天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

二社一寺の仲違い・・・

2013年07月11日 21時40分45秒 | 日記
 栃木県の日光市の世界遺産「日光の社寺」は、
 日光東照宮と日光二荒山神社の2つの神社と、日光山輪王寺とで構成されています。
 普通、まとめて二社一寺と呼んでいます。
 観光客向けに共通拝観券制度があって、
 1000円の券で二社一寺の主要な所を拝観出来ます。
 現在、この共通拝観券の問題を巡って、神社側と輪王寺がもめていて、
 地元の新聞を賑わせています。

 今回の諍いの発端は、
 改修工事が行われている輪王寺の三仏堂で、虫害が見つかった事のようです。
 これを駆除するため薫蒸を行う必要があり、
 この間三仏堂などが拝観できなくなる事から
 修理期間中に限り共通拝観券を休止すると、
 二社一寺の最高議決機関で協議し合意されたはずなのに、
 どうも実務者レベルで、その決定に輪王寺側が納得していないようです。

 元々二社一寺の中では、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に、
 山岳信仰の社寺として創建されたもので、
 東照宮よりはるかに長い歴史をもっています。
 ただし、二社一寺がこのように明確に分離するのは、
 明治初年の神仏分離令以後のことであり、
 近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」
 あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていました。
 こうした経過から、輪王寺に属する建物は1箇所にまとまってなくて、
 日光山内の各所に点在しています。

 初めて行った人には、どれがどれか分からないかも知れません。
 例えば、徳川家康の墓所は東照宮ですが、
 その東照宮を造営した家光の墓所である大猷院(だいゆういん)は輪王寺の所有です。
 戸惑う人も出て来るのではないかと気になります。

 かつて、東照宮と輪王寺は、「鳴竜」のある本地堂の所有権を争っていた時期があります。
 1962年に裁判が起こされ、1983年に最高裁で和解が成立しています。
 その間、本地堂は県が管理していました。
 その確執が続いているとは思いませんが、長い間の隣同士です。
 色々あるのかも知れません。
 しかし、迷惑を受けるのは観光客ですし、
 そのため日光のイメージがダウンするのが一番の痛手です。
 何とか大人の対応で、一日も早く解決する必要があると思います。
コメント
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