栃木県の日光市の世界遺産「日光の社寺」は、
日光東照宮と日光二荒山神社の2つの神社と、日光山輪王寺とで構成されています。
普通、まとめて二社一寺と呼んでいます。
観光客向けに共通拝観券制度があって、
1000円の券で二社一寺の主要な所を拝観出来ます。
現在、この共通拝観券の問題を巡って、神社側と輪王寺がもめていて、
地元の新聞を賑わせています。
今回の諍いの発端は、
改修工事が行われている輪王寺の三仏堂で、虫害が見つかった事のようです。
これを駆除するため薫蒸を行う必要があり、
この間三仏堂などが拝観できなくなる事から
修理期間中に限り共通拝観券を休止すると、
二社一寺の最高議決機関で協議し合意されたはずなのに、
どうも実務者レベルで、その決定に輪王寺側が納得していないようです。
元々二社一寺の中では、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に、
山岳信仰の社寺として創建されたもので、
東照宮よりはるかに長い歴史をもっています。
ただし、二社一寺がこのように明確に分離するのは、
明治初年の神仏分離令以後のことであり、
近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」
あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていました。
こうした経過から、輪王寺に属する建物は1箇所にまとまってなくて、
日光山内の各所に点在しています。
初めて行った人には、どれがどれか分からないかも知れません。
例えば、徳川家康の墓所は東照宮ですが、
その東照宮を造営した家光の墓所である大猷院(だいゆういん)は輪王寺の所有です。
戸惑う人も出て来るのではないかと気になります。
かつて、東照宮と輪王寺は、「鳴竜」のある本地堂の所有権を争っていた時期があります。
1962年に裁判が起こされ、1983年に最高裁で和解が成立しています。
その間、本地堂は県が管理していました。
その確執が続いているとは思いませんが、長い間の隣同士です。
色々あるのかも知れません。
しかし、迷惑を受けるのは観光客ですし、
そのため日光のイメージがダウンするのが一番の痛手です。
何とか大人の対応で、一日も早く解決する必要があると思います。
日光東照宮と日光二荒山神社の2つの神社と、日光山輪王寺とで構成されています。
普通、まとめて二社一寺と呼んでいます。
観光客向けに共通拝観券制度があって、
1000円の券で二社一寺の主要な所を拝観出来ます。
現在、この共通拝観券の問題を巡って、神社側と輪王寺がもめていて、
地元の新聞を賑わせています。
今回の諍いの発端は、
改修工事が行われている輪王寺の三仏堂で、虫害が見つかった事のようです。
これを駆除するため薫蒸を行う必要があり、
この間三仏堂などが拝観できなくなる事から
修理期間中に限り共通拝観券を休止すると、
二社一寺の最高議決機関で協議し合意されたはずなのに、
どうも実務者レベルで、その決定に輪王寺側が納得していないようです。
元々二社一寺の中では、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に、
山岳信仰の社寺として創建されたもので、
東照宮よりはるかに長い歴史をもっています。
ただし、二社一寺がこのように明確に分離するのは、
明治初年の神仏分離令以後のことであり、
近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」
あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていました。
こうした経過から、輪王寺に属する建物は1箇所にまとまってなくて、
日光山内の各所に点在しています。
初めて行った人には、どれがどれか分からないかも知れません。
例えば、徳川家康の墓所は東照宮ですが、
その東照宮を造営した家光の墓所である大猷院(だいゆういん)は輪王寺の所有です。
戸惑う人も出て来るのではないかと気になります。
かつて、東照宮と輪王寺は、「鳴竜」のある本地堂の所有権を争っていた時期があります。
1962年に裁判が起こされ、1983年に最高裁で和解が成立しています。
その間、本地堂は県が管理していました。
その確執が続いているとは思いませんが、長い間の隣同士です。
色々あるのかも知れません。
しかし、迷惑を受けるのは観光客ですし、
そのため日光のイメージがダウンするのが一番の痛手です。
何とか大人の対応で、一日も早く解決する必要があると思います。