彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国は、祖父母と孫が一緒に過ごすことの多い社会—中国の人々の暮らしの一(ひと)コマより

2024-04-26 19:59:13 | 滞在記

 毎朝3時に起床している。(寝るのは午後8時半頃)  大学の担当授業がある日は、4時から朝食を食べ始め、午前5時50分頃にアパートを出てバス停に向かう日々。そのバス停付近に向かう途中、スコップを手にし、背中に肥料の袋のようなものをバックにして背負った40代くらいの女性が二人歩いていた。彼女たちもバス停に向かうようだ。大学方面に向かうこのバス停が始発の43番バスの出発時刻は午前6時30分。彼女たちも同じバスに乗り込んできた。これから建築・土木現場に向かうのだろう。

 ある日、バス停に段ボールを底にして、キャリーバックのようにして使っている50歳くらいの女性の姿。同じバス停付近を竹で作った天秤棒の左右に、黒いゴミ袋に物をいっぱい入れた50代くらいの女性が歩いていく。ヘルメットを被った農民工の人などもバスでよく見かける。

 中国社会を一言で表せば「社会や人々のアンバランス」となるだろうか。日本のように人々がかなり均一化した社会ではない。身なりや生活の様子からして、いろいろな階層の人が同時に生きているのが中国という国だ。都市戸籍と農村戸籍の峻別があり、農村戸籍のまま都市で長く生活する多くの人々は、「年金や生活保護、医療保険など、諸社会保障制度が未整備」な中国社会。その中で、私の目に映る、生きるためにさまざまな仕事をして必死に生きる人々の様子を、日々、見続ける。そんな中国の人々(庶民)の姿に、敬意を払いたくなるようなような光景が多いのも中国かと思う。

(※中国で、日本人の私からしたら奇異な中国人の行動はたくさんあるが、そのうちの一つが男性が女性の小さなバックであっても、それを持ってあげるという行為。これは、ボーイフレンドとガールフレンドの間でのことなのだが。2014年頃に、学生たちにそのことを聞いたら、「男性が、もし、女性の持ち物を持たなかったら、私はあなたに愛をもっていませんということになるんです」とのこと。日本人からしたら、男も女も恥ずかしくないのだろうかと思うのだが‥。所変わればだ。)

 中国の人たちの就寝時刻はとても遅い。午後11時~12時頃。そして起床時刻も当然に遅く、午前6時頃〜7時頃になる人が多い。このため、朝は家で朝食を作る人が少なく、近所の早朝食堂で食べて出勤していく人も多い。

 4月21日(日)の午前中、久しぶりに光明港公園に行った。この公園の近くには、かって閩江大学の旧キャンパスの一つがあり、外国人教員用の宿舎があったので、2019年9月から約2年間、この宿舎で生活していた。そして、この河川沿いの公園に日常的に散歩などに行っていた。

 この日の公園を午前10時頃から歩き始めた。カラオケでデュエットをしている人たち、カラオケなしで歌を歌っている(スピーカーはある)老齢の男性。公園内の池の蓮の葉が少し大きくなり始めていた。

 公園のいたるところで見られる祖父母と孫が過ごす光景。親と過ごす子供も多いが、半数は祖父母と孫が公園で過ごしている光景だ。中国社会は、祖父母が孫の世話をする時間が多い。日本の保育園のような施設がとても少なく、親は日常的に子供の祖父母に、子供の世話を頼むことが多い。(中国の定年は、男性60歳、女性50歳。再雇用などは特に制度化されていないので、孫の世話は定年後の人生の大きな生きがいともなる。)

 子供が幼稚園に行っても小学校に行っても、1日に4回もの送り迎え(朝・昼[2回]・夕方)は、祖父母の世話になる人がほとんどかと思われる。このため、祖父母と孫との濃密な日常的なつながりは、小学校卒業まで続く。

 公園内でも、トランプを楽しむ人がとても多い。そのようすを見守る人も多い。刀剣舞の練習をやっている人達の姿も見られる。

 4月20日(土)の午後6時から、福州市内のホテルで開かれた「福州日本企業会」の4月例会に参加した。参加者は約100人。この日は、在広州日本国総領事館の主席領事も参加していた。また、日本貿易振興機構(JETRO)の広州代表所の所長による、「中国における日系企業の最近の動向」と題された講演などもあった。

 会場のホテルの同じフロア―では、2組の結婚披露宴が行われていた。それぞれの披露宴は参加者が100人ほど。中国の経済・景気減速の影響か、以前(5・6年前)の結婚披露宴と比べると参加者の数が少なくなっている(以前は200人ほど規模が多かった)ように思えた。

■今朝、Yahoo !  Japanの記事を見ていたら、「週刊現代」2024年4月27日・5月4日合併号の一つの特集。記事についての紹介が掲載されていた。その記事の題名は、「もはや日本は中国の"10年遅れ"‥!?ライドシェアもAIも"取返しのつかない格差"が開いてしまった」。その記事の概要を読んで、「この記事を書いた人は、考えの足りない浅はかなライターだなぁ」と思った。勉強不足、思考のなさの典型的な記事内容だ。また、こんな記事を特集記事として掲載した「週刊現代」のレベルの低さにも残念な思いがする。

 確かに、ライドシェアもAIも、中国は日本と比べて人々の暮らしの隅々まで格段に進んでいる。でも、それが何だというのだ。中国で暮らして実感するが、この10年間のAIの極端なまでの進み方は、人々の暮らしの幸福度の向上とは決してつながっていない。むしろ、10年前の2013年の頃の方が、素朴な生活がまだあって、かえって良かったような(幸福度がより高い)思いを感じている。AIの生活への浸透の高まりは、人々の幸福度をより下げたと、中国に生活して私は思っている。

 2020年1月から始まった新型コロナウィルス感染問題拡大のため、小中高校での「オンライン授業」も行われたが、このオンライン授業に関する日本の学校の遅れを中国と比較して、テレビなどで批判していた尾木直樹氏なともいたが、この尾木氏などの論調も、浅はかな論調だと思ったこともあった。

 

 

 


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