天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

図書館の自由・・・

2022年11月15日 18時32分48秒 | 日記
 文部科学省が8月末に全国の公立・学校図書館向けに、
 「拉致問題の関連本の充実」を求めるとする文書を出した事が
 波紋を広げていると11月13日の朝日新聞が報じています。
 特定のテーマで国が図書館にこうした文書を送るのは初めてのようです。
 これに対し、公益社団法人・日本図書館協会は10月、
 「図書館の自由に関する宣言を脅かすものであると懸念する」などとする意見書を
 文科省に出したと報じられています。

 図書館には戦前の反省から、
 独立や市民への責任をうたった「図書館の自由に関する宣言」があります。
 宣言では、
 「権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、
 自らの責任に基づき資料の収集と提供を行う」などと明記しています。
 公共図書館で、茶色の用紙に印刷したこの宣言の抄文が掲示されています。
 いつ頃から掲示されていたのか、よく分かりませんが、
 初めて見た時には、有川浩さんの「図書館戦争」を思い出しました。
 「図書館戦争」は4冊のシリーズになっていますし、
 岡田准一さんの主演で映画化されていますので、ご存知方も多いかと思います。

 この依頼文は、内閣府の拉致問題対策本部から文部科学省に依頼があり、
 公式文書ではなく事務連絡で発出したものようです。
 12月10~16日の啓発週間に向けて関連本を充実させ、
 テーマ展示をするなどして、
 「児童生徒や住民が手にとりやすい環境の整備」に
 協力するよう求めているとの事です。
 多分、拉致問題に関しては何らの進展もない事から、
 やっている感を出すために、依頼文を出したのでしょうが、
 これは図書館に権力が圧力を掛けたものと見られても
 止むを得ないもののように感じます。
 図書館協会は依頼文について
 「外部からの圧力を容認し、主体的な取り組みを難しくする怖れがある」などとして
 「是認できない」としているとの事ですが、正にその通りだと思います。
 こうした事が重なり、図書館の本がどんどん政府の意向を反映したものになるのは、
 危険な事だと思います。

 そもそも、拉致問題対策本部が、拉致問題の解決には、
 世論の一層の喚起が不可欠だとの認識を持っている事がいかがなものかと思います。
 拉致問題の解決のためには、北朝鮮との交渉の窓口を作るべきであり、
 日本の世論がどんなにヒートアップしても、
 相手が交渉のテーブルに着かない限り解決はしません。
 そうした、官僚のアリバイ作りのために、
 図書館の自由を侵すのは許せないような気がします。

 自由を守るためには、神経質過ぎる位の対応が必要だと思っています。
 よく蟻の一穴と言いますが、
 今回の文部科学省からの依頼がこれになる可能性もありますから、
 十分に気を付けていないといけないのでしょうね。

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たまたま・・・

2022年11月14日 17時37分06秒 | 日記
 今日は、ある委員会がありました。
 定例は火曜日に行うのですが、たまたま委員の都合で今日になりました。
 会場もいつもの所でなく、たまたま僕が現職の頃関係した施設になりました。
 委員会が終わった後、担当の職員が、コロナに感染していたとの話がありました。
 もう全快はしたのだけど、咳が出ると言っていました。
 その話を聞いていたら、委員の一人の女性が、
 私も8月にコロナだったと言いました。
 しばらく、身体がだるい後遺症が残ったとの事でした。

 帰ろうとしたら、たまたま、その施設の女性の責任者と行き会いました。
 彼女は中々の美人です。
 美人ですから、当然きつい感じなのですが。
 会うと冗談を言い合う、施設の職員とも話をして来ました。

 その後、お昼には少し早かったのですが、
 ここのところ野菜不足気味でもあるので馴染の中華屋に行きました。
 今夜宴会が入っていたのが、コロナの濃厚接触者が増えたので、
 キャンセルになったと言っていました。
 またコロナの影響がじわじわと広がっているようですね。

 美味しいレバニラ炒めを食べている所に、
 たまたま、僕の友人がやって来ました。
 彼とは仕事で何度も付き合いがありました。
 態度がでかい人なのですが、何故か気が合います。
 OB職員の作品展をやっているので、見に来いと言われました。
 今日は、やけにたまたまが続くなぁと思いながら、作品展に顔を出して来ました。

 多くの知り合いと会いました。
 写真を出している知り合いと行き会いました。
 彼は味のある写真を撮る人です。
 最近、奥さんの具合が悪くて、ほとんど家を出られないので、
 出展した写真は、以前ギリシャで撮った街角の風景との事でした。
 色々な人生があるものだと思いました。

 今日、午前中は風が強く吹いていました。
 帰宅後、家の夏椿の葉が落ちたので、それを片付けました。
 木を見上げると、まだ沢山の葉が付いています。
 ここのところしばらく綺麗な紅葉を見せてくれたので、
 仕方ないかと思いますが、
 多分、今日片付けた所も、また葉が落ちるのでしょう。

 日記を書き始めていた午後5時過ぎ、
 家が揺れました。
 当初風かと思ったのですが、その内に地震だと感じました。
 かなり長く揺れていたので、これは大きな地震かと思いました。
 宇都宮では震度3、最大震度は福島県と茨城県の震度4との事でした。
 震源が三重県の南東沖で深さ350kmとの事でした。
 三重県には、この間行ったばかりですが、それとは関係ないのでしょうね。
 しかし、変わった地震だと思いました。

 
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俳句・・・

2022年11月13日 19時14分27秒 | 日記
 僕は、昔から短歌や俳句などが好きです。
 何故好きか、何時から好きかはどうもよく分かりません。
 一番好きなのは川柳かも知れません。
 クスっと笑える批判や下ネタなどが僕に合っているような気がします。
 こうした作品などを読むのが好きで、多少は読んでいます。
 短歌では西行や石川啄木、会津八一など、
 俳句では蕪村や芭蕉、一茶などが好きです。
 好きなのですが、自分から詠む事はありませんでした。
 僕は独創性がないので、
 詠もうとすると記憶にある文句が出て来てしまうのが、
 自らが詠まない理由と言う事にしています。

 先日、近くのカフェと言う名の居酒屋に行った時に、
 その居酒屋で月に1度、句会をやっているから来ないかと誘われました。
 句集を渡され、そこの美人のママさんからの誘いです。
 上は90代の人から下は30代の女性までいると言われ、
 撒かれた餌に食いついてしまう事になりました。
 そこの句会は、俳句とは言っても自由律の俳句です。
 ご存知の方も多いかと思いますが、
 五七五に拘らず、季語も入れない俳句です。
 種田山頭火や尾崎放哉がその代表的な俳人で、
 山頭火の「後ろ姿のしぐれてゆくか」とか
 放哉の「咳をしても一人」などが有名です。

 自由律の俳句は、決まり事がないので定型の俳句より難しいと思っています。
 その居酒屋は、以前ランチもやっていて、その時も誘われたのですが、
 若干怖気づいてしまいました。
 今回重ねてのお誘いだったので、
 取り合えず見学と言う事で行ってみる事にしました。

 句会は、今日は出席者が少ないと言う事で、
 カフェのマスターとママの外3人で、僕を入れて6人でした。
 皆さんが詠んで来た句を読み合って、感想や質疑などがあり、
 ママさんが先生で、色々修正などするスタイルです。
 自由律とは言いながら、定型の俳句を詠んだ人もいました。
 結構、和気藹々とした雰囲気の中で終了しました。
 30代の女性は、残念ながら今日は欠席でした。
 50代とおぼしき、強そうな女性はいましたが。

 どんな句を詠んだか気になる方もいるかと思いますので、
 恥ずかしながら載せておきます。

 米を研ぐ 水の冷たさ 冬がまた来る
 夫婦岩 結ぶきずなは 荒波に耐え (先日行った二見浦の印象です)
 衆生済度 命枯らして 仏となる (即身仏について詠みました)

 俳句を詠むのは、ほとんど初めての事ですが、
 実際に詠むとなると難しいものですね。
 このように書いてみると、汗顔の至りです。
 果たして続くかどうか、分かりませんが、
 出来れば少しずつ詠んでみようかと思っています。

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喪中はがき・・・

2022年11月12日 18時35分14秒 | 日記
 今年の1月26日、母が他界したので、我が家は喪中になります。
 喪中はがきについては、少し前に近くの印刷屋さんで、印刷して置きました。
 その印刷屋さんは、ここ数年年賀状の印刷をお願いしています。
 我が家にはプリンターがない事もあり、
 僕が撮った写真を使った年賀状を作成し、宛名は手書きで出しています。
 喪中はがきも同様にする事にしました。
 印刷屋さんの話では、ここ年々喪中はがきを出すのが早くなっているとの事でした。
 僕は、年賀状の受付が始まる12月15日の
 少し前までに出せば良いかと思っていましたが、印刷だけはしておきました。
 宛名書きをするのは、我が家に最初の喪中はがきが来たらにしようと思っていました。
 そして、一昨日最初の喪中はがきが届きました。
 僕の友人からでしたが、やけに早いなぁと思いました。

 そう決めておいたので、そろそろ書こうかと思ったところで、
 年賀状の宛名が古いパソコンの中に入っていて、
 新しいパソコンに移してしないのに気が付きました。
 僕は、特に紙の住所録を作っていなくて、データはすべて年賀状ソフトの中です。
 古いパソコンは、ここのところ機嫌が悪く、反応しないキーがあります。
 更に、無線ランを取り替えた時に、
 ネットへの接続が上手く出来ないので、そのままにしてあります。
 上手く立ち上がるか心配でしたが何とか立ち上がり、年賀状ソフトも開けました。
 住所などを、どうやって移行させようかとしばらく考えていたのですが、
 年賀状ソフトも余りご機嫌が良くなくて、思うように動きません。
 そこで、開いている間に宛名を書いてしまった方が良いかと思いました。

 そのような次第で、午後から喪中はがきの宛名書きをしていました。
 年賀状ソフトの画面の切り替わりが遅くて、思わぬ時間が掛かりましたが、
 何とか終わす事が出来ました。

 古いパソコンの住所録には、既に亡くなった方が何人かいます。
 宛名を書こうとして、先日亡くなったのを思い出した友人もいます。
 どのように新しいパソコンに移行させるか、これから少し考えようと思います。
 その時、亡くなった人をどうするか、これも考えたいと思います。

 出来上がった喪中はがきはまだ投函していません。
 2通目の喪中はがきが来たら投函しようかと思っています。

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小春日和・・・

2022年11月11日 19時13分56秒 | 日記
 今朝起きた時は寒いなと思ったのですが、
 すぐに寒さがおさまって来ました。
 午前中、図書館に行った時は、正に小春日和と言う感じになりました。
 図書館から帰って来て、
 お昼は出前のお弁当にしていましたが、
 食べ終わってから、これだけ天気が良いので、
 家にいるのもどうかと思い、散歩して来ました。
 少し歩いていると、薄っすらと汗ばんで来ました。
 この時期、着る物が難しいと思いました。

 小春日和を英語では、Indian summerと教わりました。
 北アメリカ東部のニューイングランド地方で最も頻繁に使用される語との事ですが、
 現在では英語を話す各国で用いられているようです。
 起源は不明ですが、この時期を利用して、アメリカ・インディアンが冬のために
 収穫物を貯蔵する作業を行う慣習をもっていたからとの一説があるようです。

 気候は穏やかな一日でしたが、世間は穏やかではなかったようです。
 昨日の日記に書いた葉梨法務大臣が辞表を提出しました。
 一応、本人からの申し出と言う形式ではありますが、
 実質的には更迭なのでしょう。
 どうも死刑のハンコは、葉梨大臣の持ちネタだったようで、
 数回同じ話をしていたようです。
 法務省としても、このような大臣は支えきれないのかも知れません。
 昨日は、岸田総理は守るような姿勢を示していましたが、
 空気が読めないのでしょうか、また後手になったと言う気がします。

 明後日から始まる大相撲九州場所ですが、
 横綱照ノ富士の休場が報じられました。
 10月18日に両膝の手術をして、まだ四股も踏めないとの事です。
 是非、しっかりと治療に専念して、初場所には出場して欲しいと思います。
 大相撲では、逸ノ城が部屋のおかみさんに暴力を振るったとの記事がありました。
 逸ノ城が属する湊部屋の親方の確執があり、
 更に逸ノ城の過度の飲酒が問題になっていたとの事です。
 逸ノ城は、温厚な性格のようですが、泥酔すると姿が一変するとの事です。
 あの体で泥酔したら、周囲は大変でしょうね。
 まさか本気でおかみさんに手を挙げた訳ではないでしょうが、
 九州場所でどのような相撲を取るのか、気になります。

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死刑のハンコ・・・

2022年11月10日 18時27分24秒 | 日記
 葉梨法務大臣は、9日、
 東京都内で開かれた自民党の武井俊輔外務副大臣のパーティーで、
 「法相は朝、死刑のハンコを押し、昼のニュースのトップになるのは、
  そういう時だけという地味な役職だ」と述べ、大きな問題になっています。

 他にも、
 「今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれ、
  解決に取り組まないといけないということで、
  私の顔もいくらかテレビに出るようになった」と語ったり、
 「外務省と法務省は票とお金に縁がない。
  外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。
  法相になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」とも発言しています。

 葉梨法務大臣は、
 身内のパーティーでの受け狙いの軽口のつもりだったのでしょうが、
 本音であった事は間違いないと思います。
 今日、撤回すると謝罪しましたが、撤回すれば済む問題ではありません。

 人権団体「アムネスティ・インターナショナル日本」の中川英明事務局長は
 「死刑のはんこを押すということは、人間の生存権を奪うことを意味する。
  究極の人権侵害のはずだが、そのことをどう考えているのか」と非難し、
 「歴代法相は執行の度に『慎重に検討』と繰り返してきたが、
  今回の失言で、それが口だけだったことが分かった」と語ったと報じられています。
 正にその通りだと思います。
 実際に死刑を執行する刑務官などはどのように受け止めたでしょうね?

 統一教会問題も抱き付かれたとの表現は、
 いやだけどやらざるを得なくなったと言うニュアンスで、
 被害者の救済の取り組みが大丈夫かと疑問を感じます。

 更に、葉梨大臣にとっては、テレビで報じられる事が一番大切な事のようで、
 テレビに映れば、顔も覚えられて票につながると言う事なのでしょう。
 また、大臣や副大臣になる事は
 お金をもうける事だと率直に言っているような気がします。
 こうした発言を身内のパーティーで、堂々と言ってしまうと言うのは、
 自民党の政治家の多くが、このように思っているからなのでしょうね。

 政治資金を所管する総務大臣でありながら、
 連日、関係政治団体のカネをめぐる疑惑について追及を受けている
 寺田総務大臣なども酷いものだと思っています。
 先日、旧統一教会との関係について、
 苦し紛れの言い訳を繰り返し、結局辞任に追い込まれた
 山際経済再生担当大臣もいましたが、
 政治家の劣化が余りにも酷過ぎるような気がしています。

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スマホ・・・

2022年11月09日 18時18分35秒 | 日記
 昨日、スマホの機種変更をしてきました。
 前のスマホはバッテリーが劣化した感じで、
 1日に2度位充電しなくてはならなくなっていました。
 このスマホは2017年2月に機種交換しましたが、
 2019年9月にバッテリーの状況がおかしくなり、
 代替え機に変更していました。
 余り当たりではなかったような感じです。
 年数も来ている事から、もうダメだと思いました。

 昨日は、午前10時に機種変更の予約をしておきました。
 10時少し前に店に着いたのですが、
 店が開くのは10時ジャストなのですね。
 担当してくれたのは、若い女性でした。
 左手に指輪はしていましたが。
 iフォンとの違いなどを親切に教えてくれましたが、
 結局はアンドロイドのスマホにしました。
 3Gが終わって4Gになりましたが、今は5Gが始まっています。
 そのため、5Gのスマホにしました。
 その彼女のお勧めもあったので、
 これまでのシャープからグーグルのスマホにしました。
 契約の詳細などや金額のシミュレーションなども見せてもらいました。
 僕はauを使っていますが、1か月auを使い、来月UQモバイルにすると、
 月額の料金が7割程度になるとの事でした。
 機能も余り変わらないと言うので、その線で行く事にしました。
 auがどうしてUQモバイルを勧めるのか分かりませんが、安くなるのは助かります。
 その他、色々な契約があって、終わったのは12時半を回っていました。
 僕としては、若い女性とこんなに長く話した事はなかったので、満足でしたが。

 スマホの保護ケースはあるけれど、保護フィルムがないので、
 家電量販店に行けばあるとの事でした。
 それで昼食を摂った後、その足でヨドバシカメラに行ったのですがありません。
 ヤマダ電機にも行ったのですが、やはりありません。
 諦めて帰宅しました。

 家でスマホの使い方に慣れようと思いましたが、
 慣れるなどと言う可愛いものではありませんでした。
 マニュアルがないので、やむを得ずパソコンで使い方を見ましたが、
 それでも知りたい事がよく分かりません。
 例えば、一度スリープ状態になると、ロックが掛かってしまうのですね。
 それが分かるまでに30分以上掛かってしまいました。
 その時点で、スマホの会社を変更したのは失敗だったと気が付きました。
 そんな事から疲れてしまい、日記を書く余力がありませんでした。

 昨夜は、皆既月食がありました。
 皆既食中に月の後ろに天王星が入る天王星食も見られ、
 皆既食と惑星食が同時に見られるのは日本では442年ぶりとの事でした。
 このような国民的イベントには参加した方が良いかと思いました。
 それで午後7時頃になって家を出ていましたが、
 暗褐色と言うのでしょうか、皆既食中の月は不気味でしたね。
 惑星食は肉眼では観られないとの事でしたから諦めていましたが。
 寒くなったし、家に帰って夕食を作る気にもならないので、
 以前、昼食をやっていた居酒屋に久し振りで行って
 ビールを飲みながら食事をして来ました。

 今日も少しスマホの勉強をしました。
 昨夜、顔認証がお勧めとスマホが言うので、やってみました。
 所が今朝になって、顔が変わったのかロックが解除できませんでした。
 どうしたのでしょうね?
 まだしばらくスマホの勉強が続きそうです。


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ぎふ信長まつり・・・

2022年11月07日 18時25分44秒 | 日記
 ここのところ連日のように、「ぎふ信長まつり」が報じられていました。
 木村拓哉さんが信長に扮してパレードするとの事で、
 事故防止の観点から、観客を1万5千人に限ったところ、
 応募者は64倍の96万人を超えたとの事でした。
 10月29日夜に韓国ソウルの繁華街、
 梨泰院(イテウォン)で雑踏事故が起きたこともあり、
 それと関連して報じられているのかと思いましたが、
 木村拓哉さんも、相変わらず凄い人気だと思っていました。

 昨日、このお祭りが行われ、
 観衆46万人と岐阜市の人口40万人を超える人が集まったとの事でしたが、
 無事に終わって良かったですね。
 昨日の木村さんの信長の映像を観ましたが、とても格好良かったと思いました。
 どうして木村さんを招いたのかと思いましたが、
 来年1月に封切り予定の映画「THE LEGEND & BUTTERFLY」に
 信長役で主演しているとの事になるほどと思いました。
 衣装なども立派な感じがしましたが、映画で使われたものなのでしょうか?
 いずれにしても、岐阜県内では、この映画をご覧になる方も多いでしょうね。

 地域の活性化の一つの手段として、
 その地域の出身の歴史上の有名人を利用する所が結構あります。
 中には、余りにも史実と違う脚色をしている所もありますが、
 歴史修正主義とは異なり、
 遊びの範囲なのでしょうから、目くじらを立てるのは野暮かも知れません。

 「ぎふ信長まつり」は、
 1953年(昭和28年)4月4日から5日にかけて「岐阜まつり」として初めて開催され、
 1957年(昭和32年)からは「ぎふ信長まつり」となって、秋まつりとなったとの事です。
 こうした地元出身の有名人を題材に使った祭としては、かなり早いような感じがします。
 「岐阜」の地名は、信長が命名したと言われていますので、ピッタリなのでしょうね。
 
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全日本大学駅伝・・・

2022年11月06日 18時18分55秒 | 日記
 先日、伊勢神宮に行きました。
 外宮から神宮美術館に向けて歩かざるを得なかったのは書きました。
 歩いていたら、道路に、
 11月6日の全日本大学駅伝のために交通規制があるとの横断幕が出ていました。
 それを見て、全日本大学駅伝は、名古屋市の熱田神宮から
 伊勢神宮までの駅伝だった事を思い出しました。
 通っていた辺りも走るのかなと思いながら、
 11月6日はなるべく観ようと思いました。

 そして今日です。
 駅伝は、午前8時5分にスタートしました。
 熱田神宮には、4年ほど前に行った事がありますが、
 スタート地点は大きな通りでしたから、覚えがありませんでした。
 ゴールの宇治橋が映りましたが、渡っている人は僅かでした。
 この位の人ならば、また受ける感じも違っただろうなぁと思いました。

 熱田神宮から伊勢神宮まで、およそ100kmとの事でしたので、
 ランナーの速度が概ね時速20kmとして5時間程度かと思いました。
 選手がスタートしてから、少し観ていましたが、
 用事を片付けたり、買い物に行ったりしていました。
 11時半頃から、観戦しました。
 そして、ゴール近く、先頭の駒沢大学の選手が、
 先日歩いた道を走っているのが分かりました。
 更に、五十鈴川駅の近くなどを通りましたが、
 そこはバスで内宮から宇治山田駅に行く時に通った道であるのも分かりました。
 観ていて嬉しかったです。

 僕は、駅伝は好きで観る事が多く、箱根駅伝などは毎年観ていますが、
 全日本大学駅伝を観るのは初めてでした。
 出場している大学には、東北大学や新潟大学の国立大学も出ているのですね。
 これも驚きでした。
 両大学とも、途中で繰り上げスタートになってしまいましたが。

 早稲田大学も出ていました。
 6位でしたが、来年のシード権は獲得したようです。
 箱根駅伝は、前回シード権を失い、今回は予選会からの出場でしたが、
 先日の予選会は4位で通過していますので、正月の箱根駅伝も楽しめます。

 今日は、ラグビーの対抗戦の、帝京大学対早稲田大学の試合もありました。
 CATVのJスポーツで実況中継がありましたので観ました。
 帝京大学の分厚い攻めに早稲田が敵わなかったような感じでした。
 ほとんど早稲田陣でプレーが行なわれていました。
 力の差が大きいような気がしましたが、
 今シーズンの早稲田はどうなるでしょうか?

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ツタンカーメン・・・

2022年11月05日 18時38分57秒 | 日記
 ツタンカーメンは、エジプトの王の中でも、一番有名かも知れません。
 それまで古代エジプトの歴史の中では、ほとんど無名でしたが、
 未盗掘のその墓が発見され、5000点に及ぶ副葬品などから、
 一躍有名になりました。
 その墓をハワード・カーターが発見したのが1922年11月4日でしたので、
 昨日が、発見されて丁度100年になります。

 ツタンカーメンの父親、アクエンアテンまたはアメンホテプ4世は、
 古代エジプトの歴代の王の中では、極めて特異な存在で、
 王朝の発祥の地であるテーベから、アケトアテン(現在のアマルナ)に首都を移転し、
 多神教だったエジプトで、アテンが唯一の神であると宗教改革を推し進めました。
 この改革はアマルナ改革と呼ばれていますが、
 これによりエジプトは大混乱に陥ります。
 父の死後、ツタンカーメンは10歳目前という幼さで即位します。
 そして、彼は首都をテーベに戻すなど、父親の政策を180度転換します。
 10歳の子どもにそのような判断が出来るとも思えませんので、
 家臣団が元に戻す事を進めたのだと思います。

 10歳目前で即位したツタンカーメンですが、
 治世10年足らず、19歳前後で死亡します。
 遺体は、副葬品とともに第18、19王朝の王族のための墓地「王家の谷」の
 小さな墓に埋葬されました。
 その後のファラオは、首都移転と宗教改革につながりがあった王たちの事跡を
 歴史からほぼすべて消し去ってしまいますが、
 それが、ツタンカーメンの遺体が現代まで保存された理由なのかも知れません。

 ツタンカーメンと言えば、「ファラオの呪い」が有名です。
 1923年2月16日、ツタンカーメンの埋葬室が開かれ、
 その財宝が大きな話題となり、世界を駆けめぐりますが、
 その6週間後、発掘調査のスポンサーだった
 イギリスのカーナボン卿の急死が大々的に報じられると、
 一部のメディアが「呪い」と表現したため、人々の間に広まります。

 僕も小学生の時、子ども向けの本でこの話を読み、
 とても怖いと思った記憶があり、その時ツタンカーメンの名も覚えました。
 しかし、墓が開かれる瞬間に立ち会った26人のうち、
 10年以内に死亡したのは6人のみで、
 真っ先に呪いの標的になるはずの発見者であるハワード・カーターは、
 墓が開かれて15年以上が経過した1939年まで存命でした。
 こうした事実からは、ファラオの呪いはないのでしょうね。

 ツタンカーメンの墓が発掘され、
 概ね3300年前の古代エジプトの様子が分かりました。
 また最近のDNA鑑定などの手法によって、
 アクエンアテンのミイラも確定しています。
 更に、ツタンカーメンの母親は、
 名前が分からず「若い方の淑女」と呼ばれていますが、
 アクエンアテンの同父同母の妹だった事も明らかになっています。
 近親結婚が続き、ツタンカーメンは虚弱体質であったとされ、
 それが死に影響したのだろうと考えられています。

 子どもの頃に覚えたツタンカーメンの墓が発掘されて丁度100年との事から、
 古代エジプトの歴史に思いを馳せました。
 なお、発掘の資金がどこから出たのか、
 以前書いた拙文がありますので、宜しければご覧下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/s/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3

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