昨夜は、仕事関係の酒飲みがありました。
年度初めの顔合わせを兼ねたもので、小父さんばかりの酒飲みでしたが、
結構楽しい催しになりました。
昨日、ロシアのボリス・エリツィン前大統領が急死しました。
76歳だったとの事です。
エリツィン氏の評価については、肯定・否定分かれるものがあるかも知れません。
1991年7月にロシア共和国大統領に就任しましたが、
同年8月の保守派クーデター未遂事件では、
市民の抵抗の先頭に立って、ソ連を崩壊させる原動力となりました。
また、新生ロシアでは、市場経済化に取り組むとともに言論の自由を確立し、
対外的には日本や欧米諸国と協調し、東西冷戦の終結に尽力しました。
そうした、民主化の旗手と評価される一方、
チェチェン共和国の独立派を2度にわたって軍事力で弾圧する強引な手法や、
親族や一部側近による権力の私物化などは、
権力を握った人間の危さを感じさせたような気がします。
人間は変化するものです。
一つの言葉では、表しきれるものではありません。
しかし、エリツィン前大統領はそれにしても振幅の大きな人だったように思います。
年度初めの顔合わせを兼ねたもので、小父さんばかりの酒飲みでしたが、
結構楽しい催しになりました。
昨日、ロシアのボリス・エリツィン前大統領が急死しました。
76歳だったとの事です。
エリツィン氏の評価については、肯定・否定分かれるものがあるかも知れません。
1991年7月にロシア共和国大統領に就任しましたが、
同年8月の保守派クーデター未遂事件では、
市民の抵抗の先頭に立って、ソ連を崩壊させる原動力となりました。
また、新生ロシアでは、市場経済化に取り組むとともに言論の自由を確立し、
対外的には日本や欧米諸国と協調し、東西冷戦の終結に尽力しました。
そうした、民主化の旗手と評価される一方、
チェチェン共和国の独立派を2度にわたって軍事力で弾圧する強引な手法や、
親族や一部側近による権力の私物化などは、
権力を握った人間の危さを感じさせたような気がします。
人間は変化するものです。
一つの言葉では、表しきれるものではありません。
しかし、エリツィン前大統領はそれにしても振幅の大きな人だったように思います。