一昨日、福島県二本松市の商工会議所の会頭が、
岸田総理大臣に、
二本松城に残る石碑「戒石銘(かいせきめい)」を写した拓本と
石盤を贈呈したとのニュースがありました。
この戒石銘は、大きな岩に、
「爾俸爾禄 民膏民脂
下民易虐 上天難欺」と書かれています。
読み下し文は、
「爾ノ俸 爾ノ禄ハ民ノ膏ナリ 民ノ脂ナリ
下民ハ虐ゲ易ク 上天ハ欺キ難シ」です。
国史跡に指定され、
地元では行政の規範を示したものとして伝わっています。
僕のかつての上司の座右の銘がこの戒石銘でした。
このため、僕は若い頃からこの存在を承知していました。
2019年4月13日に行った時には、この戒石銘の写真も撮って来ました。
二本松城なども含めて下記をご参照下さい。
http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/470091329.html
この戒石銘は、寛延2年(1749年)3月に完成したものです。
当時の二本松藩は、
五代藩主丹羽高寛の藩政改革が進まず苦慮していました。
そこで、登用されたのが、岩井田昨非(さくひ)でした。
昨非は、元禄12年下野国芳賀郡(現栃木県)に生まれ、
幕府儒官の桂山彩巌に師事し、儒学を極めました。
二本松藩への仕官も、この桂山の推薦によるものです。
昨非は藩主・家老の後ろ楯により、重臣・藩士らの反対を押し切り、
文武両道の義務化等の教育制度をはじめとして、
軍制・士制・刑律・民政などの重要施策を次々と改革していきました。
岸田総理は、拓本などを贈られ、
「執務室に飾り、襟を正して原点に返ることの戒めにする」と
応じたとの事です。
二本松市の商工会議所の会頭さんは、
記者団に
「国会議員は公人たることをもう一度自覚してもらいたい」と語り、
拓本を全国会議員に配布するとの事です。
政治家や官僚などが肝に銘じてくれると良いですが。