長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

スケッチ倶楽部

2010-08-20 08:01:55 | Weblog
そんな不思議なボクサーがいた。27戦全勝無敗。しかも全部がKO勝ち。
日本ではヨネクラボクシングジムの嶋田くんが一昨年挑戦したが、残念ながら
リングに沈んだ。富山出身のいいボクサーだ。池袋時代は、いっしょにトレーニング
をしたり、近所だったので、近くのお店や、大山の「いわもと」という、元日本チャンピオンのやっているすしやであったりした。今年39歳になるけど、まだまだ世界をねらって
いる。数字的なことやデータからゆうと、不可能なことかもしれないが、彼の毎日の精進と
クレバーな気質からいうと、まったく無理ではなさそうだ。

昨日は休みだったので、いつものように表参道にある「織田流煎茶道」のお稽古
にでかけた。青山ブックセンターで、ボクシングマガジンを買って、界隈のカフェで
読んでいたら、その天才バレロがこの世を去ったという記事があったので、びっくりした。
4月に奥さんを殺して、刑務所に入り、そこで首吊り自殺をしたらしい。
27歳。27KOだったけど、27歳で人生というリングを自ら去った。

今日の新聞の一面には、親子住んでで10年間も電気、ガスを契約せず、困窮してこの
夏、76歳で部屋で死んだ76歳の男性の記事が載っていた。ひとごと、でも、稀有
な事件でもなく、これからは、ひんぱんに身近におきそうなことだ。
電車にのったりするのは、週に1度しかないけど、電車の中やホームで、携帯
と向き合っている人の姿が異常だと感じる。
ネットのおかげで、世界中の人と繋がっている、と勘違いしている人が多いような気
がする。ほんとうに困った時に、助けあうことができる友達とか家族とかを、大事に
するほうが賢明ではなかろうか。

今日は「スケッチの会」。先日わかな先生から電話があった。
いつもは「いつもスケッチの会で、お世話になっている○○ですが・・」
から始まるのに「スケッチクラブの○○ですが・・・」になっていた。
今日から「スケッチクラブ」になったかも知れない。

明後日は「竹細工の日」だ。
大分が身近になった。先日、湯布院の「むらた」の社長の
訃報を聞いた。まだまだこれから大活躍する人だったので
残念だ。



白井晟一研究所

2010-08-19 07:29:45 | Weblog
天真庵のHPに昨日、「白井晟一研究所」のサイトを
リンクした。松涛美術館、芹沢圭介美術館や、長崎の親和銀行
などを設計した建築家。書や装丁も有名で、特に書は、「文人の書」
としては最高峰にある。天真庵のピアノの横に飾ってある「生」
というのは、白井晟一の書だ。たった一字で、力強さといい、やわらかい
バランスといい、言葉では説明できない芸術だ。
グーグルで「好きな建築家ランキング」で検索すると、どのくらい
人気があるかがわかる。

白井晟一さんの次男、白井磨さんは、ぼくの蕎麦の師匠、達磨の
高橋さんの広島の道場と、自宅を設計した。そのご縁で、ぼくは
そこで蕎麦打ちの修行を、させられた。
天真庵に飾ってある時計や燭台や鏡や、ランプの一部は、白井晟一
さんが生前使っていたものだ。
天真庵という画廊をつくったのが、平成8年。その前後くらいの
あるよき日に、白井磨さんと出会い、その日の午後、銀座で個展
をやっていた陶芸家の久保忠廣さんと出あった。そして、自分が
個人的に使用する器と、お店の器の、「ほぼ9割」が久保さんの
器になった。
画廊を始めたはいいが、織部と志野と黄瀬戸のことも知らず、
お茶の世界や、建築、書、装丁には、まったく門外漢のシロウト
だった。それを、懇切?丁寧?とはいけないが、よく鍛えていただいた、
と感謝申し上げたい、恩人の2人。ふたりも、自分も恩人より「オジン」
になったけど・・・

いい師にめぐり合うことは、人生のなかでとても大切な邂逅だ。
でも原則がある。それは、「彼をいい師にさせていただこう」と、
弟子が、自ら発見することだ。
「文人」みたいな人が少なくなったけど、これからの時代は、
文人墨客みたいな気概を持った生き方が、みな必要になってくるのでは
なかろうか。そんな時代が迫ってきたと思う。文人の書の「生」
という字も、これからいろいろ生きてくる。



十間橋通り・・・じっけんばし

2010-08-18 07:30:19 | Weblog
BRUTUSUに十間橋通りがのっている。
実に不思議な話だが、今は全国的に「逆ツリー」
を見る名所になった。正確には「じっけんばし」というのだが、
じゅっけんばしで、押し切られそうな塩梅になってきた。

昨日の夕方、いつものように、SPICE cafeの伊藤さんが
阿保守(アホガード)を食べにきた。10月の31日に
『JAZZ 十間橋』を開催する。そのパンフができあがってきた。
古色蒼然とした2つのカフェ、天真庵とspice cafe と中小企業センターの三箇所で
オールドジャズを、ひがな演奏することになった。ただいま、ボランティアスタッフ
を募集中。

前夜祭ではないが、プレ音楽祭として、10月3日に、SPICE cafe 、
10月18日に、天真庵でジャズのライブをやることになった。

深澤芳美(ピアノ)
下間哲(トランペット)
小林真人(ベース)

逆ツリーを、カメラでおさめるのもいいが、せっかく
くるなら、文花という風流な地名のふたつのCAFEを
のぞいてみてもらいたい。できたら、音楽をやっている日がいい。
そして、このシャッター通りになりかけ、というか立派にシャッター通り
になっているこの通りの商店街のシャッターがあき、どこからか、音楽
が聞こえてくる・・・・そんな街になればいいと、伊藤さんと、いつも
話をしている。

SPICE cafeで、カレーを食べ、天真庵でほぼぶらじるを飲む。
これは、十間橋の川面にタワーが写るようになる前から、
「文花的ゴールデン梯子」と呼ばれていた。
昨日、伊藤さんがカウンターに座っていた時、BRUTUSを持って
元気な若者が入ってきた。後で聞いたら、「秋葉のメイドカフェでお茶
をして、これではいけない、と本屋に立ち寄ったら、BRUTUSが眼にとまり、
それを買って初めて押上にきた」とのこと。
そのうち、十間橋界隈にも「モエちゃん」のいるカフェができるかも
知れない。





つつみこむやさしさ・・・そんなものが足らへん

2010-08-17 07:18:40 | Weblog
お母さんが、愛情をもって米をにぎったものを「おむすび」
という。おとうさんと結ばれるときは、羽織や着物の帯などを
結んで祝った。その縁で生まれてきた男の子は「むすこ」といい
、女の子は「むすめ」といった。「むすぶ」、縁というものを
日本人が大事にしてきた所以だ。
最近の職場には、どうもそんな「母親みたいなやさしさ」が
かけているように思う。だからささくれだったようなギスギスしたものが
蔓延しているのではなかろうか?

もうひとつ大事なことが、母親の「つつみこむようなやさしさ」。
今日は、お仕覆の会。日本人は昔から愛用の茶器や花器などを、古布で作った袋で
包み込んで、大事にしてきた。最近はエコとかロハスとか、かっこいいこと
いってるけど、大事なもの、守るもの、育てていくもの、慈しむもの・・・
そんなものがなくなってきたのか、「お仕覆」みたいな素敵な文化が風化して
いるように思う。

夜は「書をしよう会」
平成の文人みたいな貞本さんがやってくる日。
昨日ネットで注文した古本がやってきた。「文人墨客を語る」
という本。最初に伊藤仁斎のことが書かれてあった。一度も
江戸にくることがなく、京都で儒者として生きた人生が、
実にうまく書かれていて、ついつい寝不足になるくらい読んで
しまった。

明日は「タイムドメイン」の日だったのですが、イワジーの
親戚に不幸があったので、今月は中止。




お盆

2010-08-16 07:18:17 | Weblog
ワカもうちの元気も初盆だ。
先日、お客さんから元気の絵をプレゼント
された。HPの「元気のアルバム」をプリントアウト
して、描いてくれたらしい。最初「9月のコンサートの時に
もってくる」といういう約束だったけど、「あまりにできがいいので
もっていく」ということになり、先日のクラシックコンサートの日に
お店に飾った。写真と違って、絵というのは、描いた人の「魂」みたいな
ものが宿っていて、一味違うもんだ。

珈琲も、魂を入れて焙煎すると、味が変る。そばも機械で挽いたものと
石臼で挽いたものは、べつもの、だと思う。珈琲の豆を、石臼で挽く
と、色や指さわりまで、まったく変ってくる。
日本人は、ごはんを気をこめてにぎったものを「おむすび」といった。
ひとてま、かけたものを大切にしていきたいと思う。
昨日は盆休みで終戦記念日にもかかわらず、「もなか屋」も天真庵も
大忙しだった。今月の初めに「HANAKO」に、煎茶がおいしいお店
として紹介されたこともあり、昨日は、久保さんの急須やガラスの急須
が、乾く暇もないくらいだった。ぼくてきには、天真庵は、「お茶」
をテーマにしているので、とてもうれしいことだ。珈琲も煎茶も玉露
も、同じようなような気持ちで楽しんでいただきたい。

今回の「BRUTUS」には、久保さんの「黒い平皿」に、ガレットが
のってる写真が掲載された。まるで、京都の「あぶり餅」みたいに
シンプル。その横に、志野の豆皿。今宮神社のあぶり餅は、「簡素」
なところが、いい。「ほんものは、みな簡素」だ。
最近は、蕎麦と二分するほど、ガレットが人気になってきた。
ガレットといえば本場では、シードルとあわせる。でもうちの
ガレットは、キンキンに冷えた日本酒によく似合う。

明日は「書をしよう会」。
中国で書の勉強をした貞本先生がくる日。
今、二階に飾ってある亀田窮楽という書家も、大酒飲みだった
らしいが、貞本さんも大酒飲みだ。大塚の江戸一で、ふたりで
飲んでいると、はずかしくなるくらい空になった徳利が並んだ
ものだ。彼が10本、小生が6本くらい・・・
お店を始めて深酒はしなくなったけど、月に一度の「書」のとき
は、お互いに、メートルがあがりすぎる傾向がある。




涼やかな風

2010-08-15 07:46:15 | Weblog
昨日の音楽界のタイトル。
煎茶の世界でも「清風」とかいう掛軸なんかか人気がある。
7月21日に続き、N響の山根さん(クラリネット)とチェロ
の宮坂さんが颯爽とやってきた。前回は、プラス大宅裕さんのピアノ
が加わり、猛暑の中、ベートーベンを演奏した。今回は
ピアノに赤松林太郎くん、ヴィオリンにバンダムさん、オーボエが渡辺
佳代さんが参加して、ドイツからフランスに舞台を移し、ラヴェルとかオネゲルとかストラヴィンスキー、メシアンなどの曲を演奏してくれた。メシアンの曲は「世の終わりの
ための四重奏曲」。末法みたいな今のご時世にぴったりの題名だった。
山根さんの説明だと、「ニュアンス的には、時が終わる」というものらしい。
やはり「終わりは始まり」だと思う。「涼やかな風」という題名だが、いきなり
「後楽園ホールで、前哨戦なしで、世界タイトルマッチが、何試合も」という
くらい、濃い内容だった。たった15人で観戦したけど、不思議なオーラに感染
した感じ。


演奏中に、東京湾の花火大会の花火の音が、大砲の音みたいに
聞こえた。今日は65年目の終戦記念日。
世界中の人たちが、経済的にも政治的にも、いきずまり、また、
どことなく戦争が起きてもおかしくない地域が、何箇所もある。
いろいろな意味で、終戦記念日は新しい記録が起きることなく、このまま70、80と、
更新していくことを願いたい。平和であってこそ、音楽や芸術や、お茶をともに楽しむ
ことができる。

今日発売の「BURUTUS」が昨日送られてきた。
東京スカイツリーの写真を篠山紀信が撮影し、東京が
西から東へ、パラダイムシフトしている、というような特集。
いろいろ注目をされてきたのは、いいことも、たくさんあるが、
逆も真なり、の部分もたくさんある。
小さなトレンドに一喜一憂しているばかりだと、何も
残すことができない。
窮楽の書を今朝も蕎麦を打った後に眺めた。

「研精極本原」・・・・根っこをしっかりしないといけない。堪忍。
今日もがんばろ!



クラシックなお茶会

2010-08-14 07:31:45 | Weblog
今日は、18時からクラシックコンサートをやる。
メンバーは、「長屋茶房天真庵」のHPに紹介した面々。
だからお店は15時で閉店。ピアノの調律やリハーサル。

昨日は、前夜祭のように、メンバーの人たちが、珈琲を飲みにきた。
ピアニストの赤松林太郎くんのところで、リハーサルを
やる前。一流の人たちは、毎日飽きずに、自分を磨いていく
練習をやり続けていける人たちだ。芸術全般にいえるし、スポーツ
でも実業でも同じことがいえる。

今朝蕎麦を打って、道具を二階にしまった後、いつものように
畳の上で、しばらく座って、床の間の軸を眺めていた。
今は、亀田窮楽の「研精窮本原」という字が掛けてある。
かの煎茶道の祖である、「売茶翁」(ばいさおう)と交流があった京都の書家。

お茶といえば、千利休が有名だが、煎茶をひろめていった人で「売茶翁」
という人がいた。佐賀県出身で禅僧で57歳の時にその身分を捨て
上洛、東山や下鴨神社の糺の森などの景観地にいき、茶を売りながら禅の世界を
説き、その人柄に、池大雅、伊藤若冲、田能村竹田たちがほれ、煎茶を
親しみ、彼らはみな売茶翁の肖像画も残した。
いわゆる文人墨客たちが、煎茶を楽しみながら、世情を批判したり憂いたり
して清貧にあけくれた時代が京都にあった。
その清貧の売茶翁を生前、いろいろ手助けをした書家が亀田窮楽だ。
売茶翁の偈にも、「生前私を助けてくれた」と、窮楽の名前がでてくるほどだ。

その名前の一文字が入った「研精窮本原」
精しく研いていけば、本原(根本)を窮める、
つまり、井戸(水)は深く掘れ、といったような意味だろう。
名を残したわけではなく、美術館にあるような字ではないが、
彼の書を見ていると、彼の生きた時代の京都の景色や、彼の生き方、
信条などが、伝わってくる。お茶道具もしかり。今生きている自分たちと、
昔生きていた人たちが、静かに対話する「道具」なのかも知れない。
だから、残ってきたものは、「道が具わっている」のだと思う。

そして、天真庵で開かれるいろいろな音楽会は、ぼくにとっては
大切な「お茶会」みたいなものだ。演奏する人たち、お茶(蕎麦)会を
やる人、それを聴いたり、食べたり、お茶を飲む、お客さんたちが
「共に楽しみを窮める」、お互いに「本原を窮める」、そして日常の生活
の中に、お茶会で得た何かを、生かしながら、生活をする・・・
そんな風になっていくヒントがここにあればいいな、と思う。







盆休み

2010-08-13 07:29:02 | Weblog
連休だったので、姪っ子のゆずを連れて
夏休の宿題の絵日記の材料を探しに、北の方へ
車を走らせた。さすがに、世間は夏休や盆休みなので、
高速道路やパーキングには、人がいっぱいだ。
働く仕事がなくて、車の中で生活している人も多く
なったらしいが、人がざわざわいるのは、なんとなく
景気がよくなった?という感じはしてくる。
でもやっぱり、地方の街を訪ねると、昔にぎやかだった
商店街は、どこもシャッター通りになっていて、「イオン」
とか、大型店に人が集まり、小さな商店はなりゆかなくなり、
どの街にいっても、同じようなところばかりで、面白くない。

でも「イオン」よりもマイナスイオンにあふれ、元気になる蕎麦屋
にいってきた。奥久慈にあり、眼下に滝を見ながら、野趣満天の
蕎麦とマイナスイオンをいっぱい食べれられる。
もともと主人は、ここで喫茶店をやっていた。その後、翁の高橋さん
に蕎麦の修行にいき、「蕎麦と珈琲のお店」の看板で、「もみじ苑」
を営んでいる。その滝の名が「月待ちの滝」という。なんとも
風流な名前だ。前回は雪が残る2月にきたが、今回は夏休の最中で、
家族ずれでにぎわっていて、「そば待ちの滝」になってしまった。
ゆずはデザートに「パフェ」を注文していたけど、待てど暮らせど
きそうにないので、主人に「またこんど来た時に、カフェを食べます」
と挨拶して、お店をでた。主人が「またゆっくりきてください」とのこと。
茨城には、自然を借景にした野趣あふれる蕎麦屋が、あまたあって、
蕎麦好きには、たまらないところだ。

今朝は連休で体が元気いっぱいなので、蕎麦がスムーズに打てた。

明日は「クラシックコンサート」
なので、お店は15時で閉店。コンサートは18時開場、18時半開演。

クラシックカフェ

2010-08-10 07:22:36 | Weblog
そんな名前の番組が、ラジオである。
最近は、クラシックのコンサートが多くなってきたので、
天真庵は「クラシックカフェ?」と思うことがある。
14日は、ベルギーからジョージ・バンダムさんを迎えて
音楽祭を開催する。N響のクラリネットのやまねさん、
チェロのみやさかさん、オーボエのかよちゃん、ピアノが
りんちゃん、と、豪華メンバーの揃い踏みだ。

夕方、Spice Cafeの伊藤シェフと、「秋のJAZZの大祭」(JAZZ十間橋 仮称)
の打ち合わせをしていたら、バンダムさんがやってきた。
昨日の昼はドヴォルザークの「新世界」を聴いていた。彼は身内の不幸が
続き、気が狂うほど、落ち込んで、友だちの誘いでニューヨークに
移り住んだ。その時に、よく聴いていたのがJAZZ。
そんなどん底の中でつくったクラシックの不朽の名曲が「新世界」だ。
日本でも♪遠き空に日が落ちて・・・と学校が終わるときに、よくチャイム
代わりにかけられた、あの曲だ。「家路」。
(スナックなどで、閉店を告げるあの曲ではない。あれは布施明の「そっとおやすみ」


家路

♪遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめる
きょうのわざを なし終えて 心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ いざや 楽しき まどいせん まどいせん

やみに燃えし かがり火は 炎今は 沈まりて
眠れ安く いこえよと さそうごとく 消えゆけば
安き御手に 守られて いざや 楽しき 夢を見ん 夢を見ん

JAZZでもクラシックでもいい。最近流行りのワールドミュージックでも
いい。うらぶれて、シャッター通りになった商店街のシャッターが開き、
そのお店の中から音楽が聞こえ、散歩していると、まわりのどこかで、
素敵なコンサートをやっている・・・・そんな街になったらいい、というのが
今回の秋のJAZZを企画した人たちの共通の思いだ。
小さな1歩だけど、そんな動きが、あちこちで、おきていったら、
限界集落とか、駅前のシャッター通り商店街とかが、いきいきと
新しい息吹を感じられる「町おこし」が優美に広がっていくのでは
なかろうか。
春は「墨田ぶらり下町音楽祭」、秋は「I LOVE JAZZ十間橋」
少し、町が活気ずいてきた。感謝。

今日は「英語で蕎麦会」
英語で会議をやるような会社には興味はないけど、英語で
世界の人たちと、ちょっと会話できる、のは、いいことだ。

明日・明後日は連休。今日の英語が終わったら、暑い東京から
脱出する予定。

文花てき盆踊り

2010-08-09 08:05:43 | Weblog
昨日は、開店前から年配の方が並んでおられた。
その前に、買物の帰りにも、齢・よわい80を超えたご婦人に
身振り手振りで、「こーんなタワーみたいな形をしたパン、近くで
売っていませんか?」と聞かれた。最近、タワー丼とか、「あやかり商法」
が、たくさんでてきているので、コロネとか、そんなのが「パワーパン」
になってもおかしくないご時世だ。でも知らないので、やわらかく関西弁で、
「しらんわ」と答えた。暑い日が続くし、世間はもう夏休モードなので、
のんびりかまえていたら、(いつもなめているとそうだが)めちゃくちゃ
、混雑した。先日はエリカ庵で、体調がよかったので、5時くらいから
バンバン打った蕎麦が、あっと言う間になくなっていく。
なくなっった後は、やっと「こーひーや」に戻れて、ほぼぶらじるや
水出しコーヒーや、チーズケーキを食べるお客さまと談笑しながら、していると、
「今日は文花団地で盆踊り大会がある」という情報が入る。
いつもなら馬耳東風ふうに「そうですか」と空返事をするところだけど、
「東京スカイツリー音頭」というのが、誕生した話をされたので、少し
気になった。

そして、かたずけをした後、家に帰る途中に、遠くから聞こえる定番の
東京音頭が聞こえてきた。作詞者は西條八十翁。煎茶の先生の奥様の
おじいちゃんにあたる人。「青い山脈」や村田英雄の「王将」も八十さん
が作った。戦時中は「同期の桜」もつくった天才作詞家。
学生時代は、そんな天才がつくった詩を勝手に誰かが、編曲ならぬ編詩
をし、春歌として、酒席で酩酊した若者たちが、箸で茶碗をたたきながら
歌ったものだ。「カラオケ」が誕生する前の世代には、そんな楽しみしか
なかったけど、今から思うと、「だからいい」。

♪おっとちゃんも、おっかっちゃんも、チ○コだして、○○コだして、だしても
いいじゃないか、へるもんじゃないじゃないか・・・
(朝から素面で、こんなことを書くのは、かなり力がいる。最近は親戚とか、昔の
友人もブログを読んでいるというのに・・)
ともあれ、東京が戦後の復興から、高度成長に向かう勢いのあったときの息吹が感じられる曲だ。

墨田区民になって初めて「桜橋」と「墨田音頭」も聞いた。
そろそろ「東京スカイツリー音頭」かと思ったら氷川きよしの「ソーラン節?」
がかかったので、踵を返して帰路についた。来年の楽しみがひとつできた。

明日は「英語で蕎麦会」

明後日は「伝授の会」が夏休になるので、お店は休み。水木連休になる。
姪っ子の「夏休の友」のお手伝い。最近の夏休の宿題・ドリル?
のことを「夏休の友」とはいわないことも、最近知った。
だんだん自分も「翁」の領域に入りつつあることを感じる今日このごろ。