京都府の丹波山系にある京都市右京区京北町。その山系の山並は、京都市内を流れる鴨川に架かる四条大橋や三条大橋からも間近に眺められる。読んで字のごとく、京都市のすぐ北にある町が京北町だ。京都市の繁華街から25km余りしか離れていないこの京北町には6つの地区があるが、「山国地区」もその一つ。室町時代から皇室御料地(天皇家の領地)であった関係で、「尊王(勤王)」の伝統が今も息づく地区でもある。
ここは、私の妻の実家があるところなので、結婚以来の40年余りここによく行くこととなった。地区の小学校のかっての名前は「山国(やまぐに)小学校」。(今は統廃合のため廃校となったが‥)
毎年、10月10日前後の日曜日に山国神社の祭礼(還行祭)に合わせて「山国さきがけフェスタ」が開催されてきていた。だが、新型コロナ感染拡大問題で、この2020年・21年と開催が見送られていた。そしてこの10月9日(日)に、3年ぶりに開催された。(午前10時開始) 「山国さきがけフェスタ実行委員会」から、案内のハガキが9月下旬に送られてきていた。
お昼の11時半ごろに妻の実家に到着し、すぐに山国神社付近の会場に行った。コロナ禍のため日本に滞在してもう2年半以上となっていたが、ようやくこの「山国さきがけフェスタ」を見ることができた。2013年9月に中国に赴任して以来、実に9年ぶりだ。とても見ておきたかった祭りでもあった。
山国神社に続く参道には、たくさんの屋台が並び、名産の「鯖寿司」「ヨモギ餅」「納豆餅」「シシ鍋」などなどが販売され、多くの人で賑わっていた。参道周辺の丹波黒豆の広い畑では、畑の黒豆を鎌で無料で一般人に収穫させてもいた。
季節の花、コスモスの畑でも、「コスモス畑—ご自由にお持ち帰りください(花摘み体験)、種代のカンパを」と書かれていた。100円をカンパして、両手で抱えるほどのコスモスを採らせてもらった。
この「山国さきがけフェスタ」は、このようなたくさんの名産屋台を廻る楽しみや、畑に入り農産物や花を採る楽しみがあるのだが、一番の呼び物は、山国神社の神輿(みこし)や大太刀の巡行、そして「山国隊」の巡行だ。巡行前に、山国神社の鳥居の前で、70人余りの隊員が記念撮影をしていた。妻の兄(70歳代前半)の姿も見える。山国隊の隊列は、鼓笛隊と銃隊からなる。その隊列の先頭には、「錦の御旗(みはた)」が行く。
この日は、午前中は曇り、午後からはあいにくの小雨の天気予報。神輿・大太刀、山国隊の巡行は午後1時過ぎから開始されるので、神社境内に置かれた神輿や大太刀は雨に備えて透明ビニールシートで覆われていた。
稲が黄金色に実り、刈り取りは間近。そんな参道脇の水田。午後1時過ぎ、ぽつぽつと雨が降り始めた空模様の中、山国隊の巡行が始まった。
参道脇のテントの一つには、この山国隊の歴史に関する展示もされていた。この山国隊は、明治維新へと続く戊辰(ぼしん)戦争[1868年]時期、公家の西園寺公望の呼びかけに呼応して、この山国地区の郷士や農民が編成した隊だ。隊員は83名、薩摩・長州・土佐などの東征軍(討幕軍)とともに、この山国から関東方面へと、「錦の御旗」を護衛しながら転戦している。83名中、7名が戦闘などで戦死した(負傷者も多数)。この戦死者を祀る神社も近くにある。(山国護国神社)
この「山国隊」の特異性は、郷士や農民で組織された部隊であることや、鼓笛隊をも編成していることだ。「トコトンヤレ トンヤレ‥」のリズムや「ピーヒャラ、ピツピッピ」の笛のリズムで、鼓笛をする鼓笛隊は、大太鼓や小太鼓、そして笛から編成されていた。その伝統を今日まで引き継ぐのがこの山国隊。山国地区の男子の人々は、小学生の高学年になると、山国隊に入り、鼓笛の練習をすることとなる。私の妻の兄や弟たちも、みんなそうしてきている。
京都の三大祭りの一つ、毎年10月22日に開催されている「京都時代祭」の先頭を行くのがこの「山国隊」。平安遷都千百年を記念して明治28年(1895年)に始まった時代祭行列に参加し、明治30年(1897年)からは行列の先導役を務め、山国隊は再び社会の注目を集めた。
交通事情が今日とは異なる当時は、時代祭りに参加するだけで2泊3日、それも100名以上の大人数ともなれば費用もかさんだ。「秋の農繁期」とも重なり、大正6年(1917年)を最後に、この京北町山国地区の「山国隊」は、時代祭への参加を取りやめることとなる。大正10年(1921年)からは京都市内の壬生地区が、京北山国隊に代わる新たな行列「維新勤王隊」を組織し、今日まで時代祭の先導を務めている。そして、本家本元の京北町山国地区の「山国隊」もまた、脈々と受け継がれ、この「山国神社」の祭礼での巡行を行っている。
小雨が降り始めた中、3年ぶりの「山国隊」の巡行が午後1時過ぎから始まった。コロナ感染対策のために巡行経路は2キロ縮められて4キロの行進となったが、山国地区の道を小雨の中巡行した。
妻の実家の人たちも、沿道で隊列を見送っていた。妻の兄は笛を吹き行進している。彼は、笛の指南役でもあるようだ。
10月10日付京都新聞には、「山国隊、りりしい行軍—京北さきがけフェスタ」の見出し記事が掲載されていた。また、10月9日(日)には、京都の平安神宮周辺一帯で「京都学生祭典」も開催されていた。10日付京都新聞には、「京都学生祭典 3年ぶり対面開催—平安神宮一帯/第20回目 感謝の"そでふれ"」の見出し記事。
妻の弟の高室茂幸君(名古屋在住)もこの「山国さきがけフェスタ」に合わせて、久しぶりに京北町に戻ってきていた。夕方五時半に京都四条大橋ちかくの京都南座前にて待ち合わせをし、祇園白川石畳通りにある居酒屋侘助にて、2時間半ほど酒を飲みながら語り合った。彼とも3年ぶりくらいの再会となった。
来週土曜日の10月22日(土)、これも3年ぶりの京都時代祭が開催される。今年は土曜日なので、たくさんの人々がこの時代祭を見に訪れることだろう。海外からの観光客も最近、京都市内でよく見かけるようになってきている。