8.イタリア流
男の家を目指して、大通りをみんなで歩いていくと、次第に道路を行く自動車の喧噪がひどくなってきた。車が数珠つなぎになって、その渋滞の車がみなクラクションを鳴らし続けているのだ。もう、夜の8時で、通勤ラッシュには時間帯が合わない。どうやらこの渋滞は、突発的なアクシデントがあって市内の交通路が一部止められたためらしい。この国では、クラクションはエンジンの次に必要な車のパーツのようだ。これがイタリア流。男の家は、駅と反対側でカイローリ広場かさらに広い通り沿いに北西へ20分ほど歩いた住宅街にあった。
そのあたりの住宅は高さ2メートルぐらいの白い壁の塀で囲われて、塀には赤い小さな木戸がついている。木戸をあけるとぶどうの木などを片隅に植えた土の庭があり、大きなシベリアンハスキーがぼくらを出迎えた。夏の南イタリアに、シベリアンハスキーは気温が高すぎてかわいそうな気もする。きっと、日本と同様に、イタリアでもオオカミみたいな犬が流行った時期があったのだろう。ただ、夜の薄暗い庭で、銀色の目を光らせているオオカミ犬の姿は少し恐い。
男の家は、この夏の間借りている1軒屋であった。家具はほとんどない。こんな家の借り賃がいくらぐらいするのか想像もつかないが、どうやらヤルダに対してジプシーみたいな印象を受けたのは間違っていたようだ。少なくとも、家賃を払えるだけのお金はあるようだ。ヤルダは、やはりドイツ語を話す40代の中国人の男とその家をシェアしていた。家の中に入ると、チョウと名乗る背の高いその中国人が出てきて挨拶をする。
一般に、イタリアの家の室内は意外と暗い。ホテルでも小さな白熱電球や間接照明が彼らの好みである。活動はもっぱら外で開放的にというイタリア人、家の中はゆったりと休んだり物事を考えたりするところなのだろう。ぼくらはダイニングに置かれた広いテーブルに案内され、用意してあった発泡性ワインとチップスで乾杯をした。グラスの数が足らないらしく、ワインを小さなコーヒーカップで飲むことになったが・・・。ドイツ語がわからないぼくらは、アヤカの通訳が頼りだった。したがって、アヤカが会話の中心にいつもいた。なかなか会話に参加できないぼくらは、アヤカとヤルダとチョウの3人の会話をだまって聞いているしかない。逆に、こうなると、何かいたたまれないものを感じてしまう。だから、ぼくは家族の会話なんかに興味がない長男、のような感じで、会話に加わりたいけれども加われない、そんな様子でずっといた。そんなぼくらを気にしてか、時折、ヤルダが英語で話しかけてくる。しかし、ドイツ語なまりはひどくて、なかなか話が通じない。それでも、ヨーコは多少なりとも理解できるらしく、会話が成立している様子である。だから、たまに会話に参加できるのは、この時だけ。
ただし、こんな初対面での会話にはパターンがある。これまでヨーロッパを回って、しょっちゅう質問されてきた事柄は、ベストファイブをあげれば次のとおりである。
1.来たのは旅行で?ビジネスで?
2.ヨーロッパに来てどれぐらい?
3.どこの国の料理が好き?
4.日本のどこから?
(もっとも、彼等はTokyoしかしらないが・・・)
5.カンフーは得意?
また、社交辞令ではなく、個人的に興味を持たれた場合は<何歳?何座?>のような質問が加わることもある。東洋人はひげが薄く、しかも髪の毛が多いせいで若く見えるようである。実際の年齢を言うと驚かれることがある。欧州では、若くして頭がはげる人が多い。そのせいか、ローマでは、酒に酔った若者達が、店のショーウィンドウに飾られていた男性用のかつらを見て大声で騒いでいたのを見た。彼等にとって髪の毛が薄くなることは、意外に大きな問題なのかもしれない。
ヤルダとチョウからの質問も、大体こんな感じであった。彼等からすれば、ぼくらに対する興味よりも、むしろ会話のためのネタなのだろう。途中、アヤカとヨーコが手伝って、食事を運んでくる。晩餐は、チーズと生ハムの前菜、パスタ、それと恐らく街中の惣菜屋で買ったのであろうプラスチックの容器に入った牛肉のトマト煮と進んだ。アヤカが頑張って通訳するが、話好きのチョウの会話スピードには到底追いつかない。
「シチリ島の見所はどこ?」と質問すると、チョウは笑いながら指を立てて左右にチッチッとふり、「ノー」の身振りをする。ヤルダとドイツ語のやり取りがあって、しかし、結論らしきものはなし。
この時出された料理はどれも美味しかった。とくに、前菜のモッツァレラは、一口食べると乳の甘い香りが口の中全体に広がった。生まれてこのかた食べたなかで、もっとも美味な乳製品だったと思う。
男の家を目指して、大通りをみんなで歩いていくと、次第に道路を行く自動車の喧噪がひどくなってきた。車が数珠つなぎになって、その渋滞の車がみなクラクションを鳴らし続けているのだ。もう、夜の8時で、通勤ラッシュには時間帯が合わない。どうやらこの渋滞は、突発的なアクシデントがあって市内の交通路が一部止められたためらしい。この国では、クラクションはエンジンの次に必要な車のパーツのようだ。これがイタリア流。男の家は、駅と反対側でカイローリ広場かさらに広い通り沿いに北西へ20分ほど歩いた住宅街にあった。
そのあたりの住宅は高さ2メートルぐらいの白い壁の塀で囲われて、塀には赤い小さな木戸がついている。木戸をあけるとぶどうの木などを片隅に植えた土の庭があり、大きなシベリアンハスキーがぼくらを出迎えた。夏の南イタリアに、シベリアンハスキーは気温が高すぎてかわいそうな気もする。きっと、日本と同様に、イタリアでもオオカミみたいな犬が流行った時期があったのだろう。ただ、夜の薄暗い庭で、銀色の目を光らせているオオカミ犬の姿は少し恐い。
男の家は、この夏の間借りている1軒屋であった。家具はほとんどない。こんな家の借り賃がいくらぐらいするのか想像もつかないが、どうやらヤルダに対してジプシーみたいな印象を受けたのは間違っていたようだ。少なくとも、家賃を払えるだけのお金はあるようだ。ヤルダは、やはりドイツ語を話す40代の中国人の男とその家をシェアしていた。家の中に入ると、チョウと名乗る背の高いその中国人が出てきて挨拶をする。
一般に、イタリアの家の室内は意外と暗い。ホテルでも小さな白熱電球や間接照明が彼らの好みである。活動はもっぱら外で開放的にというイタリア人、家の中はゆったりと休んだり物事を考えたりするところなのだろう。ぼくらはダイニングに置かれた広いテーブルに案内され、用意してあった発泡性ワインとチップスで乾杯をした。グラスの数が足らないらしく、ワインを小さなコーヒーカップで飲むことになったが・・・。ドイツ語がわからないぼくらは、アヤカの通訳が頼りだった。したがって、アヤカが会話の中心にいつもいた。なかなか会話に参加できないぼくらは、アヤカとヤルダとチョウの3人の会話をだまって聞いているしかない。逆に、こうなると、何かいたたまれないものを感じてしまう。だから、ぼくは家族の会話なんかに興味がない長男、のような感じで、会話に加わりたいけれども加われない、そんな様子でずっといた。そんなぼくらを気にしてか、時折、ヤルダが英語で話しかけてくる。しかし、ドイツ語なまりはひどくて、なかなか話が通じない。それでも、ヨーコは多少なりとも理解できるらしく、会話が成立している様子である。だから、たまに会話に参加できるのは、この時だけ。
ただし、こんな初対面での会話にはパターンがある。これまでヨーロッパを回って、しょっちゅう質問されてきた事柄は、ベストファイブをあげれば次のとおりである。
1.来たのは旅行で?ビジネスで?
2.ヨーロッパに来てどれぐらい?
3.どこの国の料理が好き?
4.日本のどこから?
(もっとも、彼等はTokyoしかしらないが・・・)
5.カンフーは得意?
また、社交辞令ではなく、個人的に興味を持たれた場合は<何歳?何座?>のような質問が加わることもある。東洋人はひげが薄く、しかも髪の毛が多いせいで若く見えるようである。実際の年齢を言うと驚かれることがある。欧州では、若くして頭がはげる人が多い。そのせいか、ローマでは、酒に酔った若者達が、店のショーウィンドウに飾られていた男性用のかつらを見て大声で騒いでいたのを見た。彼等にとって髪の毛が薄くなることは、意外に大きな問題なのかもしれない。
ヤルダとチョウからの質問も、大体こんな感じであった。彼等からすれば、ぼくらに対する興味よりも、むしろ会話のためのネタなのだろう。途中、アヤカとヨーコが手伝って、食事を運んでくる。晩餐は、チーズと生ハムの前菜、パスタ、それと恐らく街中の惣菜屋で買ったのであろうプラスチックの容器に入った牛肉のトマト煮と進んだ。アヤカが頑張って通訳するが、話好きのチョウの会話スピードには到底追いつかない。
「シチリ島の見所はどこ?」と質問すると、チョウは笑いながら指を立てて左右にチッチッとふり、「ノー」の身振りをする。ヤルダとドイツ語のやり取りがあって、しかし、結論らしきものはなし。
この時出された料理はどれも美味しかった。とくに、前菜のモッツァレラは、一口食べると乳の甘い香りが口の中全体に広がった。生まれてこのかた食べたなかで、もっとも美味な乳製品だったと思う。