ご縁があって、京都奈良屋さんから、黒楽茶碗(2010年8月)と赤楽茶碗(12月)を購入しました。
まあ安くはないけれど、手に届く「高級品」とでも言いましょうか。 家族は、高い! というけれど、、何十万、ましてや、ん百万じゃないでしょう!! と切り返す私。
工場で大量生産されたものでなく、一つ一つ手作り、「職人さんの命が通ったもの」を、日常生活の中で、自分のために使う精神的贅沢!!
何とも言えず、気持ちの良いものです。
一服したい時は、キッチンで、自分で点て、そして頂く。。 バックヤード(裏庭)に広がるカリフォルニアの、ノンビリしたド田舎風景を眺めながらー。
落ち着きます。。 これだけでも、お茶を習っている授業料は、元はとっている、、と思います。
さて、、
赤楽茶碗、黒楽茶碗、、交互に使って、それぞれに良さはある、と思うのですが。
例えば、「赤」は、やはり、明るさとのびのびとした自由さがあります。 「黒」は、シンプルであって同時に深さを感じます。
それも、とてつもない深淵です。
「素朴さ」というのは、もしかしたら、宇宙規模の「大きさ」ではないでしょうか。
それから、私の持っている黒楽は、「長次郎 禿(かむろ)写し」というのですが、赤楽 「幕釉」と比べて小ぶりです。
この「小ぶりさ」が、私の手のひらにすっぽりとおさまって、茶碗の温かさが、ズンズンと、愛の深さのように伝わってきます。
そして、もちろん、飲みやすい、点てやすい。
私は、今から心配しています。 これ以上のものに出会えるのかしらん、、と。
茶碗の色は、真っ黒でなく、「カセ色」。
黒と言ってもいいのですが、これらの色は、誰がどう言おうと、抹茶の色と合いますね。 究極の相性と言いましょうか。。
先日、お茶の稽古で、我が師が、師の黒楽茶碗で、お濃茶を練ってくださいました。
その時、生徒は私一人でしたので、先生の分・私の分2人分を。
濃茶用の抹茶を、2人分7グラムを目安に、、 出来上がったそれの味合いは、濃過ぎず薄過ぎず、程良い濃さで美味しかったのですが、
見事さは、それだけなく、黒楽茶碗・お濃茶の「黒」と「緑」の美しさでした。
二人で、やっぱり、「利休さんは凄い!」と語ったことでした。。