天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

親父の声・・・

2024年09月20日 19時18分23秒 | 日記
 1か月以上前の事になりますが、
 戦争中の歴史を調べている方と行き会いました。
 その方と話していて、
 親父が旧陸軍第14師団の騎兵第18連隊にいた話をしましたが、
 太平洋戦争になると、満州からパラオに異動し、そこで終戦を迎えた事、
 パラオでは騎兵は必要がないので、
 どのような部隊に編成替えされたか分からない事などの話をしたら、
 それならば、軍歴証明書を取ると良いですよと言われました。
 それで、軍歴証明書の発行を
 終戦当時本籍のあった群馬県に依頼しましたが、
 時間が掛かるようで、まだ来ていません。
 その時、親父が地元のラジオ局のインタビューを受けて、
 テープが残っているかも知れないとの話をしたら、
 もし良ければそれを聞いてみたいと言われました。
 それで、その録音テープを探して、先日見付けました。

 1976年(昭和51年)頃から1978年頃まで放送されていた、
 「昭和の記録 栃木県50年の歩み」との番組で、
 多くの人のインタビューを編集して作られたものだったようです。
 その親父の声を使った番組の実際に放送された録音と、
 親父の発言だけを抜き出したテープの2種類のテープでした。
 他人にお貸しする前に、僕と弟で聴かない訳には行きません。
 それで、今日彼岸の墓参りに行った帰りに弟が家に寄ったので、
 一緒に聞きました。

 親父が他界したのは、1980年3月4日でした。
 自宅で療養していた親父とは、最期まで話をしていましたが、
 その時以来、44年ぶりに聞く親父の声です。
 弟とこんな声だったかな?などと話をしていましたが、
 ラジオのインタビューなど受けた事がなかったろうから、
 余所行きの話し方だったのかも知れないなぁなどと話していました。
 しかし、その内に親父の口調を思い出して、
 二人でしみじみと聴く事が出来ました。

 親父は、いわゆる支那事変と呼ぶ日中戦争の途中から中国に出征し、
 一度日本に戻って、その後満州に駐留し、
 更にそこからパラオに派遣されていました。
 その辺の経歴の詳細は、軍歴証明書が来れば分かるかと思います。

 親父の話している内容は、色々面白い話があり、
 生きている間に、もっとよく話を聞いておけば良かったと思いました。


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