■桜(サクラ)は、ユーラシア大陸中南部から、中国、日本、米国、カナダなど、主に温帯気候に広範に自生分布している。野生の固有種は世界に100種類余りあるとされ、そのうち日本の野生固有種は11種類(オオヤマザクラ、ヤマザクラ、マメザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンザクラ、カンヒザクラなど)。日本の桜の代名詞的なソメイヨシノ(※日本の桜の木の約8割を占めるとも言われる。)やさまざまな枝垂(シダレ)れ桜は、この野生固有種などが自然交配、または人為交配で誕生した桜(サクラ)。そして、日本には現在、約600種の桜(サクラ)があるとされる。
以下、前号に続き、「JPNプライム」YouTube記事情報の紹介を中心に記します。
―世界で称賛される「日本の桜」―
日本には多くの桜があります。早咲きの河津桜、枝が垂れ下がるシダレ桜、花びらが多い八重桜。その中でも最も一般的なのが、ソメイヨシノです。ソメイヨシノはエドヒガンザクラとオオシマザクラが交配して誕生しました。(自然交配か人為交配かは不明です。)
現在、日本全国で花を咲かせるソメイヨシノ。実はそのほとんどが遺伝子が全く同じクローン個体であることをご存じでしょうか。ソメイヨシノは、江戸時代、江戸(東京)の植木職人が売り出したものが日本各地に広がりました。その当時、その植木職人が住んでいた付近は「染井村」と呼ばれており、桜の名所の奈良県の吉野山にあやかって、「染井」の「吉野桜」として販売したのが名前の由来です。
江戸時代以降、ソメイヨシノは日本各地、特に川沿いに次々と植樹されました。桜の名所が川沿いに多いのは、洪水を防ぐためであったと言われています。桜が堤防に根を張り、堤防が崩れにくくなる上、桜の花を見るために多くの人が訪れることで、地面が踏み固められ、より頑丈な堤防になるのです。
ソメイヨシノは、増やし方、成長の早さの両面で植樹に適した植物です。ソメイヨシノは「挿(さ)し木」や「接(つ)ぎ木」という方法で増やしていきます。このようにして増やしたソメイヨシノは、親木と同じ遺伝子をもつ桜になります。
ヤマザクラは、花見ができるほどの大きさになるのに10年はかかりますが、ソメイヨシノは5年ほどで見栄えの良い大きさになる成長の早い樹木です。そのため、増やしやすく成長の早いソメイヨシノが重宝され、全国に植樹されていきました。桜の美しさに魅了された日本人の手で、ソメイヨシノなど、様々な種類の桜とともに、桜名所が日本各地に作られていったのです。
ところで、海外でも日本発祥のソメイヨシノの名所があるのをご存じですか。海外で見られるソメイヨシノとして、日本でもよく知られているのは、アメリカのワシントンDCの桜です。1912年に、日米親善の象徴として日本からソメイヨシノやカンヒザクラなど12種類の桜の苗木3000本(その内、1800本がソメイヨシノ)が寄贈されました。
最初に贈られてから110年以上。その間には太平洋戦争もありました。そんな時期にも桜は切られずに保たれ、今でもなお、「桜まつり」が開催されるなど、全米で愛されているのは嬉しいことです。
■中国の武漢大学や、南京市、無錫市などにもソメイヨシノの桜名所がある。
アメリカや中国以外でも、日本の桜が楽しめる国があります。中央アジアの国、ウズベキスタンの首都・タシケントの桜です。この街の桜は全て、日本から空輸され、日本の造園業者の指導のもと、ウズベキスタンの人々が植樹しました。ところでなぜ、桜はウズベキスタンに植樹されたのでしょうか。ウズベキスタンは、1991年にソビエト連邦から独立した共和国です。
第二次世界大戦後、ソビエト連邦のシベリア地方や、このウズベキスタンなどにも、多くの日本人が捕虜として収容渚に入れられ強制労働を強いられていました。過酷な環境下、多くの日本人が命を落とし、この地に葬られました。
時は流れ、2009年にウズベキスタンのタシケントで「日本祭り」が開催されました。日本からの訪問団の一人が街の郊外の日本人墓地に行ったのですが、その荒廃した荒れ果てたようすに驚き、当時のウズベキスタン日本大使にその墓地のようすを伝えました。その後、日本大使館の働きかけもあり、墓地は整備されたのですが、殺風景。そこで、日本の桜を墓地に植える構想が浮かんだのでした。
現地のウズベキスタンの人々も、「当時の捕虜の日本人の勤勉さ・まじめさ」に好感をもち続けていた人も多く、積極的に、墓地の整備や桜の植樹にあたりました。そして、桜は墓地周辺だけでなく、市内の中心部などにも植樹されていきました。(約1300本) 現在、タシケントは日本の桜の名所となっています。
■中国、アメリカ、ウズベキスタンなどの国の他にも、日本の桜が植えられて桜名所となっているところがあるかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます