お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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■伝記的なことを調べるため朝比奈知泉『老記者の思ひ出』(1938)と『朝比奈知泉文集』(1927)を購入。どちらも今でも簡単に手に入る本だ。まだ拾い読みだが、藤田鳴鶴の書生になる経緯や学業のことなどがかなり詳しく書かれている。『文集』の方には森田思軒との出会いが次のように記録されている。
「其頃(報知新聞には)森田思軒という人が編輯主任として善く人の書いたものを屑籠に投込む名人でした。折しも独逸皇帝維廉一世の歹且落ありて余は其の伝記を綴る役に当たり、当時の官報に獨帝ギーヨーム一世崩御云々と電報を載せありしかは書生の博洽を衒ふの機会此時なりと思ひ、欧州では國によりて同じ名の呼び方を異にすることを書き出し、英でウイリヤムというふを獨ではウイルヘルム、仏ではギーヨーム、伊ではギルレルモと呼ぶ杯と筆を起こしたものです。開して獨帝伝記の第一章に綴り、之を編輯主任の手元に差出しました。思軒其最初の二三行を一読して書生の衒気を嫌厭し直に側の没書籠に投入れた。その時位腹の立つたことはなかつた。」
こういうのを読むと、知泉と思軒はかなり歳が離れている感じを受けるが、実際はわずかひとつ違いなのである。