺がある。フランスやスペインの支配下にあった時、島民に重税を課し、反乱を避けるために密偵を放された時代の島民の知恵で、値段の安い茄子、鰯、パスタなどを使った料理がたくさん生まれたのだ。

ミュンヘン

2006-12-17 14:34:28 | cinema

流浪の民、ユダヤ人の建国の夢。そして、失われた祖国を希求するパレスチナの人々。片方のおける正義は、他方の不利益になる。そして、終わりのない報復の連鎖。どちらかが消滅するまで、血の記憶として続くのであろうか。
「黒い九月」事件直後に、イスラエル軍は難民キャンプを空爆して無差別殺戮している。にもかかわらず、暗殺作戦による更なる「報復」は、テロリストどもに直接報復することで、イスラエルのメディアや世論を納得させることに他ならない。そこに、主人公が作戦の意義に疑問を持ち、自分たちのやっていることがテロと変わりがないのではないかと悩む原因がある。一人のテロリストを始末しても、別のテロリストが代わりをするだけなのだ。まして、さらに凶悪なテロ行為を増長するにすぎない。スピルバーグは、自らがユダヤ人の血統でありながら、暴力はいつしか自分たちに返ってくること、テロ撲滅の行為が実は「テロリスト」と変わりがないことこの映画で訴えている。
殺されるパレスチナの指導者のほうにも一人として悪党は出てこない。みんなインテリで、家族を愛する普通の人ばかりだ。
標的の11人のうち「黒い九月」と直接関係があるのは数人にすぎない。復讐は復讐を呼び、果てしない殺し合いは女性や子供も容赦なく巻き込んでいく。主人公ーも仲間を次々に失って追い詰められていく。テロへの報復はさらに恐怖を拡大しただけだったのだ。

暗殺者もまた暗殺の標的となるばかりか、その家族までも失う世界。ラストシーンで在りし日の世界貿易センタービルがニューヨークの街並みに映しこまれている。ミュンヘンで11人を殺した実行犯のうち三人は生きて逮捕されハイジャックの人質と引き換えに釈放された。一人はパレスチナ人同士の内輪もめで死亡、一人は心臓マヒで死亡。一人は今も元気に生きている。

つまり本当に報復すべき相手にモサドは何もしてない。すべては、空しい愚行。


Ônibus 174

2006-12-16 15:05:00 | cinema

「このバスで一番の被害者は誰だかわかる?・・・それはあなたよ」
その日「174路線」を走るバスの強盗に失敗して、突発的にバスに立てこもってしまったサンドロに、ひとりの人質の女子大生が話しかける。サンドロは、しばらく考えて返事をにごす。

GDPが世界12位(2005年)のブラジル。まさに発展の途上にあると言ってよい。だが、発展途上国につきものの、国内の貧富の差はすさまじいものがある。こうした格差が700~800万人ともいわれるストリート・チルドレンを産み、多発する凶悪犯罪の発生原因となっている。そして、ブラジルの刑務所は犯罪者の更正のための施設ではなく、犯罪者に拷問を科すための修羅場となっている。定員3人の留置場に11人が拘置され、絶え間ない監守たちの暴力に晒され続ける。眠るためのスペースもなく、腐った食事が支給されることも・・・。檻の向こうで彼等は叫ぶ。<ここを出たらもっと激しい暴力で社会に報復してやる>と・・・。
暴力によって抑えこまれた怒りは、より激しい暴力となって吐き出されるのだ。

バス・ジャックの犯人サンドロは、スラム街の生まれではなかった。しかし、5歳の時に、強盗に母親が惨殺された現場を目撃したことで大きく人生が狂ってしまった。家を飛び出し、ストリート・チルドレンとして放浪と犯罪を重ね、クスリに溺れ、刑務所の出入りを繰り返した。
典型的な犯罪者の人生を送ってきた。リオデジャネイロ〈174路線〉バスに乗り込んだサンドロは、バスの強盗に失敗して、拳銃を手に乗客11名を人質に取って立てこもった。犯人のサンドロと警察の緊迫した交渉が続けられる中、ブラジル中のメディアはこの事件をこぞって報道。「自分はカンデラリア教会虐殺事件の生き残りだ」と発言するサンドロに対し、メディアの報道はさらに熱を帯びていく。
<彼に人質を殺す気はない。やるならもう殺っているはずだ。>
そう判断した警察は、犯人を射殺する映像がテレビに流されることを恐れ、特殊部隊による狙撃に踏み出せない。加熱する報道にパニックになったサンドロは、「6時に人質を殺害する」と宣言し、そして事件は最悪な方向へと動き出していく。 映画は、この事件の硬直した状況を、当事者であった人質と警官たちへのインタビューを交えて事件を再現していく。
映画『シティ・オブ・ゴッド』でも描かれていたように、ストリート・チルドレンはブラジルの深刻な社会問題だ。事件は最悪の結末を迎える。果たして、ブラジルに・貧困に悩む途上国に・すぐに効果のあがる対策はあるのだろうか・・・。

 


小説 デジャ・ヴ(グロ注意)

2006-12-15 20:59:43 | エッチ: よい子は立ち入り禁止
8.イタリア流
男の家を目指して、大通りをみんなで歩いていくと、次第に道路を行く自動車の喧噪がひどくなってきた。車が数珠つなぎになって、その渋滞の車がみなクラクションを鳴らし続けているのだ。もう、夜の8時で、通勤ラッシュには時間帯が合わない。どうやらこの渋滞は、突発的なアクシデントがあって市内の交通路が一部止められたためらしい。この国では、クラクションはエンジンの次に必要な車のパーツのようだ。これがイタリア流。男の家は、駅と反対側でカイローリ広場かさらに広い通り沿いに北西へ20分ほど歩いた住宅街にあった。
そのあたりの住宅は高さ2メートルぐらいの白い壁の塀で囲われて、塀には赤い小さな木戸がついている。木戸をあけるとぶどうの木などを片隅に植えた土の庭があり、大きなシベリアンハスキーがぼくらを出迎えた。夏の南イタリアに、シベリアンハスキーは気温が高すぎてかわいそうな気もする。きっと、日本と同様に、イタリアでもオオカミみたいな犬が流行った時期があったのだろう。ただ、夜の薄暗い庭で、銀色の目を光らせているオオカミ犬の姿は少し恐い。
男の家は、この夏の間借りている1軒屋であった。家具はほとんどない。こんな家の借り賃がいくらぐらいするのか想像もつかないが、どうやらヤルダに対してジプシーみたいな印象を受けたのは間違っていたようだ。少なくとも、家賃を払えるだけのお金はあるようだ。ヤルダは、やはりドイツ語を話す40代の中国人の男とその家をシェアしていた。家の中に入ると、チョウと名乗る背の高いその中国人が出てきて挨拶をする。
一般に、イタリアの家の室内は意外と暗い。ホテルでも小さな白熱電球や間接照明が彼らの好みである。活動はもっぱら外で開放的にというイタリア人、家の中はゆったりと休んだり物事を考えたりするところなのだろう。ぼくらはダイニングに置かれた広いテーブルに案内され、用意してあった発泡性ワインとチップスで乾杯をした。グラスの数が足らないらしく、ワインを小さなコーヒーカップで飲むことになったが・・・。ドイツ語がわからないぼくらは、アヤカの通訳が頼りだった。したがって、アヤカが会話の中心にいつもいた。なかなか会話に参加できないぼくらは、アヤカとヤルダとチョウの3人の会話をだまって聞いているしかない。逆に、こうなると、何かいたたまれないものを感じてしまう。だから、ぼくは家族の会話なんかに興味がない長男、のような感じで、会話に加わりたいけれども加われない、そんな様子でずっといた。そんなぼくらを気にしてか、時折、ヤルダが英語で話しかけてくる。しかし、ドイツ語なまりはひどくて、なかなか話が通じない。それでも、ヨーコは多少なりとも理解できるらしく、会話が成立している様子である。だから、たまに会話に参加できるのは、この時だけ。
ただし、こんな初対面での会話にはパターンがある。これまでヨーロッパを回って、しょっちゅう質問されてきた事柄は、ベストファイブをあげれば次のとおりである。
1.来たのは旅行で?ビジネスで?
2.ヨーロッパに来てどれぐらい?
3.どこの国の料理が好き?
4.日本のどこから?
  (もっとも、彼等はTokyoしかしらないが・・・)
5.カンフーは得意?
また、社交辞令ではなく、個人的に興味を持たれた場合は<何歳?何座?>のような質問が加わることもある。東洋人はひげが薄く、しかも髪の毛が多いせいで若く見えるようである。実際の年齢を言うと驚かれることがある。欧州では、若くして頭がはげる人が多い。そのせいか、ローマでは、酒に酔った若者達が、店のショーウィンドウに飾られていた男性用のかつらを見て大声で騒いでいたのを見た。彼等にとって髪の毛が薄くなることは、意外に大きな問題なのかもしれない。
ヤルダとチョウからの質問も、大体こんな感じであった。彼等からすれば、ぼくらに対する興味よりも、むしろ会話のためのネタなのだろう。途中、アヤカとヨーコが手伝って、食事を運んでくる。晩餐は、チーズと生ハムの前菜、パスタ、それと恐らく街中の惣菜屋で買ったのであろうプラスチックの容器に入った牛肉のトマト煮と進んだ。アヤカが頑張って通訳するが、話好きのチョウの会話スピードには到底追いつかない。
「シチリ島の見所はどこ?」と質問すると、チョウは笑いながら指を立てて左右にチッチッとふり、「ノー」の身振りをする。ヤルダとドイツ語のやり取りがあって、しかし、結論らしきものはなし。
この時出された料理はどれも美味しかった。とくに、前菜のモッツァレラは、一口食べると乳の甘い香りが口の中全体に広がった。生まれてこのかた食べたなかで、もっとも美味な乳製品だったと思う。